『カフネ』で知る、あたたかい食事の本当の意味
もし、忙しすぎて心をなくしかけているのであれば、2024年に講談社から刊行された『カフネ』(著:阿部暁子)を手に取ってほしい。
心に寄り添って、内側からじんわりとあたためてくれるはずだから。
溺愛していた12歳年下の弟を亡くした主人公が、弟の元恋人とカフェで会うシーンから物語は始まる。
一度だけ会ったことがある弟の元恋人「小野寺せつな」の印象はよくない。
愛想がなく、空気を読むことをしない彼女には本音と建前はなく、思わず「言い方!」とツッコミたくなる。
もう会うこともないと思っていたのに、弟が血縁関係のない彼女に財産を残そうと、姉を執行者にして遺言書を作ったため、会わざるを得ない状況になったというわけだ。
36歳から始めた不妊治療がうまくいかず、夫からは突然離婚届を突きつけられて離婚し、そのうえ、大好きな弟まで亡くなり、41歳の主人公は失意のどん底にいる。
心が悲鳴をあげているときは、何をやってもうまくいかなかいものだ。
仕事では怒りにまかせて人と口論になり、時間をかけて築いた信頼関係は一瞬で崩れ去る。
しかも、主人公の性格は人に弱いところを見せたり、助けを求めたりすることができない性格だ。
主人公の母親が主人公に対して言った言葉が主人公の性格をよくあらわしている。
真面目で頑張っている人ほど、ときに、生きるスイッチが省エネモードになることがある。
決してだらしがないわけではなく、生きるために最低限のことしかしなくなり、徐々に丁寧な暮らしを放棄するようになっていく。
人は、心が荒んで正常な状態でなくなると、やる気や意欲が低下して、掃除をするのも面倒になる傾向がある。
この「面倒」というのが厄介で、「食べる」という行為においても、面倒くさい気持ちが勝ち、コンビニ食やゼリーなどの簡単なもので食事を済ますことが多くなる。
そういう状態に陥ると、真面目な人ほど誰かに助けを求めることは難しい。
心が疲れて飽和状態になり、いつ決壊してもおかしくない……主人公がまさしくその状態だった。
せつなは、そんな主人公の状態に気がつき、湯気を立てる一杯のどんぶりを差し出す。
豆乳の素麺だ。
あたたかいスープが身体の内側にしみわたる。
オリーブオイルで角切りにした玉ねぎを炒め、トマトとツナ缶のツナを加えてさらに炒める。
豆乳とコンソメで軽く煮て、ゆでた素麺にかけるだけの簡単な料理。
簡単でも、ひと手間加えた丁寧な料理は、心にしみるのだ。
あたためるだけでも、食べる人のことを考えている。
それは他人のためであっても、自分のためであってもだ。
あたたかい料理は人の手を介さないと決して出来上がるものではない。
やさしい味が痛いほどしみて、主人公の心をあたためていく。
この出会いをきっかけに、主人公は通常の仕事をするかたわら、せつなが働いている「カフネ」の仕事を手伝うようになる。
「カフネ」とは家事代行サービスの会社名で、家事代行のほかに、1年以上サービスを利用している人向けに、毎週土曜日に2時間無料サービスのチケットを渡している。
そのチケットはサービスを利用してる人は利用することができず、利用できる条件は、知り合いの中で、シングルで子育てしている人や家族の介護をしてる人、体や心を壊して家事がなかなかできない人になる。
そして、この無料サービスを、せつなが料理担当で、主人公は掃除担当としてコンビをくむことになり、反発しながらも2人の距離は縮まっていく。
主人公がそうであったように、「カフネ」の訪問先で、介護や、毎日くたくたになりながら頑張っている人たちと遭遇し、物語が進んでいく。
心が飽和状態になった人たちに、せつなはいろいろな料理を作るのだが、やはり、主人公の心を溶かした「トマトとツナの豆乳煮麺」は、読むだけでは飽き足らず、すぐに作ってしまった。
内側からじんわりとあたたまるスープ。
玉ねぎのよい触感。
豆乳のまろやかさがなんとも言えず美味しい。
そして、やさしい。
弱っているときにこれを出されると、泣いてしまうのもわかる。
あたたかい食事は五感を刺激するからだ。
立ち込める湯気はあたたかさを感じ、美味しそうな匂いは食欲をかき立てる。
そして、一口食むと美味しさが口いっぱいに広がり内側からあたたかくなる。
ひと手間かけた料理は、人が再び立ち上がる活力になるにちがいない。
読み終わると、丁寧な暮らしと心の豊かさが結びついていることがわかる。
大切な人を失ったり、頑張りすぎて前へ進むのが辛くなると、立ち止まってしまうのも仕方がない。
再び立ち上がるときの最初の一歩をどうするかだ。
心をリカバリした後で、最初の起動ボタンを押すきっかけとなるのは、あたたかい食事ではないだろうか。
読み終わった後は自分自身を大切にしたくなる。
明日への活力となる1冊だ。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?