時代を生きる、(共に)過ごす
(固有名詞を出さないでしゃべる回。)
10年程前の曲をふと思い出しまして。
(公式にMVあった。有り難い。)
目にも耳にも懐かしい。
そもそも曲が好きなんだけど、こういう曲最近あんまり聴かなかった。
(こういうとは?これは切なくてきゅんとキラキラしてる感じの曲です。)
MVだから映像もある。
だから出演者の構成(?)とか、
こういうのが好きなんや。こういうので育った…ではないけど、こういうのを過ごしてきたから。
と、はじめはMV自体を見ての思いが出てきて、
その後、この曲にまつわる思い出?記憶を思い出した。
そうそう、舞台でこの曲(を踊るところ)を見えてすごく嬉しかったんだった。
曲が好きだからね。
記憶なんだけど、思い出してたら
素晴らしい記憶っていうか素敵な思い出というかで、
酷い泣きが来た。
心は平気で、体が泣いてる気がした。
(心がツラかったら胸が締め付けられる気がする。)
心(や気持ち、感情)には、結構目を向けてるから、案外直ってくれてる気がする。
だけど受けた(肉)体へはあまり目が向かなくて。
盲点というか。実際にケガをしてるわけじゃないからね。
だから案外肉体には、癒やし残ってるものが(心に比べて)多めなのかもしれない。
近頃思うことだ。
(細胞は入れ替わる、って話は置いておくとして。)
頭には、辛そうな言葉が出てくる。
でも案外フラットな感覚。
これを相手出来るのは、自分しかいないかな。
そう思えた。
あの頃私はその人(たち)を好きだった。
たくさん泣いて、でも当時の記憶に触れたから、
映像(目で見たもの)も、その時の私が嬉しかったってことも思い出して、
それを思い出して泣いて、私はその頃の自分に(また)会った気がする。
今の日常では使われない感覚だから、
いつもはたぶん奥の方にいて、
中々会わない。
だから会えたもの嬉しい。
あぁ、この私、ずっといるなぁ
って。
その感覚を持つ私
を内包している今の私が、
それから先出会う人とどんな関わりをして、
また自分の感覚をどう感じるか?
少し楽しみだ。
具体的に共有するではないだろうけど。
好きなのものや、それに付随したしんどい気持ちによって、
私は自分の感覚を探るようになった。
その人(たち)に出会わなければ、そうならなかったかもしれない。
少なくとも、その人(に対して)によって「考える」は強化された。
泣いてまた何か少し癒えたかもしれない。
時間的、空間的、物理的の話もしたかったけど、話の筋が少し違う気がするのと、力尽きるのでこれはこれで。