仕事とは相手の中の自分の仏に会うこと
仕事というのは、自分の才能を発揮し、相手の喜びを産み出すもの、与えると受け取るのサイクルを与える側として先に回すものととらえていた。
でもこの坂爪さんの記事を読んで、相手、つまりお客様の中の仏に合うことが仕事なのだと思った。(坂爪さんは仕事としてはしていないけれど。)
全ての人の中に仏はいる。神、宇宙、根源、ワンネス、高次の存在、なんとよんでもいい。
その仏の存在を感じられたとき、その仏を有していた本人も、またそれを引き出した仕事をした側も、区別なく仏の光を浴びる体験をする。
そうなると、どっちがどっちに与えたとかではなくなる。
なぜなら仏は、私の中の仏も他人の中の仏も同じものだから。相手の仏をみるということは自分の仏に会うということ。
仕事をする側は、相手が仏に会うサポートをすることで自分の仏とまみえる。客側もまた、相手に自分の仏を引き出させることで相手に仏を知るという体験を与える。
経済という仕組みのうえで行われるので、そこには形式上の提供する側と客という立場があるだけ。
教師と生徒もしかり。医者と患者も、政治家と国民も、芸術家と鑑賞者も。
そして。
相手の仏を引き出せるのは、自分の仏の存在を受け入れ、愛し、信じ、尊重しているひとだけだ。
いかにたくみな技術やたくみな話術があっても、その人が自分の仏にオープンになっていなければ、人の仏に繋がることはできない。
自分は客だ、自分は先生だ、と他人との立場でマウントをとるマインドは、自分の仏にオープンではない。自分を下げるマインドもそう。それは、仏に席を譲るのを恐れるエゴの思考だ。
人がかぶっている皮ではなく、中にある尊いもの。それに触れること、垣間見ることができたとき、深い感動がある。仕事というのは、それを分かち合うためにするものなのだと思う。