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「生きる」しか目標がない私、2023年は自分のトリセツ作りに挑戦したい

年末年始。
360度、どこ見たって希望のことばが並んでる。目を瞑ったってお琴とかそういうたぐいの縁起の良さそうな音楽だって聞こえてくる。今年の目標も「生きる」にした。私にとってやりたいことや目標って欲しいものの羅列。あー30歳になったらMAXMaraのアイコンともいえるテディ、買うはずだったのになあ。今現実を見つめ直そうと公式ホームページを改めてみたら69万円でもはや一人で声出して笑ってしまったよ。いつか「70万円のコートの着心地と防寒性について語ってみる」っていうnote書きたいなあ。そんな余計なことを考えながら、頭がぼーっとするくらい少し暖房の効きすぎている部屋でMagic Keyboardをぽちぽち叩いてる、そんな1月9日。もう9日も経ったのか。



この季節になると、決まって思い出すのは河合塾の自習室に閉じこもっていたときのこと。家出でもするんか?という量の荷物(参考書)を抱えながら、浪人生に混じって朝早くから席取り合戦をしていた高3の受験期、あそこはもはや私にとって風呂のない第2の家だった。

その時、すれ違うかわいい子はボロッボロの単語帳の端っこに、綺麗にふせんをつけていた。覚えられなかったり、間違えてしまったり。そんな単語にしるしをつけていることは一目瞭然だった。

かくいう私といえば、あまりの荷物の多さに塾に行くときは筆箱を持っていくことすらやめていた。相棒は、シャープペンシルと芯、消しゴムと3色ボールペンにヘアゴムをぐるっと巻きつけたもの。たったそれだけ。ふせんなんて持ち合わせてすらいなかった。


時は戻って高校2年生の予備校に通い始めたときのこと。
モチベーションを上げるために!という名目で、バラエティショップに行き狂ったように可愛いふせんや文房具を買った。綺麗な文字でノートをとって、蛍光ペンで色をつけてみたり、ふせんでデコったりした。そんなことをしていたらあっという間に時間だけが過ぎていき、机に向かっているだけで、一向に偏差値は上がらなかった。そこで「あ、これ私がやっちゃだめなやつだ」と気づく。だいたいシール帳→プリ帳を作ることに命をかけていてガラケーをラインストーンでキラッキラにデコっていた女が、ノートを綺麗に書くことに熱狂しないわけがないじゃないか!

綺麗にノートを取らないと決意した後は、教科書を丸暗記し、ひたすらに問題集を解く。それだけでグングン成績は上がった。チューターに「アーティスティックなノートの取り方するよね。まあ模試の成績上がっているからなんでもいいんだけどさ。」そう言われたノート。アーティスティックー。今思い返すと皮肉っぽくて笑える。うん、だって自分しか読まないから消しゴムすら使ってなかったんだよな。面白かったな、あのノートとっておけばよかったな。


つまり何が言いたいかっていうと、昨日ベッドに寝転びながら気づいたのだが「私はやることを決めるより、やらないことを決める方が得意」なのだ。

いつだって目標なんて特にないし、今年は独立したからこそ「生きる」って意味が非常に深刻さを帯びている気がするのだけれど、案外こう思い返すと自分のことって自分が一番わかっていないんだなーと。だったら今年はいっそのこと、やりたいことや目標を立てることに注力せず、自分のトリセツを作ってみようかな、それならできそう。なんとなくそう思った。

改めて自分には何ができて、何ができないのか
それなりに出来はするけれど好きじゃないことって?
時間を忘れて没頭できることは?
言われてテンションが上がる一言、下がる一言とその理由
友人たちのいいところを5個ずつあげてみる

何も今年は!!!!!これを!!!!頑張るんだ!!!!とかさ、そんなたいしたものはなくともさ。一応これでもやることはあるんだからいいじゃない。そんな人間が広い宇宙にいたって許してよ神様、納税はちゃんとするからさ。そんなことを考えている年が明けた気すらしない今の私。


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