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適応障害になってしまった最大の原因を考えてみた

最近、カウンセリングを受け始めてから、改めてなぜ自分は適応障害になって休職しているのか?

ということを考えています。

こちらの記事でもその理由について書いていますが、今回は自己理解・内省の結果、より詳しく言語化できるようになってきたので、アップデート版として残していきます。

カウンセラーさん曰く、この記事で紹介するような考えをする人はうつ病や適応障害と言った精神病にかかりやすくなってしまうとのこと。

また、原因の一つには幼少期の生い立ち、昔からの思考の癖があるそうです。

そして我慢に我慢を重ねた結果、耐え切れなくなり、折れてしまうとのことです。

この記事をご覧になっている方々でも、僕と同じような思考の癖を持つ方がいらっしゃるのではないでしょうか?

共感していただけたら、スキやコメントお待ちしております。

少しでも自分の感情や考えていることを表に出せば、気持ちがスッキリします。
是非サンドバッグだと思って、遠慮せずに自己表現していただければと思います。



自己表現が苦手

僕は自分の感情を表現したり、意見を発することが苦手です。

幼少期からいつも、欲しいものを欲しいと素直に言えなかったです。
3人兄弟の長男である僕の家庭は、決して裕福ではありませんでした。

家族で行った旅行は小学生の頃に旅館で1泊だけした記憶しかありません。

欲しいグローブは一番安いもの、僕に選択権はありませんでした。

お金がない事を知っていたので、母親から何か食べたいものある?と聞かれてもないと答え、本当は食べたかったものがあったけど我慢していました。

正直何故、自分がここまで思ったことを素直に口にできなかったか理由はわかりませんが、素直に口にしなかった事実だけは覚えています。

思った事、感じた事を素直に言えず、自分の中に閉じ込めてしまう人は、しない人よりもストレスを抱える傾向にあるようです。

自分の評価=他人からの評価

中々仕事がうまく進まない。周りはできている。でも自分はできていない。

任せていただいた仕事をリーダーに提出するも、毎日指摘が返ってきました。

それでやんや言われることはありませんでしたが、非常に忙しい現場だったので、リーダーに余計な仕事を増やしてしまったな。。。
申し訳ない。できない自分が悪い。

と日々申し訳なさ、不甲斐なさを感じていました。

自分ってこんな仕事できないんだとその時思いました。

しかも、仕事ができないという自己評価 = 他人からの評価と思ってしまい、指摘が来るたびに相手から仕事できないやつと思われてるよね…と勝手に一人落ち込んでいました。

これは心理学では、「投影」という防衛機制の一つと言われています。
詳しくは下記リンクからご確認ください。

別に誰から自分の評価を聞いたわけでもないのに、自分の評価 = 他人もそう思っていると解釈してしまい、自分を自分で追い込んでしまっていました。

他人からの評価が低いと思っているので、何とか挽回しなくては!
と頑張りますが、空回りすることも多かったです。

他人の期待に応えすぎる

相手からの評価が低いから、もっと頑張らないといけない!

来る仕事は全て断らず、全部できます!やります!
と、これまでの失敗を挽回するため、頑張るモードに入ります。

仕事を振る人は、このレベルのアウトプットを期待するであろう。
と勝手に相手の期待値を想像し、業務に取り掛かっていました。

これも、自分を追い込んでしまうダメな思考パターンでした。

当時自分は現場に配属されてから2カ月しか経っておらず、前任者からの引継ぎもほとんど行われないままの状態でした。

当然、何をするにしてもその現場では初めてだったので、相手もそこまで仕事のミスは気にしていなかったそうです。(これはのちに気付いたことです)

しかし、当時の自分は"仕事ができないやつ"という評価をされていると勝手に思い込んでいたので、ミスなく仕事して挽回しなくてはいけないと思っていました。

まぁ当然やったことのない仕事ばかりだったので、毎回のようにミスはするし、指摘は受けました。

そのため、仕事できない→頑張る→頑張ってもミスする→落ち込む→頑張る→ミスする→落ち込む→さらに頑張る…

頑張ってもできないので、自己肯定感は下がり続けました。

仕事を一人で抱え込む

周りに無能だ、仕事ができない人間だと思われたくないので、相談する回数も減ってきました。

たぶん周りからしたら、そろそろ慣れてきたのかな?と思われていたと思います。

しかし、できない人間だと思われたくないという思いから一人で分からない問題を抱え込んでいるだけでした。

仕事が進むよう努力しなければいけないのに、自分のプライドの保身、自分を守る行動が優先されてしまいました。

結果的にこの行動は、チームにとってマイナスになりました。

当然ですが、仕事の進捗を聞かれても、相手の思うように仕事が進んでいないので遅延、そして注意を受けます。

やっぱり仕事できない人間なんだな…と改めて思わされ、絶望しました。

存在価値0の自分だと思ってしまう

何やってもダメなので、「自分はこの場にはいてはいけない人間だ」と思うようになります。

職場に行くたび、仕事をするたび、こんな無能が本当に申し訳ないという思いを抱えていました。

自分にはこの職場合わないので、配置換えしてほしいと会社の人間に頼むも、

・みきおさんの努力でその問題解決できないかな?
・もう契約延長してしまったので、配置換えはできない
・みきおさんは一人じゃないのでいつでも相談してください

まるで自分が悪いよう、仕事ができてないんだから言い訳せずにもっと頑張れ。と言われているようで、逃れらない現実に絶望しました。

会社にも味方はいないんだな、、、
この時、ほぼ心が折れていたような気がします。

※相談しても僕の代わりに誰かが入るわけでもなければ、解決するもんだいでもなかったので、当時は絶望してました。

自分が満たされない自己犠牲

システムエンジニアの仕事は、自分が得意でもなければ、好きだからやっているものでもありませんでした。

高校生の時、情報系の大学に興味を持ち進学しますが、自分のできなさに絶望。

アルゴリズムの授業は必修科目でしたが、単位を落とす。
プログラミングの課題はコピペで提出

そのため、卒業後はコードは絶対に書かない。人を相手に仕事した方が楽だという思いで就活し、希望する職種のお仕事をゲットすることができました。

しかし、就職して3年して汎用性のないスキルに絶望したため、自ら開発の仕事に志願し、無事に部署異動することができました。

やりたくない仕事でしたが、将来を考えるとエンジニアの経験は必要だと感じていたのでその選択を行いました。

その会社は退職し、ワーホリを3年し、帰国してから流れでエンジニアの仕事をしてきましたが、まったく楽しいと思えませんでした。

スキルがないと将来やばいからやらないといけない。
苦手だし、好きじゃないから人より頑張らないといけない、そんなマインドがずっと自分を縛っていたのでずっと苦しかったです。

相手に求められれば、嫌でも仕事を引き受けました。これも自分のため、将来のためと思ってました。

しかし、

・イマイチ仕事に向き合うことができない。
・頑張っても成果が出ない。
・成果がでないから頑張ろう。
・でも頑張り切れない。
・頑張れない自分が悪い。環境や得意不得意を言い訳にしない。

こんな感じで頑張っては息切れを起こすということを2年間繰り返してきました。

仕事ができないことに対する恐怖を感じる

休職直前の土日明けには、月曜日の午前中に絶対仕上げないといけない仕事が待っていました。

自分には解決できない。でも頼れる人もいない。
と思うと土日をまともに過ごすことができませんでした。

日曜日の夜は、月曜日が来てほしくない、月曜日が怖いと思って寝れませんでした。

寝落ちして3時間ほど寝れたものの、朝はベッドから起き上がるので精いっぱいで朝食は食べれませんでした。

電車に乗っていると、職場の最寄り駅が近づくたびに息が段々と苦しくなり、動悸の鼓動も早くなってきているのを感じました。

息が出来ず、途中の駅で降りて呼吸を整えて、最寄り駅で降りるも、改札を出た所で涙が止まらなくなり、リーダーに仕事に行けませんと連絡しました。

リーダーから電話が来た時、さらに涙が溢れ、話せないほど過呼吸になってしまいました。

結果的に、この職場で適応障害になり、休職となりました。

まとめ

正直、あまり思い出したくはない過去ですが、僕は生きている限り前に進まないといけません。

どうしてこうなってしまったのか、次にこうならないようにはどうしたらいいのか、しっかりと言語化して次に繋げていきたい。

そして、これまでの生き方、考え方では苦しかったので、新しい自分で再出発したいという気持ちで思い出し、記録として残しました。

今回はここまで。

次回はカウンセリングを受けて良かったことについて記事を書きたいと思います。

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