9年間のバレー人生の引退試合をなにも思い出せない話
今日、上記のコンテスト企画の優秀作品が発表された。どのnoteも呼吸を忘れるくらい、のめり込んで読ませていただいた。どれもさすが優秀賞作品。興味深い作品ばかりだった。
その中でも、わたしの目に止まり、思わずこのnoteを書かずにはいられくなった作品があった。
タイトルがまず気になる。読んでいくと学生時代に所属していたバレー部での話だった。
喘息で運動が苦手だった天瀬廣さん。体調の関係で、運動からは逃げるように生活していたが、ひょんなことからバレー部に入部。そこから鬼のように厳しい顧問の指導を受けるようになった。
noteのクライマックスは、引退試合。相手チームがマッチポイントのなか、ピンチサーバーとして呼ばれるシーン。試合の緊迫感が一文字ひともじから伝わるし、わたしも9年間バレー部だったこともあり、目頭が熱くなった。
🏐 🏐 🏐
いや、まてよ。わたし思い出せなくない???
9年間バレーしてたのに、試合のことなんも覚えてなくない???
やっぱりなにも思い出せなかった。
マネージャーの話も思い出してみたけど、自分の引退試合なんて、やっぱりなにも思い出せなかった。ただわたしはこれには理由があることも知っていた。
🍂 🍂 🍂
わたしは9年間もバレーを続けたが、バレーが大嫌いだった。本当はやりたくなかった。続けたくなかった。
習い事でがんばっていたダンスに力を入れたかったし、高校はせっかく進学校に入学したから勉強もがんばりたかった。
だけど、わたしが通っていた中高では、途中で部活をやめるなんて許されなくて、やめたいと顧問に相談したときもものすごく引き止められた。
そう言われ続けた。中学も土日は1日練習試合、長期休みは合宿ときつかったが、高校はさらにハードだった。
なんせ各中学校のエースが集まるバレー強豪校に入部してしまったから、レベルが高い。ついていくのに必死で、部活が終わってもわたしは自主練して、クラブにも通った。
毎日ヘトヘトで、やっとの思いで耐えた3年間が終わったとき、わたしには何も残らなかったことを覚えている。
そんな他責思考な、ネガティブな、どうしようもない苛立ちが湧いてきたことを覚えている。
🌀 🌀 🌀
だからそのときに悟った。「継続はたしかに大切だけど、人から言われて、無理やり続けることや、意志がないものに時間を使っても残るものがない」と。
そしてそのときわたしは、無意識だけど、記憶を消そうと思った。この悲しみやつらさを受験に全部捧げようと思った。これからは自分がやりたいことを、誰になんと言われようと、成し遂げようと決めた。
🌈 🌈 🌈
上記にあげたどの話も9年どころか1年もかかっていない。だけど、自分の意思と決意さえあれば、どんなことも叶えられると自分の実体験を持って気づけた。
人生は短い。学生時代の9年間、やり直せるならやり直したい。基本的に全ての物事をポジティブに捉えるわたしだが、今日はネガティブ全開で書いてみた。
だけど、きっとつらかった9年間があるから、今のわたしのパーソナリティが築かれて、今の生活が成り立っているとも思う。
何がどうつながっているかわからないのが人生だから、いつか、あの9年間も良い思い出だな、先生が言っていた意味がやっとわかったな、と思えるようにこれからもいろんな経験を積んでいきたいと思う。