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大好きな季節のはずなのに、喪失感に襲われる夏。

「地球温暖化の時代は終わり、地球沸騰化の時代が始まった」
国連総長のメッセージに、この世の末を案じつつも、わたしはこの暑い夏という季節を楽しむ気でいっぱいだった。

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幼い頃の実家には、もちろんエアコンなどなかったけれど、夏の暑さを回避する昭和の知恵が満載だった。

家の前の道路に子供用のバスタブを置いて、ホースで水をかけて遊んでいると、近所の人が笑って声をかけてくれる。
「いただきものがあったから」と、スイカを差し入れてくださる。

冷蔵庫で凍らしたタオルを首に巻いて、炎天下の中、(東伏見にある)早稲田のグラウンドでラグビーの練習をやっているお兄さん達を観に行く。

お小遣いを握り締めて、武蔵野市民プールに並ぶと、本格的に水泳を楽しめる。(当時、子供は10円で入場できた!2時間交代制だったけれど)
帰り道に、従姉妹たちとアイスキャンディーを買って、こっそり食べる。
(子供だけでの買い食いを禁止されていた我が家では、少し歳上の従姉がいる時だけ、この行為が黙認されていた)

昼間は開けっ放しの窓も、夕方になると蚊が入ってくるから、網戸にして、ようやく扇風機のスイッチが入れられる。

風鈴、蚊帳、うちわ、チャブ台ひとつを囲んで家族での夕飯、まさに映画に出てくるようなシーンが日常だった。

8月の母の誕生日には、いつも母自身がカボチャの煮付けを作るのが習わしだった。
戦後、鹿児島から東京に疎開してきた母の家庭では、誕生日にケーキや赤飯という贅沢は許されず、祖母がカボチャを煮てくれたのがお祝いの印だったから、と。

暑い夏に熱い煮付けを食べる。
夏の思い出は、どこまでも暑くて熱くて。
だから、夏なのだ。

梅雨生まれのわたしは暑い夏という季節が大好きで、
毎年誕生日を迎えると、この鬱陶しい雨季さえ乗り越えれば、あの陽気がやってくると心が弾むのを抑えられなくなる。
それが、いつもの夏だった。

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今年8月初め、わたしはヨーロッパにいた。
まもなく他州に引っ越す長男と下の2人とわたしで、最後の母子旅行。

反抗期真っ盛りの末娘と、飛行機に乗る前から大喧嘩をして、道中でも口論ばかり。
わたしの実家は両親が絶対君主だったから、親に向かってあんな態度を取ったら家から放り出されていただろう。
あまりに主張の強い我が娘を見ながら、自分の母としての力量を猛省したり、アメリカでの子育てに疑念を抱いたり、モーレツに精気を奪われていく。

タクシーには乗らず、公共交通機関だけで連日2万歩超えが続いた数日で、わたしの膝が崩壊した。
杖が必要なほどの痛みを我慢して、無言で子供たちの後をついていくだけ。

それでも、久しぶりのヨーロッパの空気は本当に新鮮で、美しい街並みを眺めながら、劇的に美味しい食事を堪能する時間が持てることに感謝の気持ちでいっぱいになった。

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8月11日。日本では「山の日」。
向日葵のような母を思い出していると、姉の義父が他界されたという悲しい知らせが届いた。

実は姉も少し前から闘病中で、「良くしていただいた思い出しかないお義父さん」の葬儀に参列できなかった。
姉がどんなに寂しく辛い思いをしているかと思うと、いたたまれなくなった。

他界した母はもういなくて、頼れる姉が入院して、まもなく長男が親元を離れる。
なんというか、ものすごい喪失感がやってきた。

自分はいったい。
何をやってきたのだろう。
何をやっているのだろう。
何をやっていくのだろう。

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今秋ニューヨークで開催されるとある企画のために、すでに水面下で活動を進めているのだけれど、
水面から顔を出すと、まだまだ暑い夏の日差しが突き刺さる。

クヨクヨしている場合じゃないな。

今日3回目の洗濯機を回しながら、過ぎ去る1日の早さを噛み締める。

朝晩すっかり過ごしやすくなって、ニューヨークはもうすぐ秋です。






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