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鰹節とだしのものがたり その2・鰹節の進化

こんばんは。
伊豆田子節と北海道産天然真昆布が織りなす、身体と心を満たす「魔法」、おだしマジック!®️の髙窪です。

さて、昨日からスタートした「鰹節とだしのものがたり」の2回め。

今日は・・・
鰹節の進化、についてです。

鰹節って、長い長い時間をかけて、その製法が進化しているんですよ😊

鰹節の製法は長い歴史の中で徐々に進化し、現在の形に至っています。
その起源と発展を辿ると、いくつかの重要な変遷が見えてきます。

室町時代になると、現在の「なまり節」や「荒節」に近い加工が行われていたと考えられています。
当時の鰹の保存方法は、魚を煮た後に干して保存する技術が発展していましたが、現在のような燻製工程はまだ確立されていなかった可能性が高いのです。

実際、この時代の文献や記録には、現代の鰹節のように「カチカチに乾燥したもの」ではなく、煮て干した保存食としての記述が多く見られます。
つまり、室町時代の鰹節は、熟成やカビ付けといった後工程を導入する前の、現代の「なまり節」や「荒節」に近い状態であったと推察できるのです。

また、現在の鰹節における燻製技術は、日本独自の発明というよりも、東南アジアの干魚加工技術が起源であるとの説もあります。

特に、インドネシアやフィリピンでは、古くから魚を燻製・乾燥させる文化が存在し、これらの技術が琉球(沖縄)を経由して日本本土に伝わった可能性が高いと考えられています。

琉球では、薪を用いて魚を乾燥させる技術が古くから確立されており、その技術が日本の薩摩(現在の鹿児島県)や伊豆へと伝わることで、鰹節の燻製工程が次第に確立されていったと推察されます。

このように、鰹節の製法は、室町時代の煮干し型の保存法から始まり、東南アジア由来の燻製技術の影響を受けながら、日本各地で独自の進化を遂げ、今日の「本枯節」に至ったと考えられています。

考えられている、という書き方になっているのには理由があります。

室町時代やそれ以前の鰹節に関する記録は少なく、当時の製法の詳細が明確に記載された文献はほぼ存在しません。

残されているのは、料理書や古文書の中で「煮て干した魚」といった表現が登場する程度であり、それが現在のなまり節や荒節に相当するのかどうか、残念ながら確定的なことは言えません。

また、燻製技術の伝来についても、東南アジアとの交流の中で伝わった可能性が指摘されているものの、具体的な証拠となる記録は乏しく、考古学的な発見や伝統的な製法の類似性をもとに推測されている部分が大きいのが現状です。

しかし、江戸時代に入ると、鰹節の製法が確立されていく過程が『本朝食鑑』(1697年)などの文献に記録されており、現在のような燻乾・カビ付けの工程が整備されていったことが確認できます。

そのため、江戸時代以降の製法に関しては、より確かな文献が存在すると言えます。

つまり、古代から室町時代にかけての鰹節の製法については、確実な記録が少なく、推測を交えた考察が必要になりますが、江戸時代以降は文献の裏付けが増え、より確実な歴史がわかっている、ということになります。

この続きは、また次回のお楽しみに🐟

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