自分を信じて欲しけりゃ、信じてもらえる人になること
信じてた人に裏切られて泣く事は人生で何度もあった
人を信じるということは、どこか相手に期待している自分がいるということ。自分の期待通りにいかないことを、私は裏切られたと思ってしまう傾向がある。
人間関係において「期待値を越えないと、信用してもらえない」と思うから、頑張ってしまう自分がいる。
その頑張りが認められなかった時、自分に落胆する。あれ自分ってダメな人間なのかなと。自分がダメな人間であることを認めたくなくて相手のせいにすることも多い。そういう時は、お互いのダメさが際立って傷つけあって、結果としていいことにならない方が多い。
人と生きるには自分という「信用度」を上げなくてはいけない。
「信じてもらえる人」になるための行動を取らなくてはいけない。
ここが凄く大事で難しい所。自分はちゃんとやっていたではなく、相手と誠実に向き合ったのかでも信用度は変わってくる。
恋人同士が「私のことを信じてないの」とか「俺のこと信用してないだろ」とか言って喧嘩をするけれど。
「相手に信じて欲しい」と思うのなら、信じてもらえる行動を取るべきし。それが出来ていなかったのは自分のせいでもある。
特に恋愛は自分のことを分かってほしくて、気持ちは一方的になりがちだ。
恋愛に関しては「信じる、信じないの定義」ではなくて、お互いが「寄り添う」気持ちで生きていかないと辛くなる。
「信じてもらうこと」を相手にゴリ押しするのは間違っている。
人に信じてもらいたいなら、まずは自分を曝け出さなければいけないし。
自分という人をどこまでも高めていかないと、相手には信じてもらえない。
誰にでも信じてもらおうとするのをやめた
「この人なら信じれる」とか「この人を信じたい」と感じてもらえるかどうかは相手の受け取り方次第。
自分の心の神経をすり減らして信用を得ても、結果として辛いだけ。
私らしく生きて、人を幸せにする自信があれば、結果として信用度はついてくる。しかし、自分だけが幸せになろうとすると信用度は下がる。
人に信じてもらいたという欲求は常にあるものだけど、その期待に応えきれない自分がいるのも事実。
万人に信じてもらうのは不可能だと私は思う。
「私のこと信じてよ」と自ら言うのは違う
信じるか信じないかは相手が決める。
だから私はできるぎり「信じてもらえる行動」が出来る人になりたいなとは思うです。
今なお、人間修行中の身なので。
メンバーシップのお題から記事を書きました。
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