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秋のトスカーナ旅②フィレンツェ編

では旅に至るまでの経緯や準備、飛行機の話を綴ってみた。②では、4日目までの記憶を掘り起こしていこうと思う。

0、 旅程

①の終わりにも書いたが、旅の全体図を振り返りたい。

1日目:(前の晩は羽田空港近くのホテルに前泊)早朝の羽田から北京乗換えでローマ フィウミチーノ空港へ。同日の夜19時半着。ローマ泊。
2日目:ローマから高速鉄道でフィレンツェへ。フィレンツェ泊。
3日目、4日目:フィレンツェ観光
5日目:フィレンツェから電車でキウージ駅へ。キウージからバスにてモンテプルチャーノへ。モンテプルチャーノ観光。同場所にて泊。
6日目:モンテプルチャーノからピエンツァへ。ピエンツァ泊
7日目:ピエンツァ観光。
8日目:ピエンツァからバスでシエナへ。シエナでプチ観光の後、電車でフィレンツェへ。フィレンツェ泊。
9日目:フィレンツェからローマへ。ローマ泊。
10日目:ローマ、ヴァチカン観光。ローマ泊。
11日目:ローマ観光。夜の便でフィウミチーノから北京乗換で羽田まで。ローマ泊。
12日目:夜21時半に羽田着。

こんな感じである。
さて、ここからは実際の旅の思い出を記録していこうと思う。

ジェラートは二種盛りが基本。これはピスタチオとレモン。

1、 ローマからフィレンツェへ

19時半、ローマのフィウミチーノ空港に到着。多くの人はそこからレオナルドエクスプレスという直通電車で市内のテルミニ駅へと向かう。
私達の予約したホテルは、空港から一駅のFiumicino Parco Leonardoという駅のすぐそばであった。ただ、ここにちょっとした盲点があった。空港から一駅といえど、その区間だけで7ユーロもかかるのだ。
長いフライトのあとで、夜に見知らぬ空港からデカいスーツケースをゴロゴロさせて市内の駅に移動するのはリスクだろうと思い空港近くのホテルにしたのだが、今考えれば多少疲れていてもテルミニまで行ってしまった方が、翌日の移動ももう少しお得で、楽だったかもしれない。
翌日テルミニ駅からフィレンツェのサンタマリアノヴェッラ駅までの特急列車の12時発のチケットをネットで事前購入していたので、翌朝のチェックアウト後、10時半頃にLeonardo駅のホームであたふたしてしまった。
ここからトコトコと在来線でテルミニに行くのだと、間に合わなくはないのだが、12時のテルミニ発にぎりぎりになってしまう。
結局7ユーロ払って空港駅まで戻り、レオナルドエクスプレスに乗った方が早い。ホテルから出ているリムジンバスも、ちょっと安いだけで、ほぼ同じようなものであった。2人合わせて14ユーロ…たった一駅戻るだけなのに…と歯ぎしりしたいような気持ちになったが、あきらめてオンラインでチケットを買ったのだった。

街のアイコン、サンタマリアデルフィオーレ。建てられたのは1296年。日本は鎌倉時代だ。

2、 フィレンツェ観光

フィレンツェには、人生で一度は行ってみたかった。
旅人のエッセイを読むのが好きで、中でも自転車で世界一周をした石田ゆうすけさんという方が書いたエッセイの中で、フィレンツェは「世界で一番美しい街」として名前が挙げられていた。滞在中に石田さんは「今日でこの街をあとにしよう」と思うのだが、気が付くと延泊を重ねていたという。そんな引力を持っている街として描写されていた。
今回フィレンツェを旅の起点に選んだのも、そのエピソードが10年以上心に残っていたからだった。

レブップリカ広場。雨の後の石畳に反射する光が美しい。

行ってよかった場所を3つほど、挙げてみたい。フィレンツェの代名詞的な存在である、サンタマリアデルフィオーレ大聖堂に行くのは前提である。

①ウフィッツィ美術館

まず思い出すのは、独特の館内の雰囲気だ。ウフィッツィはルーブルより長い歴史を誇る世界でも由緒ある美術館だが、建物内部の構造や内装のせいなのか重厚な雰囲気は薄く、貴族の寄宿学校のような、アカデミックでオープンでどこか自由な空気が流れている。肩肘張らず、気軽に芸術作品に触れられるような雰囲気で探索が楽しい場所だと感じた。

何となく「学校」感がある気がした。


芸術素人の自分達からしても、ボッティチェリの名作「春」「ヴィーナスの誕生」はやはり素晴らしかった。描かれたのは1480年あたり、日本だと室町時代だ。そんな遥か遠い昔に描かれたとは思えないほどに爽やかで明るく、華やかで心地よい、なんというか、昔っぽい古臭さが無かった。
宗教画ではなく西欧の神話をもとにしているので、どことなくこの世のものではないような、フェアリーな雰囲気があった。
絵の具を卵で溶いたテンペラ画という手法で描かれたらしい。鮮やかでマットで、そしてどこかミルキーな膜を張ったような雰囲気がある気がした。卵を使っていると聞いたからであろうか。
しかし悲しきかな、両方とも第一印象は「子供の頃にサイゼリヤに飾ってたやつ!本物だ!」であった。文化的素養に乏しい庶民の悲しさである。
※昔のサイゼリヤは店内に有名なイタリア絵画が飾ってあった。

髪が「とろん」としていた。

同じヴィーナスでもティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」は、夫も私も予想外に惹かれた作品だった。
当時、扇情的すぎると物議を醸したというのが納得できるほど、肌のなめらかさや「もっちり感」がリアルで、眺めてうっとりしてしまった。後年に描かれたマネの「オランピア」はこの絵をオマージュしているというが、以前オルセーで見た記憶と比較しても此方のほうが余程肌の質感がうまく表現されていると感じた。
今よりも娯楽の少なかった当時の人には、確かに刺激が強いだろうな。
ただ、横にいた夫はヴィーナスそっちのけで、足元に寝ている子犬をクローズアップして写真を撮り「かわいい~」とご満悦そうだったので、視点は人それぞれである。

肌の表現に息をのむ。

②Mercato Centrale Firenze(中央市場)
一階が生鮮市場、二階がフードコートになっていて、夜遅くまで営業している、フィレンツェっ子にはおなじみの場所である。ここには夫婦でハマってしまい、一度トスカーナの田舎を巡りフィレンツェに戻った日の夜も、ほぼ即断で再び足を運んだ。天井が高く開放的な二階のフロアには、地元のB級グルメ、生パスタ、パニーニ、魚介、お肉、ドルチェなどのお店が建物の内側に沿ってこまごまと並んでいる。沢山のテーブルとイスがあって、どうにか空席を見つけて席に着くとすぐさまフードコートのスタッフが明るい調子で飲み物の注文を取りに来てくれる。地元の人も観光客も混ざり合ってにぎやかだ。

陶器など、ちょっとした雑貨のお土産も売っていた。

もう少し工夫されたしっかりしたメニューがあるリストランテもあり、そういったお店は真上に三階フロアを持っていて、階下のにぎやかな人々を眺めつつ、落ち着いて食事が出来るようになっているようだった。
人々はエスプレッソやワイン、地ビールを傾けながら、おしゃべりに花を咲かせ、目の前の熱々のフリットや脂ののったサラミに舌鼓をうっている。内装もどこかスタイリッシュでおしゃれで統一感があり、何よりも人々の行き交う「ライブ感」が程よくて心地よかった。近所にあったら毎週末のように通うだろう。

何よりも夢中にさせられたのは、ランプレドットというB級グルメである。フィレンツェ風の牛のモツ煮込みだ。一見、取り立てて不思議なところは無いので油断していたが、一口また一口と味わううちに、驚きが広がっていく。何だこれ…美味しすぎるぞ…。
日本のそれとは違い香味野菜のブイヨンのようなスープで煮込まれていて、香りが素晴らしい。赤いパプリカチリのようなものと、緑色のグリーンソースと2種類のソースをかけて食べるのだが、これのハーモニーがまた素晴らしい。この緑色のソースが美味しさの決め手だ。アンチョビ、ケッパー、パセリ、ガーリックなどを使うらしい。このソースの酸味とハーブの風味が全体を引き締めるアクセントになって絶妙な爽やかさを生み出している。

ランプレドットと黒ビール。飲んだ後のシメとしても最高。


③ピッティ宮殿
かつて財を成した銀行家やメディチ家によって受け継がれてきた宮廷で、現在は当時生活していた居住部屋の他、美術館や庭園として一般開放されている。(お金はそれぞれしっかり取られる。)中は、圧倒的という言葉では足りないほど、ほとんど狂気を感じるくらいの豪華さで、世界中の富を集めたのではというほど贅が尽くされている。私たちは美術館だけを見てまわったが、それだけでもお腹いっぱいだった。

豪華すぎてもはや怖い。

美術館は、沢山の部屋が隣同士に繋がってそのまま通り抜けられるようになっていて、隣の部屋、またその次の部屋、と、先を見ると一つの建物とは思えないほどかなり遠くの部屋まで続いている。

合わせ鏡かと思うほど果てしない。

その一つ一つの部屋がそれぞれ意匠を凝らされていて、とにかくきらびやかだ。360°どこを見ても装飾や絵画で隙間なく埋め尽くされていて、圧倒される。
西洋にありがちな「何も無い空間に対する恐怖」、まさに「Horror Vacui」(真空恐怖症)の考え方が表出しているような、西洋的なごり押しパワーな空間であった。しかし、フランスのヴェルサイユ宮殿などに見られるような「ロココ」的なデコラティブさでは無く、どこか気品が漂っていたのはさすがイタリアだと感じた。

絵画はこれというお目当てがあったわけでは無いのだが、中でもラファエロの小椅子の聖母子画は有名で、四角ではなく珍しい円形の絵だった。
他にもラファエロなどの有名な絵画を幾つかその場で調べて探していったのだが、本当に四方と天井とびっしりと飾られているので、「この絵はこの部屋だな」と分かっていても、またそこから絵を探し出す必要がある。もはや夫と私とどちらが早く見つけられるか、のゲームのようになっていった。

ウフィッツィからラファエロの絵を幾つか見て来て、私はラファエロが好きになった。宗教画らしい陰気な暗さが無く、どこか清らかで上品で柔らかいのだ。「これが神だぜ〜!」という押し付けや大袈裟な神格化のぶっとんだ感じも無く、あくまで自然で優雅な雰囲気ながら、どこか神聖さも感じさせる。
後から、本人は相当に女性にモテたというエピソードを知り、なんとなく合点がいった。現代で言うと、フィギュアスケートの羽生君みたいなものだろうか。
フィレンツェで観光しているとラファエロの絵は沢山眼にするから、最後の方は絵を見ながら夫などは分かったふうなふざけた口調で「ラファエロは昔からこうだからさ」みたいな事を言っていた。彼の何を知っているのか。羽生君の実家近くに住んでいるというだけでインタビューされた、一般人のおじさんみたいな感じである。

一つだけ、目に留まった女性の肖像画があった。やはりそれもラファエロの作であった。
女性は黒髪をまとめ、白っぽいヴェールをかぶっていて、光沢のある白に金の模様が入ったゆったりした服を着ている。肌は白くなめらかで、頬がうっすらと桃色にかすかに染まっていて、黒い瞳でまっすぐこちらを見ている。柔らかく気品ある雰囲気だ。私はなんとなくこの絵が気に入って、写真を撮ったりして眺めていた。
後から調べると、真偽は不明なものの、この女性はパン屋で働く女性で、ラファエロの恋人であり、ラファエロは生涯手元においたという。
ラファエロは枢機卿の姪と結婚させられそうになったのを断り、37歳という短い生涯、独身を貫いたという。市井のパン屋の女性がこの絵の中のような高価そうな服をまとえることは無さそうに思うが、この絵を描いた時に胸の内にあったのはこの女性だったのだろうか。

3、 フィレンツェの宿


忘れてはいけない要素としては、宿である。
フィレンツェには旅の前半に3泊、後半にまたトスカーナの田舎から戻って来て1泊している。前半の3泊は同じ宿に連泊にしたのだが、やはり荷物を移動させたりチェックアウトなどの手間がかからないのは大きかった。
宿はホテルではなく、管理人が基本チェックインの時しか立ち会わない、アパートの一室を借りるような形態であった。
管理人とbooking.comのメッセージチャットでやり取りをして、建物の前で落ち合った。部屋は最上階の4階である。イタリアの古い建物あるあるなのか、当たり前のようにエレベーターが無かったので、管理人のおじさんと夫で重たいスーツケースをカビ臭い階段で運んだ。涼しい顔のおじさん。一方夫は汗だくである。
身分証の提示の後、渡された鍵は3種類、これは建物のエントランス用、これはどこ用、と説明され、チェックアウト時にテーブルの上に置いて帰ってくれればそれでいい、と言われた。「それじゃ」と帰って行くおじさん。え、説明それだけ?もっとなんか、部屋の中の色んなものの説明とか…?とプチ混乱する私を置いて、本当にすぐに帰ってしまった。
その後、暖房をつけようともエアコンが壊れていたのですぐさま連絡したが、「リモコンの操作が違うのでは」など終始のらりくらりな対応で交わされた。奴は実に適当な男であった。
そやつの功罪はそれだけに留まらず、私達の到着前に換気の為か寝室の窓を開け放っていたせいで、そこから3日間、夫婦共々睡眠を大量の蚊に妨害され続けた。三日目の朝にはまぶたをやられ、赤く腫れぼったい見た目でこの後の旅行の写真を撮ることになるのか、と私は半泣きになった。(それから2日間で幾分マシにはなった。)
この宿はbooking.comでは比較的評価が高かったのだが(実際、立地や広さ、清潔感は良かった)レビュー数が少ない事と、外国人はこういう時おおげさに褒めがちだという事を考慮しないといけないと心に刻んだ。
そやつの存在をイタリア人のテキトーさとして括っていいものか分からないが、いざ自分がそれを被る立場になるとたまらないもので、日本人の細やかなおもてなしが早速恋しくなったのだった。

ダヴィデ像がアイコンを持っている。

4、 ライフびいきのトラットリア


トラットリアは、シニョリーア広場にほど近い路地にあったと思う。
店頭のショーケースにはハムやチーズの塊やトマトやが籐のかごに入れられたりして、雑多な感じでディスプレイされていた。中はこじんまりとしていて、観光客というよりも地元の人で賑わっているような温かい雰囲気だ。
テーブルに案内してくれたウェイターのお兄さんがにこにこしながら「ナニニシマスカ?」と日本語で聞いてきたので、面食らってしまった。
彼は少なくとも年に一回は旅行に行くほどの日本好きらしく、日本語を話せるのが嬉しそうな様子だった。彼は私がこの旅で初めて出会った、The 陽気なイタリア人(陽が当たる方)という印象だった。前述したテキトー管理人のせいでイタリア人に少し構えてしまっていたので、彼の明るさに癒された。
彼は「ちょっと待ってて」と言い、何やら持ってすぐに戻って来た。「ほら、これ見てよ」とパスケースから取り出して来たのは、日本のスーパー「ライフ」のポイントカードとPASMOであった。まさかライフのカードをここでイタリア人から目にする事になるとは思わず、思わぬところで夫とテンションが上がった。
食後には、「サービスね」と言って、ローカルなお菓子をサーブしてくれた。それはカントゥッチというもので、アーモンドが入った硬めの素朴なビスケットのようなもので、それをヴァンサントというリキュールのようなスイートワインに浸して食べる。口に含むとアマレットのような、ラムのような甘い風味が広がった。

5、 江戸時代のカフェ

フィレンツェ最古のカフェがあるという事で、そこで優雅にカプチーノとティラミスでも、と決め込む事にした。
レブップリカ広場に面する老舗のカフェ ジッリ(GiLLi)の創業は、なんと1733年。日本では江戸時代である。パステルレモンイエローに白の装飾で縁取られた天井にクリスタルなシャンデリア、深緑の大理石のカウンター、彫刻や重厚なアンティーク時計と、エレガントでシックな内装にほれぼれしてしまった。
しかし数分待って通されたのは、店の前の広場にある全面ガラス張りのおしゃれ今どき風テラスハウスの方であった。違う、こっちじゃないんだ。行きたいのはあっちの貴族の邸宅みたいな、本体の方なんだ。
店員のお姉さんに恐る恐る希望を言ってみると、一瞬考えたのち「用意するから待ってて」と言ってくれたのでほっとした。結局また少し待ち、本体とテラスの間の、絶妙な席に通された。まあ、いいか。

店のおすすめでもあるティラミスを頂いたのだが、リキュールがきいた大人な味で、カプチーノとの相性が最高だ。一瞬で食べてしまった。
そこで働くイケオジも、スタイリッシュな事この上ない。ちょい悪イケオヤジの雑誌「レオン」の表紙でも飾れるほどのオーラである。
そんなイケオジに触発でもされたのか、夫は「ここで撮ってくれ」と要求して来て、しばらく「おしゃれなフィレンツェのカフェでキメる俺」撮影会をやらされることになった。確かに、黒い革ジャンにサングラスという、どちらかというとイキりメンズ寄りな格好をしているから、背景と似合わなくはない。
撮った写真を見せてあげると、「かっこいい~」と嬉しそうである。
ミルクを入れないとアメリカンすら飲めないくせに、何を言ってるんだ。

履き古したトナカイ柄の靴下で、引くほどカッコつけている。

6、 フローレンス


こうしてフィレンツェを振り返った時、感じた驚きがある。フィレンツェという街は、歴史や文化が深く、遺産が所々にあり、何となく荘厳で重厚な雰囲気の街だというイメージがあった。しかし思い起こすと、総じて華やかで軽やかで美しい、ふんわりとした春風のような印象が心に浮かぶ。街の大聖堂の、白とピンクと緑の大理石の装飾。伝統のマーブル模様の美しい色紙。ボッティチェリの華やかさ。ラファエロの優美さ。夕暮れのポンテヴェッキオの色の温かさ。ウフィッツィの自由な空気。石畳に反射したリストランテの夜の明かり。目に映る光景は軽やかで何にも縛られる事がなく自由で華やかで、誰でも優しく包み込んでくれる。人の体温がある街だ。フィレンツェは現地でフローレンスと呼ばれるが、まさしく花の優雅な響きにふさわしい。メディチ家が作り上げたこの雰囲気の中でこそ、西欧において今も圧倒的な力を持った文化が華開いたのだと納得できる。

圧倒的であり優雅であり、そして色がかわいい。

旅も五日目になった朝、フィレンツェを発ち、いよいよ主の目的であるトスカーナの田舎に向けて出発した。オルチャ渓谷の中にあるピエンツァという世界遺産の街では、セルフでウェディングフォトを撮るという1大ミッションもある。その時の出来事は、また次回があれば書いていこうと思う。

例の壊れたエアコン。ダイキンに罪は無い。
夕暮れのポンテヴェッキオ。アルノー川は特に綺麗ではない。