名乗り方で自分をコントロールする
こんにちは、ライターの矢島美穂です。
・・・とnoteの書き出しで名乗るのを、
何日か前から辞めました。
「ライター」と名乗って書き出すのをやめたワケ
理由は2つ。
「自分らしく表現する」より「上手に書こう」としてしまうから。
そして、私にとって「書く」は「手段」であり、
他の得意と融合することで「書く」を発揮したいから。
ライターという「書く専門家」になることが
幸せなのだと思い込んでいたけれど、
どうやら私は専門家にならない方が幸せらしいと気づいたから。
▼詳しくはこちらを・・・
冒頭の一行がないだけで、心が自由。
嘘だと思うかもしれないけれど、いやいや、とっても自由。
名乗り方で自分をコントロールする
「こうなりたい」という目指す姿があるとき。
多少背伸びと感じても「そう名乗ってしまう」
という方法がありますよね。
いわばハッタリ。
自意識として、あるいは人からの見られ方として
そこに輪郭を与えてしまって中身を磨く、
という順番です。
(ちなみに私はハッタリ肯定派です。)
それとは逆に、
「縛られている自分」を解放したいときに、
「名乗らない」という方法もあるはずです。
・・・まぁ、これも
「縛られない自分」というありたい姿がある、
とも言えるわけですけれど。
つまり、名乗り方で、「在りたい姿」にむかって
自分の心の持ち方をコントロールできる、ということ。
というよりむしろ、
「名乗り方」は、私たちが想像する以上に
自分の振る舞いや思考を支配する気がするのです。
「ありたい」ならあえて名乗ればいいし、
「あるべき」に窮屈を感じる自分に気づいたなら、
名乗り方を変えてみてはいかがでしょう?
・・まとめ・・
名乗り方は、
ありたい自分である(あるいはそうなる)ための
一つの宣言。
ありたい姿に合わせて、
肩書を付けたり外したり変えたりしてみると、
ありたい自分にググっと近づける。
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