『三島由紀夫は何を遺したか』に学ぶ信頼関係の本質とは?
実家の父が、しばらく前に手術をしました。命に関わるような手術ではなく、術後も順調。何も心配することはないのですが、やはり年齢もあってか、食欲が落ち、すっかり細くなってしまいました。
何か差し入れをしようにも、「あまり食べ物を見たくないんだよ」と言い出す始末です。
若い頃から身体を使って働いてきたお陰で、年齢の割にたくましく、がっしりとしたイメージが強かっただけに、急に歳を取ってしまったように感じます。
何か元気が出る物を持っていってあげたいと思っても、食べ物やお酒以外となると何も思い浮かびません。
考えあぐねていたところ、SNSの投稿で、櫻井秀勲著『三島由紀夫は何を遺したか』(きずな出版)を目にしました。
きっとこれなら喜んでくれる。
体を休める時のお供にもなるだろう。
父は若い頃、三島由紀夫さんに傾倒していたようで、幼い私は、何度も、その生き方や美学、特に、死ついて聞かされていました。
父がどんな話をしていたか、詳しい内容は記憶していませんが、坊主頭に鉢巻きを巻いて、手を振りかざしながら叫んでいる姿をテレビで見た時に、この人はスゴい人なんだな、と思ったことは覚えています。
『三島由紀夫は何を遺したか』は、私にとって、まるでドラマを観ているかのような本でした。
読んでいると、頭の中で勝手に話のワンシーンが浮かんできます。
ちょっと懐かしい昭和デザインのスーツを着た男性が、昭和っぽいオフィスでやりとりをしている。次の回想シーンでは、白黒の荒い映像が流れる。
またシーンは飛んで、当時は珍しかったであろう猫足のテーブルや椅子が並ぶクラシカルな室内へ。
そんな感覚を何度も味わいながら、あっという間に最後まで読み進めてしまいました。
筋肉質な三島由紀夫さんと、編集長であった櫻井先生が、ソファに向き合って座り雑談しながら、隣にいる奥様を笑わせているシーン。
高級感漂う空間でステーキを食べる時、フォークとナイフを手に、お二人が顔を寄せ合って話しているシーン。
とりわけ、冬の朝、櫻井先生を自宅の庭に呼び出したシーンでは、太陽の光の中で笑う三島由紀夫さんの描写に、怖くて難しそうな人というイメージが、ガラッと変わってしまいました。
さらに(詳細は避けますが)、中陰から逆算した自決説を読んだ時には、ドラマだってこんな伏線は張れないだろうと、思わず息をもらしました。
父が憧れていた三島由紀夫とは、こういう人だったのか。
「こんな日本人はもういない。」
父がそんな風に言っていたことを思い出しました。
この様に書くと、まるで気軽な本なのかと誤解されるかもしれませんが、それは全く違います。
太宰治、川端康成、谷崎潤一郎、松本清張といった名だたる登場人物。
三島由紀夫本人の手書きによる生原稿や、創作ノート。
年代に沿って当時の様子が書かれた歴史書のような存在でありながら、まるで、物語のように起こった出来事の情景を描く。
だからこそ、読みながら、頭の中に映像が浮かんできたのかもしれません。
ただ、このような穏やかな時間が流れていたのは前半部分のみでした。
途中から一気に、文章の重さと、スピード感が増していきます。
『三島由紀夫は何を遺したか』は、自決や死という言葉が度々出てくるにも関わらず、不思議と人間味を感じる本でした。
読んでいる最中は、本当に様々なことを考えさせられたのですが、読了感が温かいのです。
それは、お二人の間に、強い信頼関係があった上で書かれているからなのだろうと思います。
「文学については語ってくれるな。」
初対面の時に、三島由紀夫さんと交わしたこの約束を、櫻井先生は、最後の最後まで守ったと書かれています。
初めて会った時の約束を、亡くなった後まで守り通す。そんな人間関係が持てたなら、どれほど心強いことでしょう。
信頼とは、信じて頼ると書きます。
相手を信じるだけでなく、頼ることができてこそ「信頼」なのです。
この時に、私たちが信じるべき人間は2人います。
1人は相手。もう1人は自分です。
誰かに頼るには、「自分は、受け入れてもらえるだけの価値がある人間だ」という自分自身への信頼が必要になってくるのです。
「櫻井君、きみには女性について教えてもらいたい。その代わり文学については語ってくれるな。」
女性のことに関して、まるごと頼った三島由紀夫。
初対面での約束を最後まで守り通した櫻井秀勲。
お二人のような信頼関係こそが、これからの時代、本当に価値あるものとなっていくのではないかと思いました。
今、時代は大きな転換期を迎えています。
地の時代から、風の時代に移り変わったという話を聞いたことがある方も多いでしょう。
時代の変化の一つとして、「物質的な価値」が豊さの象徴であった時代から、「人間そのものの価値」が問われる時代になっていく、と言われています。
これまでは、地位や財産、お金を持っている人が、偉い人、価値ある人だと思われてきました。
でも、これからは、人としての精神性や知性、情報力、影響力、信頼、人との絆といった、目に見えないものこそが「人間の価値」となっていくのだろうと感じています。
「人間が人間を信頼するときに必要なものは、年齢でもなければ社会的地位でもない。その人の歩んできた道なのかもしれない。」
この一文にこそ、価値観が大きく変化し始めていく時代の中で、大切にしたい「信頼の本質」が詰まっているように思いました。
さて、父は久しぶりに三島由紀夫に触れ、どんなことを思うのか。
感想を聞くのが楽しみです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?