お金の使いどころ(ここぞと言う時はバ〜ンと見栄を張る)
私のお金の使い方はもしかして変わっているのかも知れない。
いつもはケチケチ(否、無駄遣いがイヤなだけ)の値引きシールハンター(笑)だけど、そこでそんな金額使う?と多分思われるようなところでお金を使う。
気取った言い方をすれば
それがワタシの金銭哲学
です(笑)
1万円のお賽銭を入れたことがありますか?
ワタシは…………無いですよ(笑)
でも5000円ならある。今シェアハウスになっている、最初の戸建不動産が買えた後、物件近所の神社にお礼とご挨拶で封筒に入れた5000円を賽銭箱に入れた。
何かの節目に千円とか入れたりはすることはある。先日、半年空きだった単身用区分に入居した際、物件に一番近い神社にお参りしてお賽銭箱に千円を投入。入居者さまのお名前を言ってその方の幸せと平穏を祈願した。そして2日後、その千円は私のところに戻って来た❗️どんな形で戻って来たのかは、ちょっとここではナイショ(笑)
普通預金の残高が月末で4000円しかない時、その4000円を全部引き出してお賽銭箱に入れた事もある。その結果、面白い事が起こった。(それは最後に書きます)
また、モノの修理に結構な金額を出す。欠けたうつわは基本的に金直しに出す。傷んできた塗りの飯碗も漆職人さんに修理に出した。靴の修理に結果的にだけど、その靴を買った時以上の金額をかける。ダンナが20代の時に買ったリーガルのローファー、スーツを着る時もジーンズをちょっとおしゃれに決めたい時にも履くのにちょうど良いと、サイズが同じだった長男がもらい受ける事になった。しかし古かったので1.2度履くと靴底に穴が空いちゃった。靴修理の工房に持って行くと、「靴底の張替えで期間1ヶ月、17000円です」との事。結構するのね、と思いながらもそのまま修理を依頼した。それを長男に言うと「その金額あったら新しい靴2足は買えんじゃね?」確かにそうだわね〜。
あとは私が20代の頃に買った革靴。履きやすくて定番デザイン。素材が良くて、海外ひとり旅のときも履いて行ったくらいのお気に入りだった。傷んだらその度に靴底を張り替えた。3〜4回ほど靴底を張り替えたかも知れない。その革靴は結局修理を頼んでいた店が閉店したので最後は廃棄した。けれども結局、通算で25年くらい履いたのではないかな。
また以前は通勤時、雨が降ったらタクシーで職場に行った。こう言う一見無駄と思われるようなお金遣いが経済を回しているのだ、とその時は信じて疑わなかった(今はやってません) タクシーの運転手さんと「儲かりまっか?」的な会話をするのも面白かった。ちまたの生の景気動向を聞く事が出来るのだ。
そして前にも書いたけど、すごく良いタクシー運転手さんには、チップを張り込む。
あの時は現金を下ろす時間がなく、ちょうど家に居た長女にお金を3000円借りてタクシーに乗った。そして会計が2000円弱だったのを結局その時の有金の3000円を全部渡して「お釣りは取っておいて!」とタクシーを降りた。運転手さんのニコニコ顔🥸 後は歩きとイクスカ(仙台市の交通系カード)で帰宅した。
そして不動産関係で工事に入ってもらった時、割合まとまった期間の工事だと親方に「皆さんにも」と人数分のポチ袋を手渡す。中身は大した金額じゃないですが。一時期、物件のリフォームや修繕を日常的にやっていた時は財布の中にポチ袋を数枚常に入れてました。1日だけの工事でもお茶やビールとかは必ず手渡しました。
後は何かのお祝いの場に贈る「贈花」。必ず贈らなければと言うものではありません。今は受け取る立場によっては「付け届け」的なものは辞退される場合もありますが、時間が経ったら枯れてしまう花だと受け取ってもらえます。そうまでして贈りたかったんですよ、感謝の気持ちとして。
こう言うのこそ「お金を活かして使う」ことだと私は思うのです。そのお金を使う事で相手が笑顔になる。お賽銭の時はきっと神さまが笑顔よね? モノを修繕して使うのは笑顔とは違うけど、捨てないで済んだ大事にしていたモノは修理する前よりきっと輝きと価値を増しているハズ (と信じている)
ただの見栄っ張り?そうかも知れません。ホントにただの自己満足でしか無いと思います。だけど私はこれからもこういったお金の使い方を止めないでしょう。
で、最初に書いた有金全部4000円のお賽銭のその後。
その半月後のこと、不動産賃貸物件の検索でネットを見ていました。すると現在自家用に借りている駐車場の2軒隣りに空き駐車場があり、そこが現在の駐車料金より1ヶ月あたり4000円も安かった❗️直ぐに連絡してその駐車場を借りました。ちょうど4000円ですよ。これ何かの偶然?いえ神さまのお導きとしか考えられないでしょ?
でも毎回、賽銭箱にお札を入れるのはドキドキして、かなりの思い切りが必要です💦