[1分小説] レッテル(下)21歳
読み止しの『サキ短編集』にブックマークをはさみ、真依はカフェテリアの壁の時計に目をやる。
(そろそろ行かなくちゃ。)
文庫本をバッグに仕舞い、座っていた椅子から立ち上がる。
午後2時45分。
4限目の講義が始まったばかりのこの時間、ランチタイムには学生たちでごった返していたカフェテリアも、ぽつぽつと席が埋まっているばかりである。
(今日の相手は、初めて顔合わせをする人だ。)
真依は校門に向かって歩きながら考える。
レモンイエローを基調にしたジャージー素材の半袖ワンピースは、さわやかな風が吹き始めた今の季節にぴったりだ。ウエストからヒップにかけて、体のラインをほどよく拾うAラインのスカートの裾が、リズミカルに膝上で揺れる。
大学の講義の後に「デート」が入っている時には、皺にならない素材のワンピース、と決めている。
肩下まである髪は、いつも通り、ストレートのダウンスタイル。これが一番、清楚に映る。
*
初めて会う相手には、いつも以上に身が引き締まる。
それは初対面の人に人見知りをするからではなく、会ったその瞬間に「レッテル」を叩き込まなければいけないからだ。
一方的にその人物についての評価を断定的に決めるのが「レッテルを貼る」ことであるとするならば、貼られる前にこちらから「レッテルを 叩き込む」のも、ひとつのやり方である。
真依はいつの頃からか、そう学んだ。
それは「チャーミング」でも「エレガント」でも「セクシー」でも「ミステリアス」でも何でもいい。
はじめて対面した後の数秒間、一言二言、言葉を交わし始める頃には、目の前の相手が抱く、望みそうな何かに照準を絞る。
そして、その人にとって理想のヴィーナス像を演じる。
たかが2、3時間のことだ。必要があれば、その後は適宜、微調節をしていけばいい。
だから、どんな「レッテル」でも構わないのだ。
でも、中途半端が一番いけない。
埋めきれない余白があると、その隙間は向こうの手に委ねられてしまう。
できない役柄、求めていない肩書は、与えて貰いたくはない。
仕事の邪魔になるだけだ。
*
改札が見えてきた。
大学から最寄り駅までは徒歩で3分の距離である。
各駅停車しか止まらない小さな駅の改札を前に、真依は定期券をバッグから出した。
まもなく電車がホームに入ってくる、というアナウンスが流れてくる。
マイク越しの駅員の声を聴きながら、ふと思う。
(チャーミングでもエレガントでも、何でもいいけれど)
真依は人知れず苦笑する。
(でも、敢えて言うなら、)
仕舞わなきゃ、と思いながら、
定期券を右手に持ったまま、階段をすこし駆け足で登っていく。
(「ユーモラス」はやめて欲しい、かな。)
ホームに到着したばかりの赤い車体の電車の中に、
真依は吸い込まれていった。
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