名作「ライ麦畑で捕まえて」を読んで
こんにちは。kazです。今回は、世界的大ベストセラーである小説「ライ麦畑で捕まえて(和訳、The Catcher in the Rye:英訳)」を読んだので、感想なんかを記事にしていこうと思います。
僕自身読み進めるのが早くないタイプの人間なので、昨日の朝10時くらいから日を越えて夜中1時まで、だらだらですが読んでました。めちゃくちゃ時間がかかりました。
その分、内容はバッチリ理解することができました。読み始める前の印象として、題名からして恋愛系の色褪せない美しいライ麦畑の風景を舞台とした主人公とヒロインのお話なのかなと思ってました。
しかし、読んでみると全然違いましたね。少年の現実と理想に葛藤している、心に刺さる作品でした。ライ麦畑というワードが出たのは、180ページ目です。物語も7割ほど進んでいます。
僕は、小説を読むときは大体小説のタイトルがこの小説においてどんな意味を持っているのかを探して読みます。タイトルと内容が乖離している小説はないと思っているからです。
だから、今回の小説についても同様にタイトルがどういう意味を持つのか、をずっと探っていました。終盤、それが何を意味しているのか。よく分かる一節がありました。
「子供たちは走ってるときにどこを通ってるかなんでて見やしないだろう。そんなときに僕は、どっからか、さっと飛び出して行って、その子を捕まえてやらなきゃならないんだ。一日中、それだけをやればいいんだな。ライ麦畑の捕まえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。」(ライ麦畑で捕まえてより一部引用)
この物語の主人公ホールデン・コールフィールドは物語中、終始あらゆることに愚痴を溢します。これは、社会に対する反抗心からくるものだと思います。
私は、この一節から彼は社会に対し反抗や不信を抱く自分のような子どもたちを助けたい、助ける立場になりたいと思っているのだと解釈しました。
また、この解釈の裏は、彼自身そうして欲しかったのではないかと思います。この世に生を授かり、生という広大な土地がある。その土地にはかぎりがある。崖っぷちがあり、その崖を超えるとそれは死。
そんな崖っぷちにいつ足を踏み外し、落っこちてもおかしくない自分を助けて欲しかったという意味もあるのでは、ないかと思います。
彼は作中のとある出会いにより、救われました。だから、このように思ったんだと思います。彼はその出会いがあるまで、社会や周囲の理不尽や欺瞞、無神経、虚偽などなど社会を汚いもの、信じないものだと考えていました。
出会いのおかげでそんな汚れきった社会の中にも、無垢で純粋で、利益も考えない無償の愛があることに気づいたことが彼を変えるきっかけになったと思います。
終始彼の日記を淡々と読まれているような書き方であるため、前半部分は退屈ではありました。しかし、読み込んでいくほどホールデンと重なる自分がいたことに気付き、どんどん読みたいと思えてきます。
反骨精神で、社会に対し唾を吐く。自分の理想と現実のあまりのギャップ。自分の許容範囲を超えることで、踠き苦しむ。
私自身もそういったことがあったと思います。この作品が世界的ベストセラーで30か国以上の言語で翻訳され、6000万部以上売れている理由は、この主人公に読者が共感する部分が多いからだと思います。
高校生という誰もが通る道であり、誰もが思春期や反抗期に当たるこの年齢に主人公の年齢を設定していることも読者を共感させている要因の一つではないかと思います。
非常に面白い作品でした。さすが、名著だなと思いました。まだ読んでない人は、ぜひ読んで欲しいと思います。
これで終わりたいと思います。いいねやコメントをしてくれると非常嬉しいです。最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。