【note】自分が求めている感覚を知る
今、この瞬間、自分はどんな感覚が欲しいと思っているのか。
noteを書いたりコメントをしたりしていると、リアルで生活している時よりもハッキリとその感覚が浮き彫りになるのを感じた私。
自分が求めている感覚がわかると、自分を喜ばせる方法もわかるよね。
感じたことをまとめてみようと思う。
自分のコメントの傾向
私がコメントをしたくなるとき、というのは
①記事の内容にとても共感した
②記事の内容と同じ経験があって伝えたくなった
③記事からヘルプを感じて声をかけたくなった
④交流がある方で、コメントを残したくなった
⑤記事が感動して、コメントを残したくなった
という感じ。
この中で私が、失敗した、と思う確率が高いのが②と③で。
なんでこんなに心が痛むんだろうと思ってて。
そういう心が動く何かがあるって、自分を知るヒントになるじゃない?
ずっとなんだろうなーって考えてたの。
求める感覚と違うと違和感がある
私なりの分析だけれど、人は今この瞬間、どんな感覚がほしいかっていうのが無意識にあると思うの。
特に何も求めていないって言う人もたくさんいると思うけど、何かを求めているとき、大体3つに分かれるんじゃないかな、と。
「背中を押されたい」
「共感してもらいたい」
「自分を深めたい」
「背中を押されたい」っていうのは、上とか前に「進みたい」ってとき。
一歩踏み出すのに不安で勇気が必要で…そのままのあなたで大丈夫!とそっと背中を押してほしい感じとか。
「共感してもらいたい」っていうのは、現状をそのまま認めてほしいっていう「その場で包み込まれたい」ってとき。
自分のこと自分でオッケーって言えなくて、誰かにそのままでいいよって包んでほしい感じとか。
「自分を深めたい」というのは、目に見えない部分に潜っていくような、そう、下の方にいくイメージで「内側を見つめたい、知りたい」ってとき。
自分を大切にしたいけど、そもそも自分ってどんな人間なの?がわからなくて、前に進むよりもまずはじっくりと自分の内側に向き合いたい、とかね。
モヤモヤってしてるとき、大体が進みたいのか包み込まれたいのか深めたいのか、どの方向の感覚を望んでいるかってあるんじゃないかな。
以前の私は「共感してもらいたい」がものすごーーく強かったと思う。
だからコメントするとき、無意識に共感が強く出てて。
そのままの相手を包むようなイメージで言葉を選ぶ、みたいな。
それがいいことって思ってた。
多分、自分が共感を強く欲してたからじゃないかな。
あとは文章を読んだときに、この人は私と同じで「共感してもらいたい」人かもしれないって、ビビビッて無意識に感じて、感じるがままに共感コメントをしてしまったり。
それがいつしか自分が共感コメントをすることに違和感を覚えるようになり。
「自分を深めたい」モードに変わったからなのよね、きっと。
それまでは共感コメントが嬉しくて、自分も共感コメントばかりしてたのが、パタッとできなくなり、自分の心を揺さぶるコメントって「私らしさ」を伝えてくれるコメントに変わったの。
ね、深めたい、理解したいっていう「自分の求める感覚」が変わったってことよね。
相手が変わったわけじゃないし、コメントがおかしいわけじゃない、自分の求めている感覚が変わったの。
できるだけニュートラルな気持ちでいたい、と思っているし、普段はそう心がけてる。
でもこういう言葉に表す世界にいると、自分が使おうと思う言葉や伝えたい気持ちがハッキリしてくる。
すごいよね。
言葉の世界って、自分さえもわからない深層心理が影響してきたりするんだね。
画像選びも伝えたいイメージがハッキリする
自分が伝えたい想いを言葉にしたとき、それを見える化するとどんなカタチになるだろう?っていつも考えながら画像選びをしてる。
それも、自分の伝えたいイメージがハッキリするから面白いなって思う。
内容をピッタリ表してるものを探しているのか、あったかい感覚を伝えたいのか、楽しいイメージを伝えたいのか、この記事を読んだときにどんな気持ちになってほしいかのイメージを探しているのか。
いろいろあるんだよね。
私はあったかいような元気になれるようなイメージをいつも伝えたくて。
ネガティブなこともいいよねーって包み込む感じを伝えたかったりもするな。
今日、伝えたいことのイメージカラーは何色!って決めて選ぶこともある。
人がメインの方がインパクトありそうなのか、柔らかい感覚だけを伝えるものにするのか。
あとは自分を励ましたいときは、どんなふうな写真だとヨシって思えるかなって思って選んだり。
これも求めている感覚を知るひとつのツールなんだなぁって。
自分の記事で乗せたい想い
記事の中では、今「自分を深めたい」がメインだから、素直に自分の中に潜っていくような言葉がたくさん出てきてると思う。
しんどかったことに対してもしんどさをぶつけるんじゃなくて、これってなんのしんどさなんだろう?って自分に問いかける感じね。
言葉に表していくと、思わず自分から出てきた言葉にハッとすることもある。
そうか、そう思ってたんだねって自分に問いかけたり、納得したり。
言葉のチカラ
先日書いた記事に対して、私を「自由」と表現してくださった文章を読んで、すごく嬉しくなって。
そういう「私」という人間の見え方、カタチ、イメージっていうのがものすごく嬉しい。
自分が深まる感じ。
他の人から見られた自分と自分の感じる自分って意外と違っていたりするものね。
だから発見があって、面白い。
「ああ、深めたいんだなぁ、私」
「なんか今日も深まったなぁ」
って感じる。
共感されたいという気持ちよりも、背中を押して欲しいって気持ちよりも、断然深めたいが勝ってしまう今の私。
それを丸ごと理解して、だからなんだなーって納得する。
そういうとコメントの枠を設定しているように感じるかもしれないけれど、背中を押してくださるコメントも共感してくださるコメントも、もらえる言葉は全部嬉しいの。
その方が私の言葉から、私を想って選んで発してくれる言葉はとても尊い。
言葉のチカラをすごく感じる。
そこにお返事を書くときに、自分と向き合えて、思わぬ発見をもらえることも多いし。
でもなかなかその感謝をコメントに反映できない、私の表現スキルのなさが悲しいけど。
うまく返せなくて、私のコメントにモヤモヤされてた方がいらしたらごめんなさい。
「深める」を思う存分に楽しもう
ああ、なんかスッキリした。
私、「自分を深めたい」んだ。
自分を知ると嬉しいんだ。
今、いちばん自分を喜ばせることって、きっと自分を知ることなんだ。
またひとつわかったよ、今の私のこと。
私のことがわかるとフワフワしてた足が地についてくる感じ。
心地よいなぁ。