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修学旅行の結末は十数年後に

 大人になってみて、修学旅行というものの意義について考えることが度々ある。
 おそらく、学業の延長の意味を持たせられているのだろうが、学生からしたら「学年の皆とわいわいオフィシャルトリップ」以外の意味を持たないだろうと思う。
 私は高校二年生のとき、修学旅行で京都奈良大阪に行ったのだが、例に漏れず、ただわいわいやっていただけで、歴史的な建造物を目にしても「銀閣寺、銀じゃない」「東大寺の大仏のパーマひと巻きがキャベツ一個分のデカさ」というどうでもいい知識だけをスカスカの頭に差し込んで帰ってきたものだ。
 東北に帰還してから、ふと、歴史的建造物に対して抱いたのは「さすがに金閣寺は金をやりすぎている」「あんなに下品な寺があっていいのかよ、京都のくせに! まったく、恥ずかしい!」という、謎の憤慨だった。今考えれば京都府民だって、どチャラい豪華絢爛、瑞鳳殿やら瑞巌寺やらを擁する伊達の国からやってきた未開地のハナタレJKに言われたくないだろう。
 ちなみに、瑞巌寺は近年、これまたアホみたいなレインボーライトアップで派手さを演出していて「マジで伊達の意志を継ぐ者たちの所業」って感じで最高だ。ぜひ観にいってほしい。

 話は戻って、修学旅行だ。
 修学旅行の定番といえば清水寺だが、そこにある音羽の滝とかいう滝で、一つ、思い出とも言えないレベルの思い出がある。
 その滝は三筋に分かれていて、そこから柄杓で水を汲んで飲むことができる。それぞれ「学業」「恋愛」「健康」、叶えたいお願いに該当する筋の水を汲んで飲むのだ。
 私がいた高校は、「自分はそれなりに勉強はできるはず」と思い込んでいる無能が多い高校だったため、皆、周囲の様子を伺いながら当たり前に「学業」の水を飲んでいた。
 私は、「水飲んだくらいでどこも受からないだろ、大概バカなんだから」と笑い、隣にいたAに「いや、お前もね」と笑われた。
 私を含む女ゴリラ軍団は、
「何飲む?」
「愛、愛に決まってる」
「へえ、言い方キモい」
「ウチはね〜健康にしよっかな。学校の先生になりたいし、長生きしたい」
「だったらまず学業飲めば?」
 などと集団で各々好き勝手に会話しながら、皆が順繰りに滝から水を飲む様子を眺めていた。

※女ゴリラ軍団の様子は以下からもうかがえます。

 私と同じ部活だった理系クラスのWさんという男子が、滝の前に立つ。
 Wさんは「自称進学校の勘違い野郎ども」とは一線を画していて、本当に頭がいい男子だった。当然、学業の水を選択すると思われていた——。

 滝前にどよめきが起こる。わあ! Wさん! などとWさんコールが、理系クラスの男子から湧き上がった。

 そう、Wさんは恋愛の水を、少しはにかんだ笑顔で汲んで口にしたのだ……!
 皆が人の目を気にして置きにいった行動をする中、Wさんの行動力にそれはもう、我々ゴリラ軍団も大いに沸いた。
「きゃー! Wさーん!」
「漢の中の漢〜!」
 などと、ほとんどWさんと関わりのない女ゴリラたちも皆、ノリだけで沸いた。
 私は知っていた。Wさんが、同じ部活のE先輩のことが好きなことを。いたずらに本人からE先輩への好意を聞き出し、無責任に「告ろう、Wさん!」などと焚き付けてもいた。私が一際大きな拍手と歓声(周囲から見たらゴリラの野次)を投げかけていたのは言うまでもない。
 余談だが、Wさんはその後、E先輩と無事に付き合い、そして旧帝大に合格するという快挙を成し遂げている。恋愛のみならず、Wさんは全てを手にした。
 満を持して、女ゴリラ軍団に滝の水を嗜むターンが回ってきたのだが、誰がどの水を飲んだのか、私はさっぱり覚えていない。おそらく、女ゴリラたち以外の周囲もほとんど気にしていない。
 なぜならば、女ゴリラ軍団がどの水を飲もうが、なんの意外性もないからだ。
 恋愛の水なんて積極的に飲みそうだし、まあ、学業の水で置きにいく奴もいそうだし、突然健康に気を使う奴がいそうな気もする。そんなもんだから、周囲はもとより、ゴリラのコミュニティ内でも、誰が何を飲むかなんてどうでも良かったのだ。
「そうちゃん、何飲むの?」
 置きにいって学業の水を飲んだNちゃんが私に訊いた。
「えっとねー、どうしよう」
 私は曖昧に答えて、三つの筋に分かれた滝を眺める。
 十二月の京都だ。吐く息はわたあめみたいに白く口の前にモヤをつくる。寒い。きっと滝の水は冷たい。
 そう思った瞬間、思い浮かんだことがあった。きっと人生のチャンスは思ったよりも少ない。ということだ。
「全部」
「は?」
「私、全部飲むわ」
「ええ〜、いいの? それ」
「良くね? 次々湧き出てるし、水」
「たしかに。そうちゃんが全部飲んでも問題ないのか」
「そういうこと」
 そうして私は、三つの筋から流れる水をドボドボと柄杓に全部入れて、全部飲んだ。部屋は散らかしているくせに、変に潔癖なため、健康の水で一度柄杓全体をゴシゴシと流してから飲んだ。
 別に、学歴も恋人も健康も、心の底では何一つ、欲しいなんて思っていなかった。自分が欲しいものを理解できない未熟な奴ほど、たくさんのものを欲しがるのだ。
 全部の水を飲んだ私を見て、皆が笑った。お調子者の私も、大いに笑った。
「バカだね〜。全部飲むと、何も叶わないってガイドさん言ってたじゃん!」
 女ゴリラ軍団の構成員、Eが笑って言う。私は「マジで!」なんて大袈裟に驚いて見せる。
 ガイドさんの話なんて全然聞いていなかったけれど、どうでもいい。学歴も恋人も健康も、高校二年生の私には、願うほど重要なものではなかったから。とりあえず、全部を飲んでみることが重要だった。

 だってきっと私、もう一生ここの水飲まないし! 興味ないし!

 何も手にできないと言われて、私はまた笑った。箸が転がっても、雨が降っても、滑って転んでも、それでも笑える年頃の女の子が集まっているのだ。ただ「バカ」と言い合って笑った。
 たくさん笑った私は、清水寺の敷地内の緩やかな坂を下りながら、唐突に思った。
 大学は、少し、遠くに行こう。仙台とか、東北じゃなくて、家から通えない場所に行こう。あんまり、私のことを知っている人がいない場所。なんの意味もなくても、今みたいに、雑に笑っていられる場所に。
 見識の狭い子どもが願うのは、いつだって、浅はかな自由だ。
 いろんなものを手にしたら、自由じゃなくなってしまう。だから私は、一つ一つ、荷物を手放していくんだ。
 そんな風にあっけらかんと尖って生きていた私には、いろんなものを手放して、いろんなものを手にして、たくさん仕事をして、結婚して、子どもを育てて、また仕事をして、そうやって、気がついたこともある。
 重い荷物を背負うことで、自由になれることもあるのだと。

 今の私が音羽の滝に行ったら、何の水を飲むのだろう。
 多分私は、
「飲まなくていいや。喉乾いてないし」
 なんて言って、「そういう問題じゃねえし」と皆に笑われるのだ。


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