【夫婦】深まっていく夫婦と私のリアル
私「昨日の夜はスネて当たってごめんね。」
夫「そんなみかんちゃんもかわいかったよ。」
そう言った夫にキスをして、今日はミルクティーにしようとキッチンに向かった。
いつものやつ
ミルクティーをつくりながら、頭の中は昨日のことでいっぱいだった。
夫は余裕あるなぁ。
昨夜、私は泣いて気持ちをぶつけたことでスッキリして寝たけど、夫はもしかしたら自分の中で一生懸命折り合いをつけたのかな。
それとも、いつものやつだから、感情を爆発させたら落ち着くパターン、とでも思ってうまく流したかな。
私には時々何かをキッカケに感情が爆発してしまうことがある。
そういうときは大抵理由がない。
日々の積み重ねの中でのチリツモ感情があふれるんだと思ってる。
涙が止まらなくなって、この世の終わりかと思うほど泣く。
ひどかったのは結婚した頃。
転職して、慣れない2人の生活が始まって、と新しいづくしで心が落ち着かなかった。
その気持ちを目の前のテキトーな問題と結びつけて、夫がもっと協力しないからいけない、なんて夫をよく責めた。
その頃の2人の関係は新婚なのに距離があったと思う。
夫は自分と2人の関係を守るために私と一線置いてたし、私は私でそれが苦しかった。
そんな私が、夫のせいでも何でもない、私の感情処理のスキルが下手なだけだと気づいたのはいつだったか。
それに気づいてからは今までの至らなさを謝り、今後はうまく処理していけるように気をつけるけど苦手だから一緒に考えてほしいし、見守ってほしいとお願いしたっけ。
ちょっと大人な関係に進めたキッカケだったと思う。
感情的になったときは自分が何か困ってるときなんだって自覚して、感情をぶつけるんじゃなくて相談するってやり方に変えたんだよね。
で、それをやれるようになって初めて、次男の療育で言われていた
「不適切行動を適切な形に誘導する」
の意味を実感したんだった。
コレじゃんって。
今はその爆発の頻度は激減したけど、時々やっぱりくる。
PMSなタイミングのときもあったし、今回はそれとは違いそうだった。
昨日は夜遅くに仕事から帰宅した夫の顔を見て、涙があふれた。
話しながら、理由は少し思い当たることがあった。
三男の療育センター心理の受診と、翌日の朝早くからの長男の受診がぶっ続けであること。
特に長男の受診は転院して初めてだし、朝早いことへの不安と、かなり遠いから車で高速にも乗るつもりだけど間に合うか道を間違えないか心配なこと、用意する資料がまだ用意できてないこと…そんな不安があったからね。
うまくいく気がしないとき、私は落ち着かない。
うまくいかなかったときにどう対応するか、を考えたら落ち着くのかな。
感情の不思議
夫の心はいつも見えない。
察せられるのを嫌うのか、元々表現が苦手なのか。
いつか言ってたな、
夫「感情は外との闇取引だ」って。
私にはこの言葉、衝撃的だったのよね。
そんなふうに考えたことなかったもの。
感情を伝えるってワクワクすることって思ってたから。
でも確かに、ジッと相手の出方を見ながら自分の出し方を考える…そういう世界もありそうだ。
夫はそういう中で自分を律して生活してきたのかな。
ビジネスって特にそうかもしれないね。
でもね、一見とてもクールな夫なのだけど、何かを愛でる気持ちとありふれた日常に幸せを感じる心はひといちばいある。
そのギャップ萌え。
そしてどちらも私にはないもので、何年経っても夫が攻略できなくて、見ていて飽きなくて。
飽きっぽい私が夫に飽きずに日々暮らせるのは、そういうわからない一面がまだまだいっぱいあるからだと思う。
感情はワクワクするもの、そう捉える私に少しクセがあるな、とこうして言葉にして向き合って気づく。
つい何でも楽しいもの、ワクワクするものに変えてしまおうとする。
それはとても魅力的でもあるのだけど、ワクワクに変換できなかったネガティブが、チリツモで募ってしまうのかもしれない。
過去に何度もnoteでネガティブを抱きしめてきたつもりだけど、やっぱり苦手なのだろうなと思った。
感情って難しいよね、湧き上がってくるものだから。
感情をコントロールしようとしたら、湧き上がってきたものではなくて、湧き上がる前の前提を変えなきゃ無理だ、と私は思う。
期待するから叶わないとつらいのだし、当たり前と思うからできないと劣等感を感じるんだ。
夫はそこらへん、とてもストイックだと思う。
期待していないし、あるものを大切にできている。
夫から学ぶこと
私と夫は全然違うタイプの夫婦だと思う。
夫はあるもので心を温められる人。
私は何かないと心が温まらない人。
私は付き合い始めの頃、夫の刺激のなさに落ち着いて、同時に夫の刺激のなさが不満だった。
自分ってなんて都合いいんだろう。
理性で納得しようと思ったけど、心は無意識に夫にいろんなことを求めてた。
何かないと不安だった。
私に愛があるのならわかりやすく表してほしいと思ったし、求めてきて欲しかった。
結局、私が我慢できずにアレコレ夫に迫っていった。
今思えばなんて動物的(笑)
それがあったからこそ今があるのだと思うけれど、ちょっと恥ずかしいよね、今思い出すと。
夫を理解するようになって思う。
夫は目の前にあるもので、心を温められる人なんだってこと。
目の前でワチャワチャ動く私を見て、人知れず心を温めていて、少しずつ愛おしさを積み重ねていってたんだと思う。
今、夫は私への愛おしさであふれていて、私が何をしても動じない。
どんな私でも愛おしい、に変わってしまう。
すごすぎる。
そうやって、夫はコツコツと人知れず積み重ねていくことが得意だと思う。
どうしようもない不安感は変化のチャンス
私は今、ベースがとても不安定。
外部からのちょっとした刺激でもグラッと大きく揺れてしまう。
それは今まで自分がいいと思ってきた価値観に新たな価値観が加わって、いろいろ葛藤してるからだと思う。
今まで見えなかった夫の良さ、すごさを理解して、私もそうあることができたらいいのにって思う気持ちもある。
一方で私の良さも再確認してる。
すぐに動ける、楽しく過ごせる、人間味あふれる、理解したいと頑張れる、そんな私はステキだよ。
でも自信ない。
まだまだ結果重視の「何かないと心温まらない」って性質が、何にもないのはつまんないって叫んでる。
なんかこうやって言葉にしてると遅くやってきた「モラトリアム」?
そういう葛藤ってなかったもんなぁ、私。
常にやるべきことに突き進んで、うまくいかなくても自分を責めて奮い立たせて、とにかく頑張ることでしか生きてこられなかったもんなぁ。
なんかちょっと欠陥人間なのかな?って落ち込んだときもあったけど、それも味わいのひとつだよね。
今の葛藤がもっと前にあったら、私多分死んでるわ、自分の中で処理しきれずに。
だから今なんだと思う。
そのモラトリアム、そして新しい自分の確立をジワーーンと感じながら、今はできることをコツコツ積み重ねていくしかないよね。
夫のようにコツコツコツコツ。
思えばいろいろあったよ。
もう夫とはダメかもなって思ったこともたくさんあったし。
でもギリギリのところで踏ん張って、続けていくことを選んで、今がある。
私の場合、違う道を進んだところでおんなじ壁にはぶつかっていただろうしね。
そう、自分の中での達成すべき課題はいつでもカタチを変えてやってくる。
越えられないときは避けてもいい。
向き合えるようになったどこかのタイミングで越えたらいいんだ。
今、私はやっと自分と向き合うタイミングがきたんだと思う。
それは夫との関係や子どもとの関係がそれなりのカタチに落ち着いて、自分の役割がひと段落したからなのかもしれない。
昨日の夜の涙は、きっと私の脱皮。
すぐ泣く自分が嫌だったけど、涙の数だけ大きくなってるんじゃないかな。