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萩暮らし7日目【明倫学舎を訪問】萩市の「豊かな暮らし応援課」で懇談(4月25日)
「お試し移住」で山口・萩に到着してから7日目を迎えました。だんだんと土地の空気に慣れ、生活圏を巡る中で「どこに何があるか」が判り始めてきた感じです。そこで、きょうは萩市の観光・探訪の起点(拠点)として萩市が整備を進めてきた「明倫学舎」や、萩市役所を訪れて話を聞きました。
ずっと曇り空や小雨がぱらつく日が続いていた天気でしたが、昨日に続いて青い空。この日は、萩市中心部にある「明倫学舎」を訪れ、昼食の後で施設内にあるコワーキングスペースでリモートワークをしてから、萩市役所の「おいでませ、豊かな暮らし応援課」を訪問します。
路線バスを使って萩中心部へ
きょうはJR三見駅前、つまりお試し移住の専用施設である「さんちゃんち」の前にある停留所にやってくる路線バス(運営は山口県周南市に本社を置く防長交通)に乗って、萩の市街地へ向かいます。JR山陰線の列車内では「Suica(スイカ)」や「Pasmo(パスモ)」などの交通系ICカードは使えない区間なのですが、バスは交通系ICカードが利用可でした(しかし、ついこちらに来てからの習慣でバスに乗る際に整理券を取ってしまったのですが…)。
明倫学舎は萩市役所の目の前(向かい側)。かなり大きい!
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明倫学舎とは、萩藩の「明倫館」の跡地にたった旧・明倫小学校の校舎。歴史を感じる木造建築ですが、必要な補修などがされているので中はキレイ。それでも趣があって、なんだか心が落ち着く空間です。
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この日は外周部分をボランティアで掃除されている方々がいらっしゃいました。勝手がわからず、「入口はどちらですか?」と質問すると、自ら案内していただいたうえに、「この明倫学舎の裏側に今の小学校があります。つい数年前まで、この建物(明倫学舎)で小学生が勉強してたんですよ」と、歩きながら教えてくださいました。
明倫学舎ではランチ&お土産も
入口近くから奥に向かって1号館~4号館まで、ほぼ同じ形の横長の建物が連なっています。まずは1号館の入口横にある「売店」(土産もの売り場)をチェック。おいしそうなお菓子を見つけたので後で買うことにして、カフェレストラン「萩暦(はぎごよみ)」でランチ。場所は売店のすぐ隣、1号館の入り口を入って右側です。萩暦ランチセットをいただきました。
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鶏のから揚げが1個だけ入っていますが、それ以外は魚と野菜。お刺身もついて満足度◎です!
個人的には魚のフライ(写真左上、グリーンのソースがかかっている)が特に気に入りました(魚の種類がわからず、ちょっと残念)。
そして、売店でブランデーケーキとシューラスク、エンガーディナーを購入。
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この「蔵人仕込み」というブランデーケーキは、「KEN MATSUICHI」というブランドで株式会社松栄堂(山口県萩市)が製造しています。生地はアーモンドプードル多めの軽い感触で、適度にしっとりしながら甘さは控えめ。ブランデーの風味がしっかり感じられる、まさに大人の味。半分に切ろうとすると、生地にひたひたのブランデーシロップがじゅわっと滲み出てくる感じが、これまた良し。
使いやすいコワーキングスペース
そして明倫学舎の4号館にあるコワーキングスペース「MeiLink」へ。この日は利用者が私たちのほかには2〜3人いました。ネット速度は快適そのもの。Zoomなどの使ったオンラインでの会議・打ち合わせも難なくこなせそうです。オンライン会議の利用者向けのブースもありました。
コワーキングスペースの隣には、萩市の移住・定住を促進する組織である「はぎポルト」のオフィスもあります。
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この後も、この萩市運営のコワーキングスペースは何度かお世話になります。利用料は1時間あたり200円。明倫学舎4号棟にある受付で氏名・住所などを登録して、利用カードを発行してもらいます。入退室には、受付・利用登録時に渡されるカードキーが必要になります。
萩市「豊かな暮らし応援課」を訪問
仕事を済ませた後は、いよいよ萩市役所の「おいでませへ、豊かな暮らし応援課」へ。部署名ですが、素敵なネーミングですね。萩市役所は外観もですが、内観も風情があって素敵な建物です!
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そうそう、萩市は「景観条例」が定められているため、高さ13メートル以上の建物は少なく、街中にある商業施設の看板も低くなっていて、原色が使われることは、ほぼありません(例えば「ユニクロ」の看板も白地に臙脂色に近い赤、になっています)。
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「おいでませ、豊かな暮らし応援課」のOさん、Eさんのおふたりとお話ししました。Oさんは地元・萩出身で、クールな外見ながら夏祭りなどでも地域チームを差配しておられるような熱い感じの方なようです。Eさんはご自身が福岡県から萩市に移住してきた“移住経験者”だそうです。
事前に希望していた文化観光施設の方との面談について詳しくお話し(お願い)し、滞在中にお時間をいただけることになりました。これまでに萩市内への移住された方の実例なども教えていただき、希望すれば直接話を聞く機会を設けてくださるとのこと。
私たちはちょうどGWを含む期間に滞在しているため、「休日にお願いするのも申し訳ないな」と遠慮しましたが、米国の超大手IT企業の日本法人(東京都)に勤務しながら、萩市に家族でUターンしてフルリモートワークで働いている方もいらっしゃるそうです。
三見地区にも古民家を買い取って自らリノベーションし、地元で定期的に「市」を開催している移住者もいらっしゃるそうです(以下の「さんちゃん通信」を参照)。いつか訪ねる機会があったら「お話ししてみたいな」と思うのでした。
【コメント by M 《2024/4/25》】 萩と鉄道と夏みかん
この日はスーパー「アトラス萩店」で買い物などを済ませた後、JR萩駅まで歩いて(徒歩20分ほど)、三見駅舎まで帰ってきました。
萩駅舎は1925年(大正14年)に建てられた洋館風の駅舎で、現在はその中に「萩市自然と歴史の展示館」もあります。
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長州藩というか萩の出身で、明治期に日本初の鉄道路線(新橋―横浜間)の開通を指揮し、日本の「鉄道の父」と呼ばれた井上勝(1843〜1910年)を顕彰した銅像も立っています。
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さて、萩市の鉄道路線を見ると、おもしろいことに気づく。萩市は「阿武川」の河口に位置する三角州が中心部であり、昔ながらの城下町や官庁・商業施設、中心街がある。阿武川は三角州の手前で北へ分岐して海に至る「松本川」と、三角州の南を通って海に流れ込む「橋本川」へと分かれる。
そして、鉄道はこの三角州をぐるりと取り囲むようにして敷設されている。中心部である三角州の中には入り込んでいなくて、駅もまったくないのだ。
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鉄道(JR山陰線)が河口にある中洲(三角州)を迂回するように巡っている
これについて、萩駅に併設の「自然と歴史の展示館」の方によると、「モクモクと煙を吐く鉄道(明治の頃なのでSL=蒸気機関車だっただろう)が美しい萩の街の中を走るのは『まかりならん!』と当時の偉い人(だれ?)が反対し、萩の中心部を通らないルートに鉄道が敷設された」と話してくれた。
一方で、萩市は「夏みかん」や、後の時代には「甘夏」の一大生産地となった。これは、明治維新後に食べられなくなった武家の窮状を救うために栽培が奨励されたという。1876年(明治9年)に北九州は小倉の権令(県知事に相当)だった小幡高政が萩に戻って旧武士たちに夏みかんの苗木を配って栽培を推奨したことから始まったとか。萩市民なら小学生で習って、皆が知っている話のようである。
育てやすく換金しやすい農作物として、夏みかんの栽培を推奨したため、その夏みかんを集荷しやすくするために鉄道を周囲に張り巡らせた、という説もあるという。実際に、夏みかんを集めて萩駅や東萩駅などに送り出すための鉄道支線(引き込み線)も多数あったそうだ。
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こうした夏みかんは、その後の明治期の北海道開拓時代に、ビタミンC(というか果物全般)が足りなかった現地・北海道に運ばれて売られ、相当な財をなす人たちも出てきたとか。――いろいろと勉強になる話が多い。
ちなみに私・Mは、萩市に行くまで夏みかんの栽培がこれほど盛んだとは思っていなかった。柑橘系でもミカンといえば愛媛県とか静岡県、ユズや文旦なら高知県、というイメージを持っていた。
実は、夏みかんの最初の木は萩市の西隣にある長門市の青海島に位置する大日比地区にあるという。
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長門市方面に行った帰りに時間があったので青海島をウロウロしていたところ、偶然に見つけた、というか出会った。江戸時代中期(約300年前)に大日比の海岸に流れ着いた果実の種を、地元の人が植えて育てたのが始まりとされている。
私たちが萩市にいた頃はちょうど、夏みかんの花が咲き始め、満開になっていく時期だった。芳しい香りを放つ夏みかんの花は、萩市のあちこちにあるため、萩の街中が甘い芳香に包まれていて、本当に“桃源郷”(桃じゃないけど)にいるような感覚が続いた。これはステキな体験だったなぁ。
◆あす8日目は、松下村塾と松陰神社へ。