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8月31日の夜に

遠い昔 ことばがなかったころの〈8〉

今日は久しぶりに、
石さんの所へ、行く所です。

暑い暑い夏と、
大きな大きな台風の、
8月の終わり。
石さんの所は、きっと、
苔が青々と、ふかふかと、
しているでしょう。


石さんの所へ行く前に、
少しここで、お話します。
この頃、8月31日が近くなると、
テレビや新聞などで、
夏休み明けに学校に行くことが
辛い人のために、
話を聴いてくれる所、
みんなでその話ができる所、
隠れさせてくれる所など、
「ここへどうぞ」と、
扉を開けて待っていてくださる所を、
教えてくれるようになりました。

夏休み明けに関係なく、
子供も大人も関係なく…
居場所のない、
居場所の見つけられない所へ行ってきた
帰り道。
歩きながら、頭の中に渦巻きます。
「うまく馴染めなかったな…」
「自分はあれで良かったのかな…」
「誰かを傷付けなかっただろうか…」
「私は何か役に立てたんだろうか…」
「自分の性格がダメなんだ…」
必要以上の自己否定と共に帰る、
帰り道。

「自分は生きている価値がない」
「自分なんていなくてもいいんだ」
「何も役に立たないダメな人だ」と、
誰かを責めるのではなく、
自分を責めながら、自分を否定しながら、
歩き続けてしまう…
そういう人達が、ほんの少しでも、
自分を責めない、否定しない時間が、
あったなら…

私は夏休み明け、
学校に行くのが辛かった人です。
学校に行って友達に早く会いたいと、
キラキラした笑顔で言えたら、
どんなにいいだろうと、
思います。
「生きてるだけでいいんだ」
そう素直に思えたら、
どんなにいいだろうと、
思います。
けれど「どんなにいいだろう」のまま、
そうはなれず、
学校を卒業し、大人になり、
今も、そのままです。

夏休み明け、学校に行くのが辛い。
みんなそれぞれの事情を抱えていて、
理由もそれぞれ持っていて、
いろいろなわけがあるのです。
だから、やっぱり、
専門の方からのアドバイスを聞いてみたり、
ちゃんと相談できる人に話してみるのが、
1番いいと思うのです。

でも、そう言いながら、私は、
専門の方の所へ電話をしたり、
病院へ行ってみたりする勇気のない人、
でもあります。
話をしようとすると、
頭の中であんなに考えていたのに、
うまく言葉が出てこなくなってしまいます。
それで「書いて」みています。
書いていても、納得できなくて…
この記事は、下書きを開いては、
何日も書き直し、書き直し…
もう書けないなぁ、やめようかな…
と思ったのです…。

でも、書いてみた私を、
投げ捨てるのは、
寂しいことも知っています。
誰かを乱暴に扱うことで、
悲しみが増えるのと同じように、
自分という「人」を、
自分で乱暴に扱うこともまた、
寂しさと悲しさを増やします。
学校を卒業して、大人のようになってから、
私はようやく、
自分という人と付き合う手段を、
見つけたような気がします。
学校に通っているうちは、
見つけられませんでした。

学校に行くのが辛い、それに限らず、
生きているのか辛くて、
自分で命を絶つ…
その手段を選ぶ、その少し前に、
「ここへどうぞ」と、
扉を開けて待っていてくれる
ちゃんとしたところに、
ちゃんとした人に、
電話をしてみたり、
話をしに行ってみたり、
してみてください。

人と話して、人に話せて、
いい人達に会えて、
「まだ生きてみよう」と思えるのが
1番だけれど、
もしも、今、
電話も、病院も、苦手で、
人と話す勇気が出ない、
でも、辛くて辛くて…
という場合は、
隠れさせてくれるように、
ちゃんと作ってくださってある
ウェブサイトもあります。

ちょっとそれも…
と思ったら…

角を曲がって、
石さんの所へ、今、
ちょっと逃げましょう。

「人だけ」の世界にいると、
ちょっと苦しくなるのです。

「人だけ」の世界は、
あなたの大きくて深い大切な思いを、
時に、平気で、
薄っぺらく乱暴に乱雑にします。

あの角曲がって…
「人だけ」の世界から、
ちょっと逃げましょう。

もしも気が向いて、
お時間ありましたら…
一緒に角を曲がって、
行ってみましょ。



石さん、こんにちは。
お久しぶりです。

暑い暑い夏と、
大きな大きな台風の、
8月の終わり。

ここへ来る途中、
蝶に会いました。
初めて会う蝶でした。

ふっと気が付いたら、
あちらもこちらに気が付いて、

ひらり、ひらり…

ひらり、ひらり…

でも、こちらが何もしないと気が付くと、
また葉っぱにとまってくれました。


「ゴイシシジミ」という方です。
いも虫の頃はササに付くアブラムシを食べて、
蝶になったらアブラムシの分泌液を食べるそうです。
ここはちょうどみんなそろっているから、
しばらくはここにいるそうです。

ではまた、会えますね。
そう言いながら、
お別れして、石さんの所へ、
やって来たところです。


ササにアブラムシに、
ゴイシシジミ。
居場所がどうこうとか、
生きている価値がどうこうとか…
そこに疑問も、否定もなく、
彼らは、今日を、
ただ懸命に真剣に繊細に生きています。

けれど、
ササとアブラムシと、
ゴイシシジミの間には、
絶妙に確かに、
絶妙で確かな、
居場所と生きている価値が、
存在しているようで、
それは、
ただそれだけのことのようで、
ただそれだけのことのようではない、
ただごとではない…
そんな気がして。

ふわああと、なんだかあたたかくて、
ふかふかした気持ちになります。

石さんと、苔も。

石さんの所、
苔が青々、ふかふかです。


うさぎさん、今日は、
角を曲がって来てくださって、
ありがとう。

歩けるというのは、
なにやらおもしろそうです。
わたくし石は、
ここを動けないものですから、
そしてここには、
ササがはえていないものですから、
ゴイシシジミさんにお会いしたことは、
ありませんけれど、想像してみました。
懸命に真剣に繊細に生きるというのは、
大変なことだけれど、美しいことです。

ササにアブラムシに、ゴイシシジミ。
石に苔。
それからそれから、あなたも。

ここに私たちの居場所を残しておいてくれた
あなたがやってきて、
今日、この空の下、
絶妙に確かに
絶妙で確かな
私たち、です。

また、
お会いしましょう。

絵はがき〈2016年9月〉


ある日
秋の空を
見上げたくなるのです

喜びと哀しみを知って
静かに澄んでいる
あなたからうまれた大気に
あなたにしかない気配に

包まれたくなるのです

ある日
あなたを
知りたくなるのです

自分の弱さにもがきながら
懸命に明るく生きようとする
あなたからうまれた言葉に
あなたにしかない美しさに

会いたくなるのです

ある日
見上げたい空があるのです
知りたい人がいるのです
ある日どこかで
あなたに会いたいと
空の下で誰かが
願っているのです

だから

懸命に 生きて
美しく 生きて

秋の空を
あなたを
生きて


(2016年9月にかいた絵はがきと詩より)



ゴイシシジミは、
私に見つけられたくはなかったかも、
しれません。
けれど、ひょっとしたら、
そうでもないかも、しれません。

いつも読んでくださる皆様、
初めて見つけて読んでくださった皆様、
読んでくださって本当にありがとうございます。

教室の中が苦手だった人より。
夏休み明け、学校に行きたくなかった人より。
そして、大人になっても、
そのままの人より。

8月31日の夜に

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