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鰹節とだしのものがたり その12:江戸中期の鰹節産地

こんにちは。
伊豆田子節と北海道産天然真昆布が織りなす、身体と心を満たす「魔法」、おだしマジック!®️の髙窪です。

さて、少しずつお伝えしている鰹節とだし、についてのおはなし。

12回めの今日は・・・
江戸時代中期の鰹節産地についてです☺️

西伊豆・カネサ鰹節商店前から見える田子の海

前回、鰹節のだしの取り方でご紹介をした、江戸時代初期の寛文8年(1668年)に成立の料理書『料理塩梅集』から時代が進み、享和3年(1803年)に出版された料理書『新撰庖丁梯』では、鰹節の産地について詳述されています。

同書によれば、「最上品は土佐産(現在の高知県)、次いで薩摩産(現在の鹿児島県)、紀州産(現在の和歌山県)がそれに続く」と記されています。
江戸中期には土佐、薩摩、紀州が、当時の三大優良品とされていたのです。

しかし、紀州熊野浦の鰹節については、「カビが多く柔らかいため、だしはやや濁るが味は良い。ただし、土佐・薩摩のものには劣る」とも記されています。

さらに、別の記述では「精選された鰹節を使うには、必ず土佐産を選ぶべきだ。ただし、土佐の上等品は手に入りにくいため、薩摩産の上品なものを使うのが良い。ただし、カビ臭がなく、虫に食われていないものを選ぶべき」とあります。

これらの記述から、当時の鰹節の品質評価や産地による評価の違いがわかります。
さらに、江戸中期には鰹節の製法にカビ付けが始まっていたものの、十分に水分が取りきれていないため、長期保存すると品質を劣化させるカビが発生し、その匂いが鰹節の中まで浸透してしまうことがあったと考えられます。

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