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國嶌りょう
2020年7月14日 23:23
最後の日の朝、消え入りそうな体を起こして、彼女は髪の毛をとかし、化粧をした。いままでで一番しずかな朝だった。透けるカーテンを見つめながら、彼女は「光の粒子の、一粒ひとつぶまで見えそうね」と言った。すべての準備が整うと、彼女はコップ一杯分の水をのみ、リュックを手に取った。まっすぐに玄関へ向かう。靴箱を開ける音、靴を落とす音、つまさきを交互に鳴らす音。ぼくは音の方へ近づく。彼女は
2020年2月12日 22:31
「なんかさ、亡くなっちゃったんだって。はやいよね、はやい」 いつもより饒舌な先輩の顔はほんのり赤い。テーブルの上には、もう少しで底をつきそうな赤ワインの瓶とグラス、空になった缶ビールが数缶転がっている。コンビニで買い込んだスナック菓子は、粗方彼女が食べてしまった。残っているのはミックスナッツが少量とさけるチーズが数本。 「ひとつ年上だから、27だよ。やっぱはやいわ」 ぼくは彼女の
2019年8月13日 22:33
「昔のことなんだけどね、わたし、知らないうちに懺悔されたことがあって」「ん、ごめん。全体的にわかんない。どういうこと?」「えっと、わたしにさせてしまったことに対して、ある人が負い目を感じたみたいなのね。でも、それはわたしが同意して行ったことだから、負い目を感じる必要はなかったんだけど」「……なんか、危ない系の話?」「ううん、危なくない、危なくない。芝居のなかの出来事だったんだけど、
2018年12月4日 23:22
彼女は酔うと、昔のことを話し出す。田中くんという、高校時代の同級生の話だ。 「彼は彼の心の中に温室を持っていたの。その温室は広くて、そこは温室というよりも、ひとつの世界だったように思う。どこまでも続いてた。そこには植物があって、動物がいた。濃くてみずみずしい緑の葉っぱを持つ木々があって、猫も犬も野うさぎも、鹿も、熊もいた。そこで彼は暮らしていた」 彼女は元々作家志望だったからか、言葉の扱
2018年10月28日 21:04
彼女は交通事故を起こしてばかりいる。アクセルを踏みすぎては前方車両にぶつかりそうになるし、時には一時停止線のはるか後方で急ブレーキを踏んで停まることがある。(なぜそんなに距離をあけてしまうのか?)並走している車にすれすれになっていたと思いきや、今度はえらく距離を取ってガードレールのほぼ真横をびゅんびゅん走り出すのだから、助手席に乗っているぼくからしたらたまったもんじゃない。 でも、事故
2018年10月24日 00:16
ももの皮を上手にむく方法、みたいなものをわたしは知らない。たぶんひとより知らない。その代わり、でもなんでもないのだけれど、現実からじぶんを切り離す方法をひとつ知っている。「え、どうやって現実からじぶんを切り離すの?」彼女の声は真剣味を帯びていた。秘密にする理由もないので、わたしは正直に、いつものじぶんのやり方を話す。「いろんな方法があると思うけど、わたしがやるのは境界線を見ること」