娘の内なる鬼、それは。
こんにちは おつかれさまです。
今日は節分ですね♬
節分という言葉には、「季節を分ける」という意味があり、「立春、立夏、立秋、立冬」の前日のことをさすそうです。
年に4回あり、室町時代あたりから、節分といえば立春の前日を指すようになったようで、旧暦では春が新年の象徴だったため、立春前日の節分は大晦日のようなもの。
昔は「季節の変わり目には邪気が入りやすい」と考えられ、年の変わり目でもある立春前日の節分に、邪気の象徴である鬼を追い払う行事が定着したようです。
確かに季節の変わり目って体調も崩しやすいですもんね。邪気が入ってきたと言えばなんだか納得。
うちでも季節の行事を楽しみたくて、毎年積み木で鬼をつくり、鬼がでてくる絵本を読み、節分の豆まきから、やいかがし(玄関先に鬼のいやがる柊と鰯を飾る)、恵方巻き、きびだんご!これでもかと網羅。欲張り鬼見参!
小さい頃は何にもできなかったので、せめてもで積み木の鬼を作っていました。
それが毎年のこととなると、娘もよく知っているもので、「ママー!やいかがしと豆用意した?」と確認してくるほど。
用意していないよ。と言ったら最期。この世の終わりみたいな顔をするので、なんとかしよう!と一致団結。豆は用意しているけど、やいかがし。笑
工作した年もありましたが、いつもの公園、散歩道に柊があるのはもう把握済みです!
そもそもなぜこんなに怖がっているのか?
4歳の時にやってきたパパ鬼が怖すぎてトラウマに。パパは基本いたずら大好き人間でして、生きがいみたいなもんです。(例えばGのフィギュアを部屋の隅の方に仕掛けていて、見つけた私はぎゃー!)
4歳相手に本気の鬼をやってしまったんですよね。
ほんとしつこくて…2人はパパとは知らず、そりゃあもう怯えて、一年中鬼を怖がって過ごす羽目になりました。そして、パパ鬼は私という本物の鬼にこっぴどく叱られたのでした。
あれから4年…一度も鬼はきていません。(そりゃあもう来れないです)そしてあれはパパだったとネタバラシ。にもかかわらずまだまだ「やいかがしの用意した?」怯える娘。
本当に猛省でありました。(パパが)
そんな我が家ですが、自分の中の鬼をやっつけよう!と毎年話をします。
鬼というのは結局自分の中に潜む鬼。寝坊助鬼、ケンカ鬼、自分のいやだなぁ~と思う自分の中の鬼。
今年娘は「イライラしちゃう鬼」「言葉が悪い鬼」と言いました。
親ばかですが、娘は私の小3の時よりもとてもとても優しい子です。困っている子がいるとすぐ助けにいく、きにかけるはもちろん、母である私にもいつも労いの言葉をかけてくれ、ありがとう。大好きだよって沢山言ってくれる。天使かな?と錯覚。自分の娘はとは思えない程、感謝の気持ちを言葉に出して伝えてくれる娘達です。
そんな二人ですが、ここ最近すぐにイライラしている様子もみてとれるし、二人で喧嘩をすることも多々。どうしてなのかな?と思った先に「9歳の壁」という言葉がありました。
ギャングエイジのはじまりともいうそうで、9歳の壁とは、子どもの自己肯定感が失われやすく、つまずきや劣等感、自信をもてなくなること。今まで主観的に生きてきたけれど、9歳頃になると脳が発達して、自分を客観的にみるようになるということのようです。
思春期に向かう前の準備期間なんですね。とにかく、今までよりも一層自己肯定感が低くなる。そもそも双子で比べられることも多い二人。これからは、というか、既に自分でも比べてしまって苦しいこともあるんだろうなぁと思うと、本当にごめんと思う。
でも、これは誰もが通る道。自己肯定感が低くなるのであれば高くすればいい。高くするにはどうしたら?
ありがとうの言葉がけはもちろんだし、得意なことで自信をつけてもらいたいというのももちろんですが、
さらに「見える化」にしようと提案し、お互いの良かったところ、言ってもらえて嬉しかった言葉をポストイットに書いてホワイトボードに貼りました。何か自信を無くした時、そのポストイットが目に入ればどんな言葉よりも嬉しいはず。
友達関係も広がり、学校や習い事も増え、一緒に過ごす時間が少なくなってきた今、家の中はほっとできる安心の場所であってほしいなと願います。
鬼はそと 福はうち
またこの一年無病息災で家族仲良く過ごせますように。