教え子たちの卒業式に思うこと
(Photo: Marjorie Preval)
昨日は、私が現在ファッションデザインとアートの修士課程(MFA)のアソシエイトディレクターを務めているパーソンズ・パリの卒業式だった。
パーソンズ・パリはニューヨークにあるパーソンズ美術大学のパリ校で、同じくニューヨークにある私立総合大学「ニュースクール大学」の傘下にあるので、アメリカの大学のスケジュールと合わせて、フランスの大学の卒業より1ヶ月以上早い、5月中旬前後に卒業式を行う。アカデミックドレスも角帽もニュースクール大学と同じものを着用する。
(パリの大学は通常6月末か7月初めに卒業するのが一般的で、卒業式に関してはエリート養成機関であるグランゼコールにはあっても、一般大学では卒業式そのものがないようだ。)
また、学生たちは海外からの留学生が多いので、パリに設置された大学だが、フランス人はほとんどいない。私が今まで教えた学生たちはアメリカ人やカナダ人、スパイン人や中国人、レバノン人、イラン人、ドイツ人、トルコ人、台湾人、エジプト人、南アフリカ人、マリ人などなど、インターナショナルな環境で教えている。ちなみに日本人は現在ひとりだけ、学内の共通言語は英語だ。
ということで、これからお話しすることは、全くパリの学校には当てはまらないことを承知の上で読んでいただきたい。
パーソンズ・パリ2024年度の卒業式はパリのル・グラン・レックス(Le Grand Rex)という1932年にオープンしたアールデコ様式のシネマコンプレックスのコンサートホールで行われた。
私が初めてパーソンズ・パリの卒業式に出席したのは2021年のことなので、今回が4回目の卒業式となるのだが、最初の2年はまだコロナ禍の真っ最中で、感染を避けるために学部単位での小さな卒業式を行っていた。
学生の家族も渡航が難しい時期であったため、そして、ファッションデザインとアートの修士課程をローンチしたのが2022年度だったので卒業生はまだおらず、ファッションデザイン学部と一部の家族のみの出席の本当に小さな卒業式だった。
だから、すべての学部が大集結した卒業式は今回が初めてで(実は去年も全学部合同で式典が行われたのだが、会場が小さすぎて学部の一番上のプログラムディレクターしか出席を許可されず、ナンバー2の私は出席できないという悲しい卒業式となったのだ。)しかも、歴史的なアールデコ様式の映画館で行われるということで、このような立派なホールで全学部の卒業生と先生方が揃って式典が行われて本当に良かったと思っている。
式典はまず、卒業生の入場から始まり、次にパーソンズ・パリのルクレール学長からの挨拶、続いてニューヨークからニュースクール大学総長兼アカデミック部門副学長であるホワイト総長の祝辞があり、そして各学部の卒業生代表によるスピーチが披露された。
私が担当しているファッションデザインとアートの修士課程(MFA, Master of Fine Arts in Fashion Design & the Arts というアメリカの修士号で、皆さんがよくご存知なのは、MBA, Master of Business Administration、経営学修士号であろう。)は、トルコ出身のシェヴァルと、アルゼンチン出身のミラグロスが合同で見事な5分間のスピーチをしてくれた。
彼女たちを始め、他の学部の代表者たちも皆、素晴らしい英語のスピーチ(まるで「TED Talks」を生で見ているかのようだった。)だった。私は英語に苦手意識があるので、あのようなスピーチは絶対にできないだろうなと思いつつも、この機会を利用して上手なスピーチの仕方や言い回しを学ぼうと聞き入っていた。
それから、各学部ごとに卒業証書(ディプロマ)の授与とクラスごとの写真撮影がステージ上で行われたのだが、アソシエイトディレクターである私もステージに登壇することになり、学生の名前を呼び卒業証書を手渡しするプログラムディレクターのトマスの横で、次の学生たちの卒業証書をトマスに渡す役を仰せつかった。ルクレール学長も横にいてくれた。
卒業証書を手に取った学生たち一人ひとりとハグをして、喜びを分かち合った。学生たちの笑顔がとても晴れ晴れしかった。
学部によっては、あまりの嬉しさに、卒業証書を渡してくれたディレクターや登壇していたアソシエイトディレクター、そして学長にハグや握手をするのを忘れた学生も多かったが、我が学部の学生たちは全てきちんとハグが出来たのでとても良かったと思う。
最後にアメリカの伝統的な「角帽投げ(冒頭の写真)」が終わり、式典が終了、ドリンクが始まった。
教え子や、世界中から我が子の晴れ姿を見にきた両親や家族たちが集まってきてくれて、挨拶してくれた。ある教え子のお母さんは私になんと「I like you!」と言ってくれてびっくりしたが、きっと教え子がお母さんに、私に対するポジティブなお話を日常的にしているんだろうなと思い、嬉しくなった。
遠い国から来てくれてこうやって声をかけてくださる家族の方々にはもう感謝しかない。
また、ある学生たちの家族はどうやら私のインスタグラムをフォローしてくれているようで、大勢の家族に囲まれて一緒に写真を撮って欲しいとリクエストされた。そして、他の教え子たちには、「2年間で本当にいろいろ学ぶことが出来ました。トマスとミキのクラスで教わって本当に良かったです。ありがとうございました。」とか「これからミキやトマスのアドバイスが受けられなくなってしまうのは寂しいし、不安だ。」とも言われた。
ああ、学生に伝えたいことや伝えたことがきちんと伝わっていたんだなと思った。今まではそんな学生から感謝の気持ちなどを聞いたことなどないし、言っても言ってもなかなか言った通りに動いてくれないので、煙たがられているのかなと思っていたくらいだ。
一生懸命伝えればちゃんと伝わる、先生冥利に尽きる瞬間だ。
正直なところまだデザイナーを続けたい気持ちはあって、もう少し歳を取ってからでも先生は出来るなと思っていた。今もその気持ちは流動的だ。でも、いつかは自分がファッションデザイナーとしてキャリアを積んできたノウハウを後進にに伝えていきたい気持ちは常にあったので、こうやって世界中のファッションデザイナーを志している若者たちと切磋琢磨出来るのは本当に素晴らしいことだと思っている。
もし、私がいつまでもファッションデザイナーか教育か迷っているのなら、もうどちらも一緒に続ければ良いと思っている。その方が、学生たちにも良いお手本を見せられるのだ。
良いデザイナーが良い先生になれるとは限らないし、良い先生が良いデザイナーになれるとも限らない。学校で教えるファッションデザインのメソッドと、実際に業界で行われているファッションデザインのメソッドは全く違う。学生たちは業界に入ってそのことを初めて知り、戸惑うのだ。
だからこそ、私たちのような業界人が学校で教えるのには大きな価値があるのだ。
その価値の大きさを、学校側はきちんと理解しなければならない。「学校のための教育」ではなく「学生のための教育」を常に考えていかなければならない。残念ながら、「学生ファーストの教育」をしている学校は世界中でもあまり多くないような気がしている。
今までいくつかのファッション学校で学んできて、そしていくつかのファッション学校で教えてきて思うのは、全てのファッションデザイナーを志す学生たちがファッションデザイナーになれるわけではなく、殆どの学生が将来別の仕事に就くことになるのが実情だ。
しかも、晴れてデザイナーになれても、デザイナー同士の競争が非常に激しく、ポジション取り争いが絶えないほか、精神的にも体力的にも長丁場の耐久レースなので、ある程度の年齢になると、あれほどイキっていた同僚たちも淘汰されていく本当に忍耐力勝負の職場なのだ。
たとえデザイナーになれなくても、それで人生が終わるわけではない。別の場所で自分の花を開かせられるように、応用力が身に付く、広義的な教育をしたいと考えている。
時には自分自身の「迷い」や「葛藤」を恥ずかしがらずに共有することもある。20代は20代の悩みがあるだろうが、50代には50代の悩みもあるのである。彼らはもう大人だ。先生ぶらずに私の生き様を見せればそれだけで学びになる。
そしていつか、「ああ、あの時ミキが言っていた意味が50代になってようやく分かってきた。」となれば良いのではないかと思いながら、学生たちと接している。
小手先だけのファッションデザインのテクニックも確かに必要かもしれないが、もっと人間として大きく成長できるような学舎を作れたらいいなと常日頃から思いながら、今日も来年度の入学希望者の面接をした。今日は中国にいる希望者との面接だった。
来月からは、来年度のブログラム制作が始まる。ファッションデザイナーになりたくて憧れのパリを目指してやってくる新入生に、もっともっと面白い授業を作れるように頑張っていきたい。