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喜びを捧げると、至福が増幅する

喜びを誰かと分かち合うと2倍になる、っていいますよね。

だから私はぺアでする社交ダンスが好きだし、チームが好きなのかもしれません。

そしてもっと喜びが増える方法を発見しました。

それは喜びを捧げる、です。

昨日、通っている社交ダンス教室で小さなパーティーがあり、そこで短いソロパフォーマンスを踊りました。

股関節を故障してレッスンをほとんど受けていない状態で臨みました。

まだ股関節は痛くて、動きも制限され、もっと行きたいのにいけない。それでも、あるいはだからこそ、久しぶりに踊れる、パフォーマンスできるのがとてもありがたく、新鮮な気持ちでした。

以前だったら、間違えないようにとか、もっと上に到達するようにとか、レッスンで言われたことをすべてできるように、そんな思いがどこかにあったのですが、どうせ思うようにはできない、とわかっていたので、上手くやる、完璧に踊ることをあきらめました。

そしてこう決めたのです。

「今日のダンスを神=私に捧げます」と。

どんなパフォーマンス、どんな結果があったとしても、この時間を私に体験させているのは神=私。うまくできなくてもそれは私のせいではない。私はとにかくこの体験を味わいつくす。あなた(神)の身体として踊り、あなた(神)の心として喜びを感じる。そしてそのすべては私のものではなく、あなたのものなので、あなたにつながる道を通して返す。

結果、無心で集中し、自分と一緒に踊る先生と、音楽だけがある世界の中で踊る喜びをただただ浸りパフォーマンスできました。

そしてその喜びはいっときのものでなく、私の心のもっとても強く根付いた感覚があるのです。捧げた分、強く深いものとなった。神=私がこの感情、この喜びを喜んでいるのが感じられます。

手放すというのは捧げること。そして捧げると喜びは強く濃く自分の至福の源に根付く。

捧げるってどんな気持ちになればいいの?と思うかもしれませんが、ただ言うだけでよいのです。あとはお任せです。捧げると決める。これは神様のものだと決める。それだけです。

思い込みや執着といったネガティブなものを手放す、ということはよく書かれています。でも、喜びのようなポジティブな感覚のものも、手放すのです。

手放すと自分から去ってしまうのではと思うかもしれません。でも手放した先は神=自分なので、じつは取り上げられてしまうのではなく、もっと豊かな幸せ感に増幅します。

温泉に入った後、ぽかぽかが続くようなそんな感じなのです。

喜びも捧げる。だまされたと思ってやってみて。

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