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書きながらの内観

最初は「アートと内観」というタイトルで書こうとしたこの記事。
それが書いているうちに、あらぬ方向へ。

実はパソコンを使ってこのような記事を書くのは本当に久しぶりのことで。
※ここ数年はブログもスマホから。

スマホでチマチマ打つのと、パソコンから両指を使って打つのでは全然違いますね。

書きながらの内観。
思いがけず体験しました。

記事のタイトルは「アートと内観」→「私と創作と表現」→「書きながらの内観」と変化していきました。

以下、そのまんま投稿します。

◎幼少期・家庭での創作、表現のこと。

祖母とよく居た記憶。

3人兄弟の長女(1番上)だった私は、兄弟の中でも祖母と関わる時間が一番多かったように思います。

居間で煙草を吸いながらテレビを見ている祖母のそばで、私はよく宿題をしたり、絵を描いたり、折り紙を教えてもらったりしていました。

当時は、上手下手など関係なく、ただただ創作そのものに夢中になっていたように思います。

折り紙を2色使って作る手裏剣(しゅりけん)、ハナミズキ、大量生産(笑)。

ばかみたいに作って、最終的には糸で繋いで暖簾(のれん)にもして、いつだったかの夏休みの図画工作の宿題として提出したような記憶もあります。

手裏剣づくりは何が楽しかったって、色の組み合わせ。

この色とこの色の組み合わせが好き!をただただ楽しんでいる、というような。

今の仕事にも繋がっているのかな、と思います。

母も何か作ることが好きだったのだと思います。

当時は携帯もスマホも無かったし、主婦の趣味と言えば、お料理・手芸・洋裁・和裁・園芸、、、と、そんなところだったのかもしれませんね。

母は料理教室にも通っていたし、手芸全般、マクラメ(洋風の組紐的な)、ロマンドール(紙粘土の人形)、編み物、洋裁、それから庭にたくさんの花を咲かせていたし、そう言えば着付け、お習字、お茶、、、と、結構やっていたのね。と、こう書きながら改めて気づく次第です。

母にしてみれば、外で働いているお姑さんと同居、父は不規則な遠距離通勤、子供は私を含め3人。犬も2匹飼ってたっけ!

慌しかったであろう生活の中で、そんな時間をいつどうやって捻出していたのだろうかと、当時より圧倒的にいろんなことが便利になった時代に主婦をしている私には、そう思えます。

書いていて気付いたのですが、母に、こう何か創作的なことを教わったという記憶があまりありません。(私が覚えていないだけなのか。)

私が自分で何かを作っている時に、できないこととや分からないことはずいぶん聞いて教えてもらいましたが。

母は自分の趣味を私に押し付けなかった、というより、自分の時間を心底楽しんでいたのだろうと、勝手ながら今思います。

でも。

何事父には隠れてやっていました。

だからでしょうか、、、もしかしたらそんな母の姿をみて、私はどこかの段階で、「自分が本当に好きなこと・楽しいこと・趣味は、隠れてやるべき。その方が都合がいい。」と勝手に解釈したのかもしれません。

ついでに父の話もしようと思います。

私の父への印象は、変わり者、です。

お父さんて、毎日家族のために働いて、時々庭をいじったり(盆栽的な?)、自治会に参加したり、消防をやったり、子供と戯れたり、時には家族に「もう、お父さんたら!」と笑われたり、、、と、そんなイメージが強かったのですが、今思えばそれもテレビの影響なのかな、と思ったり。

サザエさんのお父さん・波平さんとか、当時放送されていたテレビドラマなどに登場するお父さんのイメージ。など。

それに比べると私の父は、毎日働きには出ていたものの、家では殆ど喋らず、帰ってきたらテレビのチャンネル権は絶対。箸が出てくるまで動かない。

そんな父だから、子供たちは父が帰ってくるとテレビがある別の部屋に移動、もしくは自室に入る。と、そんな感じでした。

でもそれが普通と思っていたから、父のことを特に「嫌い。」とは思ってなかったように思います。

まぁ、祖母(父にとっては実母)に手をあげたりするのは、ただただ怖かったけど。
※その話を展開すると、またテーマが変わってしまいそうなので、それもまた必要なれば。

それで、変わり者の話に戻るのですが、父には母に負けないほどの(?)趣味があって。

テナーサックス、トランペット、カラオケ、映画鑑賞、乗馬、、、ここで酒は入れるべきか否か、、、母曰く、父の腹の中には蔵が建つほどの酒が流し込まれてる、と。笑

実家には、父の部屋があります。

子どもたちは基本立ち入り禁止の、秘密の小部屋です。

父にとっては大切なものばかりだから、壊されたくないわけです。

どんな部屋かと言うと、バーカウンターあり、ステージあり、スタンドマイクあり、大スクリーンあり、そのための機材あり、レコード、洋酒、日本酒、サイフォン式のコーヒーメーカー、器類、毛皮のソファ、そしていつも薄暗い・・・と、まるでスナックというかバーというか。

だからと言って、誰かお客さんが来るかと言えば、年にひとり、ふたり。

そう、あの「秘密の部屋」は、完全に父の趣味の部屋でしかないのです。

父を嫌いではなかったけど、今思えば、そんな部屋まで持ち、家に居る時は自分の好きなことにばかり目を向けている父に対して、私はどこか、自分の好きなことばっかりやってないで、もっとこっちを向いてほしい、かまってほしい、子どもを立ち入り禁止にするほど自分が大事な趣味なんて、、、と思っていたかもしれません。いや、思っていたのだと思います。

もしかしたら母も父に、私と同じような感情を抱いていたかもしれません。

もっと家族に愛情を向けてほしい、と。

そんな思いから、また私は「自分の好きなことに没頭すると、誰か(家族)が寂しい思いをする。」と解釈したのかもしれません。

でも、数年前から、自分の体の中に、父の血というか影響というか、同じものがあるように感じてきたのも確かです。

ふと、「ん?私がやってること、父と似てる?」と感じることがあり、でも、父に思いを馳せては「いやいやいや、滅相もない!」と首を振る。

・・・と、ここまで書いて、書くってすごいこと!と思いました。

ものすごい内観になっています。

それで、まとめる必要もないのだけれど。

ただ自分が好きなことをしているだけなのに。
ただ自分が好きなことをすればいいだけなのに。

自分が好きなことをする、ましてやそれを表現すると、何か都合のわるいことがある。誰かに寂しい思いをさせる。

書きながら、なるほどなー、、、と、自分に思いを寄せています。

色にも、表れている。

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