Oshaberi #3

 ソクラテス やあ、ルートヴィヒ。
 ウィトゲンシュタイン やあ、ソクラテス、どういう用件で?
 ソクラテス 今日はね、君に紹介したい僕の友人を連れてきたんだ。
 ウィトゲンシュタイン それは珍しいこった、君が連れてくるからには当然、大物なんだろうな。
 ソクラテス それがね、なかなか拗らせた青年でね。なかなか面白いんだけど、やや僕には手に余るところがあってね。君と話してもらいたいんだよ。ほれ、おいで、ロージャ。
 ラスコーリニコフ ……
 ソクラテス こちら、ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ君だ。
 ウィトゲンシュタイン はじめまして、ラスコーリニコフさん。僕はルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインだ。
 ラスコーリニコフ ……
 ウィトゲンシュタイン どうしたんだい、熱にでも浮かされているのかい?
 ラスコーリニコフ ソクラテスさん、やっぱり僕帰ります。
 ソクラテス まあ、そう言わずにほら、ルートヴィヒだって君を受け入れようとしてくれているじゃないか。
 ラスコーリニコフ 僕はね、ソクラテスさん、別に誰かに受け入れてもらおうなんてこれっぽっちも考えていないわけですよ。前にもお話ししましたよね? 人間には「凡人」と「非凡人」がいると。「非凡人」は法をもふみ越える権利を持つ、そしてこの権利は己の良心が保証するのであって、他人によるのではない、とね。だから僕は誰かに受け入れられるようなたまじゃないんですよ。
 ソクラテス そうだった、そうだった、君が「非凡人」だとすればね。ほら、ルートヴィヒ、このとおりだ。
 ウィトゲンシュタイン 随分と面白い青年じゃないか。君をみていると僕も昔の自分を思い出すようだよ。
 ラスコーリニコフ 僕にとって大事なのは蟻塚全体を支配する権利を手にすることであって、あなたとお話しすることではありません。
 ウィトゲンシュタイン まあまあ、そう言わずに。君の言う権利とやらについてもっと教えてくれないか。君はさっき、「法をもふみ越える」と言ったがそれはどういう意味だい?
 ラスコーリニコフ いいですか、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインさん。僕が言いたいのは、人類の世界史としての問題のことなんですよ。この世界を歴史的に前進させるような立法者が現れるとき、例外なく彼らは古い法を打ち破るいわば犯罪者でなければならないのです。フランス革命の混乱を終わらせ、自由社会を作ったナポレオンなんかを想像していただければわかりやすいでしょう。
 ウィトゲンシュタイン なるほど、そういえば僕の大先輩にあたるヘーゲルも彼のことを「世界精神の登場だ」と言って称揚していたようだが。だから、そのような歴史的場面において、偉人は法に制約されないわけか。
 ラスコーリニコフ ええ。
 ウィトゲンシュタイン では、人類は絶えず進歩する、というのが君の考えの根底にあるわけだね。
 ラスコーリニコフ そうでなくて何がありましょう。
 ウィトゲンシュタイン 面白いね。とすると、君は「目的の国」つまりは神の摂理が定める歴史的完結が訪れるはずだ、と言うのだね。
 ラスコーリニコフ そりゃ、もちろん信じてますとも。
 ウィトゲンシュタイン ところで、君は「ラザロの復活」を信じているかい?
 ラスコーリニコフ それも信じています。キリストが彼を墓の中から復活させたあの奇跡ですよね。
 ウィトゲンシュタイン そうだ。では、この奇跡の物語から君は何を読み取る?
 ラスコーリニコフ さあ。
 ウィトゲンシュタイン なぜラザロは蘇ったか、それは彼の病が「死に至る病」ではなかったということだ。そしてこの「死に至る病」というのが、真に恐れなければならないものについて僕たちに教えてくれているということなんだ。ここからはね、僕の友人であり恩人のキェルケゴールのお話なんだが、聞いてくれるかい。彼はね、こう言うんだ、「死に至る病とは絶望である」と。そしてこうも言うんだ、「絶望は罪である」とね。
 ラスコーリニコフ へッ、説教くさいこった。
 ウィトゲンシュタイン そうだ、説教だ。僕は君の思想に並々ならぬものを感じるからね。いずれ何かやらかすのではないかと冷や冷やしているんだよ。いいかい、罪とは、「人間が神の前に(ないし神の観念を抱きつつ)絶望的に自己自身であろうと欲しないことないし絶望的に自己自身であろうと欲すること」なんだ。つまり罪は弱さとも言えるし強情とも言える、そして何よりその罪ある状態にとどまることが何よりもの絶望なんだ。僕はね、かつて『論理哲学論考』と言う本を書いたことがあった。論理という理想的な言語で世界を記述することを考えたんだ。しかしね、たどり着いた結論は「語り得ぬものについては、沈黙せねばならない」だったよ。当時は哲学の全ての問題を解決できたと思ってね、嬉々として師匠(ラッセル)にも「どうせあなたには分からない」なんてひどいことを言ってしまったものだったが、次第に僕の心を虚栄心が覆うようになった。僕がこれまで犯してきた罪もそうだが、この哲学では神を相手にするどころか、僕たちが普段使う言葉を全く相手にできないのさ。まさに病だよ。そんな中、折りよく僕はキェルケゴールの絶望にであったのさ。自らの過ちを認め、次の一歩を踏み出すことを彼は教えてくれたよ。
 ラスコーリニコフ あなたのおっしゃることはよくわかりました。しかしね、そのことが僕になんの関係があるんです?ちょっと自分の哲学を修正できたぐらいで威張らないでくださいよ、いいですか僕はもう帰ります。
 ウィトゲンシュタイン あっ、ちょっ、これから言語ゲームの話が……
 ソクラテス いっちゃったね。彼も随分若いことだ。
 ウィトゲンシュタイン まあ、仕方ないね。しかし、いずれ彼は自分の絶望に気づくさ、僕は確信しているよ。


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補記


Twitterでもお知らせのとおり、本日1月14日の文学フリマ京都にて、大阪の読書空間RENSさんの企画に参加させていただいています。

今回投稿したのnote記事は、当該の企画で寄稿させていただいたものとの間に「私が書いた」ということ以上に何らかの関係を有するものです。当然、表現から狙いまでそれぞれは全く独立して存しうるものでありますが、扱われる素材には共通するものがあります。これはいわば、金属材料に種々の熱処理や加工を加えることによって、様々な能力(構造材または機能材としての能力)を引き出すことに似ているのかもしれません。よければ、両方ともお読みいただき、違いを味わってみてください。

🦚以上🦚



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