見出し画像

恋愛中毒

山本文緒「恋愛中毒」

20年前のベストセラー、という言葉に惹かれて手に取った本だった。2019年を生きるわたしだけど、1000年前に書かれた枕草子や伊勢物語に「せやなぁ」なんて思うくらいなのだ、20年前の価値観も、特に人を好きになることについては大差ないはずだと、やっぱりわたしたちは人を好きになってしまうのだと思いたくて手に取った本だった。きっとわたしの両親や、あるいはわたしにドヤ顔で愛の講釈を垂れる人にとってもバイブルだったかもしれない一冊なのだ。

何かに依存してしまったことはありますか。何かを渇望したり、何かに寄りかかりすぎたり、そんな思い出はありますか。何を隠そう、わたしにはそんなの、数えきれないくらいある。

手慰みのチョコレートをやめられなくなった夜がある、宇多田ヒカルの「Addicted to you」を聴きながら涙が止まらなくなった夜がある、メッセージを待ってスマホを握りしめて迎えた朝がある。孤独を紛らわすために枝毛を探しては抜き、居ても立っても居られないとはまさにこのことだと実感した日もある。

バクは夢を食べるというが、人は孤独を食べて生きていく。自我は人間に孤独を与えた。そしてその孤独を飲み込んだ数だけ人は打たれ強くなり、感性を鈍らせてゆく。

主人公の水無月も、きっとそんな女だった。いや、むしろ水無月は、たぶん孤独をうまく飲み込めなくなった女だった。ひとりぼっちであることに慣れてしまったから、すぐ隣に来た人に自分をまるごと投げ出してしまう、そうして生きてゆくバランスを取っている女だった。

水無月は大学時代にはじめて男の人と関係を持って以来、わりと途切れることなく次々とあらわれる男の人に依存している。孤独に慣れた人がその反動で人を愛してしまうと、その心地よさがぼんやりと感性を麻痺させてしまうのだろうか。そして水無月は、次第に獲物を独占するようになってゆく。賢い女だ。賢すぎるがゆえに、人の些細な変化を捉えすぎてしまうがゆえに、孤独を飲み込めず中毒症状にめりこんでゆくのだろうか。そんな女、世の中にたくさんいる、だからこの小説はリアルなのである。

あまりに有名すぎる一節、

「どうか、私。これから先の人生、他人を愛しすぎないように。他人を愛するくらいなら、自分自身を愛するように。」

があまりにも切ない。自分を愛するには孤独を超えなければならない。超えられなくて、心の穴を埋めたくて、必死で人を愛す。バランスを崩すと、それは依存、執着、粘着になってゆき、最後には全てを失ってしまう。愛した人も、そのまわりでつくられていた世界も、そして自分の人生すらも。

結局水無月はまた、

決めたことを守れないのならば、もう決めなければいいのにと思いながらも、わたしはそれを口には出さない。

なんて言いながら、きっとつぎの恋愛でもベタベタ依存を繰り返す。一度依存を覚えたら、その甘さと苦しさと他人に全身をもたれかねる感覚を覚えたら、もうそれを知らなかった頃には戻れない。

この小説にあるのは教訓や学習ではない。ただ淡々と、恋愛している人間の心の動きが描かれ続けているにすぎない。それがなんとも心地よく、しかし読了後にわたし自身が誰かを恋慕してしまうようなとろりとした感覚が残る、そんな一冊だった。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集