家族アレルギーだった私も、母の日メルマガを書けるくらい大人になった
これは、「ふつう」の家族観に対する挑戦状。兼、「ふつう」じゃない家族のもとに産まれたすべての人たちに贈るラブレター。
家族アレルギーのピークは20歳だった
最終的に解離性障害という病気…障害?を抱えることになる私は、家族というワードにとにかく敏感だった。
映画やドラマに家族描写があると嗚咽し、震え、身体の自由がきかなくなる。本物の両親と対面で話すと顔が痙攣し、ものが噛めなくなる。
実家暮らしだったから、家に帰ることを想像すると足がすくんで動かなくなって、断念して漫喫で夜を明かして、共働きの両親が出勤してから誰もいない家にこっそり帰った。
幼い時からもらったお年玉を全額預金口座に放り込んでいなかったら、たぶん私の貯金は漫喫代で尽き果てていたと思う。物欲がなかった幼少期に感謝。
たぶん健全な家庭に育った人だったら、この「家族アレルギー」というものにまず驚くと思う。
世の中には、ちっとも安心できない家族という関係も間違いなく存在する。虐待とか暴力とか犯罪とかわかりやすいものだけじゃなくても。
私の家族は、
暴力…は酔っぱらったときとかにちょっとあったけど、あんまりなかった。犯罪も道路交通法違反で免停くらったくらい。
虐待…も、いまの日本基準だとほぼないといってよいと思う。
というかむしろ裕福な家庭だったので、ほかの子よりもお金をかけてもらった。大学を(上記家族アレルギー、ひいては解離性障害の症状で留年して中退したけど)5年間、全額学費を出してもらっているくらい。
じゃあなにがダメだったかというと、普通に人間関係が悪かったのである。
家族だって人間関係のひとつの形。合う合わないはある
私と家族、特に母親は相性がとにかく悪かった。
私は同級生に母のような人がいたら、まず間違いなく近づかないようにしていたはず。
でも、同じ家を共有する家族なので関わらざるを得なかった。
そしてストレスで私は家族アレルギー…つまり解離性障害という精神疾患を抱えることになった。
家族に「合う合わない」が存在すると理解できる人は、今の日本には少ない。私もおおっぴらに広まるべき価値観とも思わないし。
でも、人間同士の関係性なので相性はどうしたって存在する。
多くの人が家族を「かけがえのない大事なもの」と考えているのは、
ふつう人間はある程度環境に適応するようにできていて
だから産まれた時に最初に学習した環境=自分の生家がいちばん自分に合うように育っているからだと理解している。(たぶんそういう人たちが、こんなこと意識もしないだろうけどね)
普通は成長してからも生家と大きくかけ離れた個体には育たないはずなんだけど、
私は(母親が人間的に未熟だったことと、私が最初のコミュニケーション能力の得かたを間違えたせいで)なぜか生家が安心できない個体として育った。
そんな私でも20歳くらいまでは世間一般の価値観だった。
「家族は大事にするべき」だと思って生きていたし、ちゃんとお金をかけてもらった恩は感じていた。
だからそれを素直に受け取れない、どころか、「家族は大事にするべき」と考えているはずの脳を経由する前に身体が家族に拒否反応を示す状況はすごく心苦しかったし
(これは解離性障害という、私の抱える精神疾患の影響なんだけど) 自分の身体と心がちぐはぐな状況がすごくストレスだった。
身体は完全に、相性が悪い家族を拒絶する。でも脳は「家族を大事にしないなんておかしい」と思っている。
本来は身体と脳の間を心が取り持っていて、家族に逐一不平不満を漏らすとか、ここは嫌だから直してほしいと伝えて状況を改善してもらうとかしてくれるはずなんだけど
心が完全に職務放棄している状態。
それが私の抱える「解離性障害」という精神疾患だった。
「家族」と聞くだけで取り乱していた私が、母の日ギフトのメルマガを書けるようになるまで
20代前半の時には、見に行った映画の中に家族の描写があると過呼吸を起こして、自力で帰れなくなったりしていた。
映画館で映画を見ると結構な確率で地雷を踏むので、映画鑑賞を趣味にするのはやめようと心に誓った。
(そしてドラマでも同じ現象が起こるので、自宅に居る分少しマシとはいえドラマも避けるようになった)
「母の日」「父の日」「クリスマス」「敬老の日(父方の実家がアル中家系なので)」「勤労感謝の日(当時病気のためニートしていて感謝する対象が両親になってしまうから)」とかもダメで、
意識しないでTwitterを見てこの話題が出てくると身体に力が入らなくなるから、こういうイベントが近づいてくるとカレンダーを見ながら覚悟を決めていた。
我ながらよく生きていたと思う。
自分が解離性障害という精神疾患…というか、精神障害を抱えてしまったこと、
障害だから、一生この症状とうまくつきあっていく他ないこと、
そして別に誰が悪いとかじゃなく単純に相性で、母親は未熟ではあったけど日本ではよくある、むしろ過半数がこのくらいの家庭であること。
20歳そこらの小娘が受け入れるのは、なかなか難しかった。
でもちょっとずつ、受け入れることにした。
誰も悪くない、仕方ない。
私は配られたカードで戦うしかないのだ。
私の性格と母親の性格は相性最悪だった。でもこのカードで、できるだけ効果的に、「幸せ」という目標に向かって。
母の日に対して、今、思うこと
そして今。アパレルブランドのプロモーションを担当している私は、仕事で母の日用のメルマガを書けるくらいまで、自分の過去を受け入れた。
そして思うのは、「母の日にはやっぱり、感謝を伝えてほしい」ということ。
…ちょっと違うから、より正確に表現するなら
「親は、自分の子供がすくすくと育ち、子供が親に感謝するのは当たり前だと思えるような環境を用意する義務がある」
「そのような環境を用意してもらった子供は、母の日などの機会には折に触れて、感謝の気持ちをきちんと言葉にしてほしい」
「それはけっして生半可な覚悟で用意できる環境ではないし、しかも親はたいていの場合、自分より早く死ぬから」
このくらい言葉を尽くせば、私の今の考えは伝わるんだろうか。
そして、私と同じく「親に感謝するのは当たり前だと思えるような生育環境」を与えられなかった…センシティブな単語で言い表すなら「毒親持ち」のみなさん。
今日は、強く生きましょうね。
あなたが母親に感謝できないのは、そう思わせてくれなかった親の責任。
無理に感謝する必要はない。
ゆっくり自分を労わってください。