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すべき、した方がいいという損得勘定は情熱の火を消す

情熱と損得計算って相性が悪い。

やりたいこと、抑えても抑えても訳もなく沸き上がるやりたいという気持ち。これは情熱。

つらい仕事をやめたので、これからは本当にやりたいことをやって自由に行きたいと思う。でも何をしていけばよいかわからないのです、という話をよく聞く。

自由ってどういうことですか?と尋ねると

行きたい場所に行きたいときに行けたり、会いたい人に会いたいときに会いに行けることです。本当にやりたいことをやって、そういう人生を生きたいのですと言う。

この望みには2つの要素があることに気づいていない。

やりたいことをやる、と、経済的自由を手に入れること。

やりたいことがわからないなら、好きなことはなんですか?と聞くと、分からないとか言っていたわりに、大概の人はなにかしら答えを持っている。

それをなぜやらないんですか?

それでは人に見てもらえない、影響力をもてない、つまり稼げない。

稼げないから、楽しいことも好きなことも、これからやっていくことの中には入らない

うーむ、それって本当にやりたいことをやろうとしている訳じゃないよなっておもう。

稼ぎたい、というのと、情熱を弾けさせるのは別物だ。稼ぐことが大好きで情熱を燃やす人以外は。

やりたいことをやりたいけれど、それは稼げないから違うと切る。

あるいはやりたいことを稼げる形に寄せてやろうとする。

これらをやると、思うがままに表現したい❗️という熱が冷めてしまう。

たとえば、書くのが好きだったはずなのに、稼げる形の文がどうしても書けない。そのうち、稼げる文どころか書きたいのに書けなくなって苦しくなる。

情熱と損得勘定は両立しないのだ。

情熱のままにやっていたら突き抜けて稼げる、ということはある。でも最初から損得勘定を入れ込むと、情熱の純度が下がる。すると、自分も不完全燃焼だし、出来上がったものもつまらないものになる。当然、人も集まらない。

情熱を燃やして好きなことをしたいなら、損得勘定を混ぜないで、とっととやるしかない。


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