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鰹節とだしのものがたり その13:伊豆田子節の台頭
こんにちは。
伊豆田子節と北海道産天然真昆布が織りなす、身体と心を満たす「魔法」、おだしマジック!®️の髙窪です。
今日は急に寒くなりましたね。
風邪などひかないように、お気をつけてくださいね。
さて、少しずつお伝えしている鰹節とだし、についてのおはなし。
13回めの今日は・・・
伊豆田子節の台頭、についてです☺️
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江戸初期から中期にかけて鰹節の名産地だった紀州に代わり、いつから伊豆田子節が3大鰹節として台頭してきたのでしょうか?
紀州に代わり、西伊豆の田子地区が鰹節の三大産地の一つとして台頭したのは、江戸時代後期、19世紀初頭から中頃にかけてです。
この時期、田子地区は鰹節の生産技術の向上と品質改善に取り組み、特に高品質の鰹節である本枯節の製造で知られるようになりました。
田子地区が鰹節の主要産地として評価を高めた背景には、以下の3つの要因が考えられます。
1つ目は地理的利点です。
田子は江戸に比較的近く、海上輸送を利用して迅速に製品を供給できました。
この地理的優位性により、江戸の市場へのアクセスが容易で、需要に応じた供給が可能でした。
2つ目は技術革新です。
田子の生産者たちは、鰹節の製造工程においてカビ付けや天日干しなどの技術を改良し、高品質の本枯節を生産しました。
これにより、他の産地との差別化が図られ、市場での評価が高まったのです。
3つ目は需要の増加です。
江戸時代後期には、江戸の人口増加や食文化の発展に伴い、鰹節の需要が急増しました。
田子の生産者たちは、この需要に応じて生産量を拡大し、市場のニーズを満たしたのです。
これらの要因が相まって、伊豆田子地区は鰹節の三大産地の一つとして確固たる地位を築くこととなったのです。
この続きは、また次回に🐟
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