
同じ選択をするなら。
人に会う時に緊張するのは、その会う時間で何かしら自分が相手に「提供」できるものがあるだろうか、というなぞのプレッシャーがあるから。
そんなのいくら気にしたとしても、何を感じて何を考え、気づきだと思うのかは、全部、相手の自由なのにね。
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人目が気になるのは良くも悪くも自分の性格。それをマイナスに捉えるか捉えないかは自分の選択次第。
それなら、「自分がありたい方向」に近づけるような選択がしたい。
心のアンテナがびびっとくる方へ動くこと。自分の感じたことを言語化して伝えること。それに加えて大事にしたいと思うことが、最近見えてきたように思う。
自分が「心地よく」あれる方を選ぶこと。決して楽な方を選択するという意味ではなくて。この自分ややなあ、って思うのを減らしたい。今の自分好きかも、って思える瞬間を増やしたい。
類は友を呼ぶ、とはよく言ったもので、たぶんそういう「心地よい」状態であれるほうが、自分も前に進めるような環境(わたしの場合は人のつながりとか出会いとか、きっかけとか)をつくっていけるような気がしていて、そういう自分であれるほうが、きっと周囲に伝えていけるぬくもりも大きくなるような、そんな気がする。
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今日はじめて、ながちゃんに会ってゆっくりお話する機会があって。「楽しい方を選んでいきたいよね」って、ほんまそれ。そうやなあと思う。
たぶん、「楽しい」方を選ぶことは、自分の「心地よい」方を選ぶことと繋がってると思うんよな。
自分を自分で面白くさせるほうへ。進んでいきたいな。
そんなことを話しながら感じた。
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もうひとつ。
ちょっと自分からしたら雲の上の、きらきらした世界の人に思えていたけど、こやって一対一で会って話してすることを大事にしてくれるのって嬉しいよな。
「両方向のベクトル」ということも今日お話していたけれど、自分が何を提供できたかとか気にするのは、「両方向のベクトル」と似たようで、非なるものなのかもしれんなと思う。
両方向のベクトルって、「〇〇なんだよね」っていうことばに対して「へぇー!」で終わらないやりとりができるというか、自分からもその話題に対して何かしら返球できるようなこと。最近感じてる「共通言語」と似てるのかなって思う。
何か「提供」できるのかどうかは自分には分からんけど。少なくとも同じ「共通言語」や「ベクトル」で楽しくキャッチボールができたらいいなと思う。今まだうまくことばに表せへんけど、気にするなら、「提供」じゃなく、そういうことを意識してひとと出会っていきたいなと思う。
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今日も良き日でした。
2019.02.16