孔雀のスケッチブック

Die Eule der Minerva beginnt erst mit der einbrechenden Dämmerung ihren Flug. 目に映った風景を模写するように。 HP→https://imnkujaku.com/

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Sepiafarbe

世界は突如として色を失った。 海底に潜り、殻の中から泡の言葉を紡ぎ出していれば、この嵐は過ぎ去るかもしれない。 しかし私は想像する。 アレントをしてその陳腐さで愕然とさせた一人の小人を。 殻から這い出し、潮風を吸う時に私がその小人になっている事を。 ある決断を迫られた時、然るべき判断を下せるよう、私は準備を整えておかねばならない…… 本性的に人間は苦しみを避け快楽を求める。もっぱらこの意味でのみ歓びが善の表象となり、苦痛が悪の表象となりうる。かくて楽園と地獄の表象作用が生じ

    • okimochi

       これは本当にまずいことだ。大衆の狂乱に私の街は覆われてしまった。こんなやり方がまかり通れば間違いなくこの先に待つのは、混乱のみ。私は、一種の危機感から、記憶をここに留めよう。いつか誰かにとって防衛術として機能するかもしれない。一県民として目に映ったものを想起することにしよう、この私がまだ素面であるうちに……。  今回は本当に異例づくしで、最後の最後まで投票先を悩んだ。普段の私のツイートやnote記事を知っている方なら、おおよそ私の思想傾向は予想がつこう。支持する政党はこれ

      • ZapiskiIzPodpol'ya_1_3

         ドストエフスキーの『Записки из подполья』の第1部3節 第2〜4パラグラフ(翻訳の文庫本で見開き約1.3頁分くらいの量)を訳してみます。本題に入る前に、まず1点タイトルの訳について補足しておきます。私が読んだ新潮文庫版(江川卓 訳)だと『地下室の手記』となっていますが、今回手本訳に用いる米川正夫訳だと『地下生活者の手記』となっており若干翻訳にゆらぎがあります。本書に登場する「地下室人」はドストエフスキーを論じる文章でもよく登場しますが、出てくるたびに「あー

        • СВИДАНИЕ

           ツルゲーネフのСВИДАНИЕ(あひびき)の冒頭(原文の第一パラグラフ、翻訳の文庫本で見開き約1頁分くらいの量)を訳してみます。原文と手本訳は下記のサイトのものです。手本訳に二葉亭訳をもってきているのは、色々と狙いがあってのことですが、ここではそれには触れません。あと、単語リストは手抜きで作っているのでいちいち不備があります。 сидел:was sitting березовой <березовый F前:birch, カバノキ роще <роща F前:woo

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        • 日記のようなもの
          4本
        • 哲学の散歩道
          7本
        • 読書の記録のようなもの
          8本

        記事

          「書けない」ということについて

           「書けない」ということは極めて緊迫した様相を纏って、私の主観世界を構成し始める。よく言うように、書くことは即ち考えることだからだ。したがって、書けないということは考えていないことを意味する。そしてデカルトの格言をもじって言えば、「我無し、我思わざるゆえに」。哲学の第一原理によって、書けない私は存在を失う。素朴に場としてある世界に、私はいない。これを我が身の実存の危機と言わずして何というか。  「書けない奴、ガチで危機感持った方がいい。厳しいって。弱いって。最後に腹からことば

          「書けない」ということについて

          The Rat's-Nest

          東京事変の『修羅場』。突然思い立ちロシア語に訳してみました。独学者ゆえ単語・文法の正しさは保証できないですし、ネイティブチェックはもちろん無し、リズムに乗るように歌えば、「そんなフレーズ/音の切り方はせんやろ! しかも発音違う。」なんていう突っ込みも沢山入るだろうとは思います。が、よければ歌ってみてください。そして音源を私に聞かせてください。私は歌えない性分で、ボカロとかも使いこなせないので、どんな仕上がりなのか全然わかりません。 (ちなみにお気づきかと思いますが、この曲、

          20240613

          劇物に注意せよ。紛うことなき真実から目を背ける勿れ。 いい加減にしてくれないか。私はこんな世界など望まない。 私の全く凡庸な生活。血と悲痛に塗られた私の凡庸な生活。

          MEMO_『百年の孤独』

          本日、2024年6月8日、RENSさんの『百年の孤独』読書会に参加してきました。 実は、『百年の孤独』が文庫化されるらしいとの噂は昨年末から立っており以下ツイートはそれに対する反応です(今月末いよいよ発売です)。こうして読む覚悟を決めていたところに、上の読書会の案内が舞い込み、文庫化を待たずして思い切って読んで参加することにした次第です。 ちなみに上のツイートの「文学講義の本」とは以下のものです。全10作がほぼ年代順に扱われ、小説の変遷と時代の移り変わりを大きなテーマにし

          MEMO_『百年の孤独』

          存在は世界を満たしている! 在る、ただ在る! もはやここに新しく付け足すものなどなにもない! そう、わたしは「余計者」!

          存在は世界を満たしている! 在る、ただ在る! もはやここに新しく付け足すものなどなにもない! そう、わたしは「余計者」!

          Тютчев #1

          (そういうわけでФёдор Иванович Тютчевという詩人はわたしの興味の対象になり得るのですが、ざっとググってみたところほとんど翻訳が出ていないようです。なれば、自分で訳そう。そのために勉強するのだから。) (まずは短くて、インパクトのあるものを。彼をウィキペディアで調べて出てきた格言めいたものにあたってみました。) 全体観について  あまり説明するのも野暮ですが、結論はもちろん第1連で言い尽くされています。ドストエフスキーが作り出した「カラマーゾフ的」とい

          MEMO_『差異と反復』

           哲学、文学、精神分析などの人文学にとどまらず、数学、物理学、生物学などの分野からも種々のモチーフを持ち込む。そして、私を混迷に陥れるのが、ジル・ドゥルーズの『差異と反復』という書物である。  河出文庫で2巻。ご覧の呟きのとおり既に終章に入るが一向に話が見えてこない。あまりにも癪なので、もう一度頭から読み直すことにする。本書に限らず、咀嚼できず、消化不良の感が残る本は多々ある。普段なら、そういうものは、いったん放置し「読んだ記憶」に圧縮する。そしてその記憶が、また別の本なり

          20240401

          コンステレーションを描いて 時間の根源に理念が散らばる それらの特異点からは 発散し、渦巻き、同心円に広がる微光が 重なり合って白色光とマーブル模様の組織を生み出す 私とは 彼とは それとは 光源から時間の彼岸を貫くその境も曖昧で 一時通過的な平面の一部である 散逸する 一切はあって、散逸する しかし散逸とは更に複雑な模様を描き出す積分的綜合の運動なのだ

          Zakkann

          アラヤ識。水槽を満たす可能性の総体としての言葉。その流体は連続体は現実界への顕現を待つ。 存在は時間のうちに現成する。つまり、存在とは時間そのものに他ならない。では時間とは何か。それは直線的な連続体であろうか。すなわち、過去と現在と未来とが、順に流れ行くような連続体であろうか。 我々は過去を思うとき、決してそれが在ったと考えてはならない。過去は物自体である。「過去があった」のは今この瞬間に私によって想起されたそれであり、それ自体が含み持つ時間性を認識しようとするのは、悟性

          Oshaberi #3

           ソクラテス やあ、ルートヴィヒ。  ウィトゲンシュタイン やあ、ソクラテス、どういう用件で?  ソクラテス 今日はね、君に紹介したい僕の友人を連れてきたんだ。  ウィトゲンシュタイン それは珍しいこった、君が連れてくるからには当然、大物なんだろうな。  ソクラテス それがね、なかなか拗らせた青年でね。なかなか面白いんだけど、やや僕には手に余るところがあってね。君と話してもらいたいんだよ。ほれ、おいで、ロージャ。  ラスコーリニコフ ……  ソクラテス こちら、ロジオン・ロマ

          実験的連続投稿 #2

          (承前)  第一の問いに対する1つ目の事例として、私は数学を挙げよう。数学とは明証的にことがらを説明する極めて優れた手段である。その昔、プラトンが私設した学園の門前に「幾何学を知らぬもの、くぐるべからず」[1] と掲げ、哲学を修める者に数学的認識を前提として要求したことは有名な話である。あるいはまたペンローズ氏が主張することには、物質的世界は「プラトン的世界の小さな部分」である数学によって全体を原理的に記述できるということである。[2]  彼らの言葉から分かるのは、この世界

          実験的連続投稿 #2