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豆の上で眠る(読書記録)
こんにちは。こんばんは。みかんっ子です🍊
今日はすごく風が強かったですね。ビュンビュン聞こえてくる風を
家の中からぼんやりと眺めていた穏やかな土曜日でした。でも春って感じの風でちょっとうれしくなりました。あぁ公園でてりたま食べたいなぁ。
今日は、最近読んだ小説 湊かなえさんの『豆の上で眠る』の話をしようと思います。
ー-------簡単なあらすじー-------
小学生のころ、仲良く暮らしていた姉が突然失踪する。母も父も親戚も警察も必死になって探すが見つからない。
2年後、急に姉が見つかったと連絡が入る。しかし戻ってきた姉に妹は違和感を覚える。これは姉ではない。今目の前にいるのは、誰なんだ。
そして時がたち、知ったのは、前の姉と新しい姉は、まったくのちがう人物であること。そして2人は元々生まれたときに産婦人科で両親を交換されていたという事実。失踪前の姉とは、血がつながっておらず、失踪後の姉が本来の血のつながった姉だったのです。
ー-----------ー-----------
この話は妹視点で常に語られます。設定も特に複雑というわけではありません。そして、産婦人科での赤ちゃんの取り換えも珍しい物語というわけではない。
でも、過去と今を交差しながら進んでいく物語、徐々に明かされていく新事実。テンポよく、そして不気味に、飽きさせない展開にまさにページをめくる手がとまりませんでした。湊かなえさんの技巧に圧巻です。その技巧の中で、読者はたくさん考えさせられます。
特に最後のシーン。「ほんものってなんですか。」
物語の中で、警官に妹が問う。しかしこれは、読者に投げかけているのだと直感的に感じました。筆者はこうすることで、読者に読み切ったあとに考えてもらいたかったんじゃないかと思います。そして私もたくさん考えてしまいました。
血がつながってないことが偽物で、血のつながっていることが本物?
そんな表面上の話じゃなくて、もっと深くまで思考をのばさなきゃいけない話。どうしたら本物といえるんだろう。ずっと一緒に時間を共有すること?周りが認めること?ほんものって難しいなぁ。
私は家族と血がつながっている(おそらく)。でも、それだけでほんものの家族っていっていいのかな。周りの友達は、私のことほんものの友達だと思ってくれているのかな。
まだ私には、ほんものはこれってわからないけれど、これだけはいえる。
ほんものに囲まれて生きていたい。自分のなかで自分をごまかしながら生きていきたくない。周りの人も、そして自分自身も。
自分がもっともっと年をとったとき、自分の子どもに偽物をたんたんと教えてしまう母親にはなりたくないもんね。
読み終わった後にも考える楽しみをくれる湊かなえさんの『豆の上で眠る』みなさんもぜひ。