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鰹節とだしのものがたり その8:「だし」の変遷について
こんにちは。
伊豆田子節と北海道産天然真昆布が織りなす、身体と心を満たす「魔法」、おだしマジック!®️の髙窪です。
さて、少しずつお伝えしている鰹節とだし、についてのおはなし。
少し更新までお時間をいただきましたが、8回めの今日は・・・
だしの変遷について、です。
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これまで鰹節の製法について、ざっとお伝えしてきましたが、鰹節のだしが登場したのは、いつ頃からなのでしょうか。
以前お伝えした通り、古くは701年の大宝律令の時代には、堅魚や煮堅魚、堅魚煎汁などが使用されていたとされています。
時代が進んで室町時代に入る前後になると、魚介類や海藻、野菜などが組み合わさり、現代の日本料理に通じる形で発展し、調味料類も徐々に発達していきました。
その中で、堅魚や煮堅魚、堅魚煎汁は、次第に鰹節を使っただしに取って代わり、鰹節がだしとして広く使われるようになったと考えられます。
現在の鹿児島県南部にある種子島に住む種子島氏が残した『種子島家譜』には、永正11年(1513年)ごろに「かつほぶし」の記載があります。
この時期、料理流派が生まれ、料理書が徐々に発展しました。
特に、四条流や大草流は、京都や近畿地方を中心に流行した料理流派で、これらの流派は日本料理に大きな影響を与えました。
この続きは、また次回のお楽しみに🐟
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