[1分小説] きもち
月曜日の6限目の授業中、佐山 美弥子は、窓の外を見るともなく眺めていた。
『陽が傾くのが早くなったな』
終業のチャイムが鳴るまで、あと3分。
すでに宿題のページを終えた彼女は、ぼんやりと時間が過ぎるのを待つ。
中学生の頃、両親が離婚した。
「ママね、パパとお別れすることにしたの」
両親の壮絶な言い争いを見続けて数ヶ月が経つ頃、母親が口にした言葉である。原因はパパの浮気らしい。
「美弥ちゃんは、何も悪くないの」
あの時も、今日と同じ、秋の深まる10月の下旬だった。
「悪いのは、ドロボウさんなの」
あれから丸3年が経ち、高校2年生となった今。
美弥子は既婚者の男性と会うようになっていた―。
・
「今日も可愛かったよ」
車から降りようとする美弥子に、スーツ姿の男が言う。
否定するでも肯定するでもなく、彼女は恥じらうように小さく頷いた。
カーナビの時刻表示は、夜8時を回ったことを示している。
最寄り駅のひとつ手前。「いつものあの辺」で降ろしてもらい、駅に向かおうとした瞬間だった。
視線のすぐ先に、クラスメイトの瀬川がいた。
「お前、なんでこんな所いるわけ?」
路地で対面した瀬川は、案の定、美弥子に訊ねてきた。
『嘘でしょ・・・』
ー彼には、運転席の男は見えただろうか?
ー学校で喋ったりするだろうか?
『職員会議になったりしたら―・・・』
突然のことで、適当な返答が浮かばない。
しかたなく、黙り込んだ。
・
『問。既婚者との逢瀬のあと、クラスメイトの男子と鉢合わせて追及されたときの正しい対応を答えよ』
答えに詰まった美弥子を救ったのは、当の瀬川だった。
彼はなぜか、美弥子に、自身の恋愛相談を持ちかけてきたのだ。
「最近、俺、香澄とどうしたらいいか分からなくて」
教室で、美弥子のひとつ後ろに座る女子生徒・香澄。その子と瀬川が付き合っていることは、何となく知っていた。
でも、どうして自分にそんなことを訊くのか。
しかもこのタイミングで―。
「分からない」と口にする瀬川を見て、美弥子は『分かってるくせに』と思った。
『年頃の男の子だもの、』
だから、はっきり言った。
「それってつまり、エッチしたいってこと?」
部活帰りなのかジャージ姿の瀬川は、彼女の発言に、呆気にとられていた。
『形勢逆転、ね』
その時だった。
相手に対して余裕ができた美弥子は、自分の中の、ひとつの思いに突き当たった
『わかったかも、
パパを盗んだ "ドロボウさん" のきもちー』
「いいわよ。私、教えてあげよっか」
『ドロボウだわ、私―』
瀬川に対して、異性としての愛情はない。興味もない。
それなのにこんなことを言ったのは
『パパを盗んだドロボウに、私も近づきたかった』からー。
・
愉快になった彼女は、クラスメイトの男子の瞳をじっと覗き込んだ。
拒否する素振りを見せない瀬川に「カラオケボックスでいいよね」。
表情すら確認せず、美弥子は歩き出した。
彼はきっと、黙ってついてくるだろう。
『私がこんなことしたら、この恋人たち、どうなるんだろう――』
人は、簡単になびくのだ。特定の相手がいたって。
今日会った彼だって、パパだってそう。
でも――
『パパは何にも悪くない。私はずっと、パパの味方だよ』
どこからか吹いた夜風が、美弥子の制服のスカートの裾を、はらりと揺らす。
そんなことに気づきもせず、美弥子は軽い足取りで、暗い路地を抜けて喧騒へと歩みを向けた。
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