【京のブログ】(15)「議論したい時に論破しようとする人」
このブログに出会ってくださって、ありがとうございます。
今日は「論破しようとする人」について書きたいと思います。
私の出会った人で、とにかく論破しようとする人がいました。
その人の口癖は「逆説を唱えると〜、〇〇もあり得るよね〜」でした。それはある意味、論破の始まりの合図でもありました。
確かに、ある議論しなければならないテーマに関して意見を言うというのは、悪いことではありません。意見が言えると言うことは、テーマに対して考えているということでもあります。何も考えずに意見すら言わない人達よりは良いのかもしれません。
しかし、どうもその人の場合は、議論しなければならない議題に対する意見ではなく、先に意見を出した人に対して、逆の意見を言うことで、その相手を論破することにより、自分の承認欲求を満たしているのではないかと思うのです。
仕事の場面では、多少の討論は発展的な結論が出ることがあるかもしれませんが、誰かが誰かを論破することが目的ではありません。
あくまで、議論することで会社の方針や業務を発展させるための意見を出し合い、より良い方向へ結論を導き出すのが目的です。
特に、ある事柄の解決策を議論しなければならない場面では、勝ち負けではなく、想定出来る解決策を出し合い、すり合わせを行うことで、会社全体で取り組むべき最良の解決策を、短時間で導き出すことに集中することが大事だと思うのです。
個人の承認欲求を満たすためだけの論破に付き合う時間はないのです。
もっと言うのなら、会社全体に関わる重要な場面では、議論が必要なのであって、論破は必要ないと思うのです。
また、そういう人に限って、普段の雑談の場面ではさらに相手を論破しようとします。
雑談は普段のコミュニケーションの延長線にある、たわいもない世間話であって、会話のつなぎのようなものですが、円滑なコミュニケーションを図るには重要な時もあります。
しかし、雑談に対して論破しようとするのは、会話している相手にとっては、大きな負担になるのではないでしょうか。
その論破しようとする態度自体が、相手の雑談というコミュニケーションをとろうとする姿勢を、諦めさせてしまう原因になるのではないかと思うのです。
雑談は議論をしたいテーマなわけではなく、相手の思考を知る機会のひとつでしかありません。
それに対する、答えなど必要もないのです。
しかし、その人は雑談に対する一つひとつに対して、「それって〜逆説を唱えると、こういうことかもしれないよね。だから、それはそうとは限らないと思うよね。」と発言することが多いのです。
あまりに逆説を主張してくるので、一度、ある事柄に対して、こちらから意見を出す前に、意見を求めてみたことがあります。
いつも逆説を出してくるのですから「自分ならこう考える」という意見があるのかと思ったからです。
しかし、その人はその時こう言いました。
「別になにも。正直、どうでもいいから。」
どうでもいいのなら、雑談にいちいち逆説を唱える必要があるのでしょうか。
その段階で、やはり単に相手の意見に逆説を唱えることによって、自分は相手より優位に立っているという承認欲求を満たしているだけではないかと思うのです。
言い換えれば、「誰かにかまってほしい、かわいそうな人」なのかもしれません。
案の定、その人は周りから、孤立しているように見えました。
皆様の周りにも「いつでも論破しようとする人」はいませんか?
今一度、自分自身を振り返り「論破することよりも議論に集中し、雑談に答えを求めすぎず、共感の姿勢を相手に示す」行動をしてみませんか。
もしかしたら、知らず知らずのうちに「誰かにかまってほしいだけの、かわいそうな人」になってしまっているかも知れませんよ。
皆様の毎日が充実した日々でありますように。