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わたしと彼女と
「昔のことなんだけどね、わたし、知らないうちに懺悔されたことがあって」
「ん、ごめん。全体的にわかんない。どういうこと?」
「えっと、わたしにさせてしまったことに対して、ある人が負い目を感じたみたいなのね。でも、それはわたしが同意して行ったことだから、負い目を感じる必要はなかったんだけど」
「……なんか、危ない系の話?」
「ううん、危なくない、危なくない。芝居のなかの出来事だったんだけど、わたしにスイッチを入れさせるためにショック療法的な手を使ったことがあって」
「危ないじゃん」
「いや、まあ、いま生きてるからいいんだよ」
「いいのかなぁ……」
「それでね、わたしはそのことを気にもとめてなかったんだよね。それで作品がいいものになるならそうした方がいいと思ってたし。というか、うまく切り替えられないわたしの力不足だったから。ただ、後で別の人から、“その人が教会に行って、わたしにさせたことに対して懺悔した”って聞いたんだよね」
「本物の懺悔じゃん」
「そう、本物の懺悔。それを聞いた時、わたし笑っちゃったんだよね。だって予想打にしてなかったし、そもそも悪いことをしたと思った時に教会に懺悔しにいく発想がなかったから、信じられなくって笑っちゃったの」
「そのひとクリスチャンかなんかなの?」
「ううん、まったく」
「……なんかさ、普通、悪いと思ってたら本人に謝るのが筋なんじゃないの?
こっそり神様に懺悔する、罪を自白して許しを得るのって、それって逃げじゃない?無傷でじぶんが楽になりたいだけだよね?」
「どうなんだろうね、そうかもしれない。でもわたしはそれでよかったんだよね」
「??」
「そもそも謝られたいと微塵も思ってなかったのもあるけど、当人に向かって謝る方がわたしは卑怯だと思うんだよね」
「えー」
「えー、のあとに、意味わかんないって言葉が見えた」
「うん、言いかけた」
「だってさ『あの時はどうかしてたんだ、ごめん』とか、『結果的に君を傷つけてしまった、すべて謝らせてほしい』とか、すごくさ、その時の自分を棚にあげてるじゃない」
「うん?」
「だったらさ、『反省はしてるけど、後悔はしてない。必要な選択だったんだ』っていう姿勢で居続けてくれないと、信じて背中を預けられなくない?」
「え、なに、闘ってるの?」
「え、闘ってるよ」
「なにと?」
「なにとって、なにかしらと。いや、小さなこととかさ、ちょっとしたミスのときはすぐに謝った方がいいと思うし、そうするよ。でもそうじゃない場合の話ね」
「うん」
「そのひとはさ、多分わかってたんだよね。ひどく傷つけたこと、痛めつけたこと、怖い思いを植え付けたことは、相手にどれだけ謝ってもなかったことにはできないってこと」
「ある意味、誠意のある人だったってこと?」
「誠意、誠意なのかな?自信ないや。
結局わたしの耳に、その人が懺悔しに行ったってことは入って来てて、わたしは結果その人を信頼することになった。でもそれってもしかしたら仕組まれてたんじゃないかって思う、そうやって信頼させるためにわざと耳に入れさせたのかなって」
「え、それ誠意とは程遠いじゃん。策士じゃん」
「ぜんぶ想像だからわかんないよ。でも誠意がなかろうと策士だろうと、少なくともわたしは直接謝られなくてよかった。懺悔を選んでくれてよかった」
彼女は心底、謝られなくてよかったと、思っているようだった。
わたしだったら?
謝られたいな。
だってそうじゃないと、お互いに前に進めない。
ごめんの一言で、水に流す、チャラ、さあもう一度始めよう。ということが生きている間中、起こり続けるんだと思う。
謝ることってコミュニケーションのひとつだ。
誰だって間違いを犯すし、間違えば迷惑をかけた相手には謝るほかない。
そこで謝ることを求めないって、じぶんはそれでいいかもしれないけど、相手はそのまんまじゃ進めない状態ってことでしょう?(そもそもそのことに彼女は気づいているんだろうか)
とかなんとか言ったら、「まず行動で示すしかないんじゃない」とか、「もっと自覚的になれないものなのかな」とか言いそうで、そうなったらもうわたしと彼女の間のわかりあえなさがまた深まってしまいそうで、やめた。
自覚的になれないよ、たぶん大抵のひとがそうだよ。そのことを実感できなくてもいいから、知ってほしいよ。
そうじゃないと、わたしたちのこの関係性もいずれ終わるだろう。
向かいの席に座る彼女を見る。
ふと、わたしがこの手を放したら、彼女はどうするのだろう。
追いかけてくれるんだろうか、それともなにもしないでただ見送って、そしておしまいなんだろうか。
同じ時間を過ごしても、ちがうという事実に気づかされるばかりだ。
そしてそれにいちいち傷つくことにも疲れつつある。
「……お願いだから、ぜんぶなくしてから気づいたりはしないでね」
テーブルに視線を落とし、言葉をしぼりだす。
「……そうだね」
彼女のコーヒーカップを掴む指先が、一瞬震えたように見えた。