トルコ①”Enjoy your life” テロ5日後の深夜のイスタンブールを、現地の子と歩き回った話
この記事・下書きを書いてから、もう2年が経過していました。今読み返すと、当時どれだけ感情に翻弄されていたか伝わってきます笑 同時に、あれだけのショックを受けながらも、その経験の大半を忘れていたことに気付かされました。20歳の時の自分に、この旅の記録を詳細に残しておいてくれてありがとうと伝えたい。今の自分の背中を押してくれるような、何か前向きな風をもらってる感じがする!
トルコ③〜⑤の公開及びトルコ①&②の追記をしました。
当時は、当時の感情のままに、当時の経験を綴っていたので、かつ、2年前の私の文章力は酷かったので、その時何が起こったのかをこの文章から読み取るのは読みづらくて大変な作業なのだけど、その時の純粋な加工されていない気持ちを記録するために&伝えるために、恥ずかしながらこのまま公開させて頂きます🙇♀️偏った言葉がところどころあるのですが、ご容赦いただけると幸いです。
2024/10/6 22歳の私より
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11/18-11/22、友達(Yさん)とトルコに行きました。
5日前の11/13にイスタンブールでテロがあったばかり。深夜1時にイズミル(トルコの海沿いの街、イスタンブールより南に飛行機で1時間)についてそこに2泊、その後イスタンブールで2泊(最終日は空港泊)した。
本物の銃のお店の前通ったり、麻薬の香り20〜30センチのところで感じたり。トルコから帰ってきて約2週間、ほぼ部屋から出れなかった。でもスウェーデンでの生活に加えて、私の内面に大きく影響したきっかけです。
イスタンブールで、ひとりの現地の子と友達になった。その子は、5分前にテロの現場いた、麻薬取引などがあるスラムに住む中で真っ直ぐな人間性を持った人。
ファザ(あだ名)っていうんだけど、そのスラムの中でそのような人間性を持っていて(賛否両論ある表現だけど、少なくとも当時の私はそう感じた)、さらにはテロに遭わずに済んで、広いイスタンブールで「観光客」の私たちと出逢って、住む世界の違いを超えて「友達」(私はそう信じる)になった。
色々奇跡が重なったお話です。
色んな意見あると思うけど、新しい考え方に出会うと悩みの出口に少し近づくと思うの。なので「こんな考え方もあるんだな」って一つの視点として読んでくれたら嬉しいです。長くなるけど、最後はみんなが今抱えているものが、軽くなってたらいいな。
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ファザとの出来事が伝わればいいな。
まずは、マイナスな視点で見たトルコを、2つのページに分けてシェアします。
(一方で、とっても温かい人たちにも出会いました。その優しさについては、本当にたくさんあるのでまた別のページで語ります!)
是非前置きも読んでいただきたいけど、なにせ長いので、メインの「イスタンブール1日目」だけでも読んでくれたら嬉しいです。
前置き:イスタンブール到着前
トルコは、ついた瞬間から初めて感じる雰囲気でした。初めての、地理的には中東、文化的には多様な文化が混ざり合った独特なトルコの文化。
そもそもコペンハーゲン空港のゲート前から異文化を感じてたかな。人種や服装、あと、子供連れ家族は多くないのに子供が多かったことなどなど。
まず、イズミルついた瞬間、飛行機で一人警察に連れて行かれたの。なんでかはわからない。怪しい人だったのかも。テロの直後だったからかわからないけど、とっても出国&入国審査が厳しかった。
イズミルに行くのに、イスタンブールで乗り換えしたんだけど、この厳しい審査が原因で大トラブルに遭った。
イスタンブールからイズミルまでの飛行機のオンラインチェックインをしないといけなかったの。私たち(私とYさん)のSIMカードはトルコでは使えなかったので、wi-fiが必要だった。でも、空港のwi-fiは電話番号orメアドの認証が必要で、認証番号が受け取れないからwi-fiを繋げられなかった。仕方なく、そのまま乗り継ぎしないで一回外に出て、出発ゲートでチェックインしようってなったの。でも、出ようとすると入国審査が必要じゃない?入国審査の列に並んだんだけど、すっごい長い列で、全く進まなかった。イズミル行きの飛行機は2時間後で、そこに1時間くらい並んだのに先が見えなかった…そしたら、10分くらい前から少し会話してたデンマーク人(多分?)の女の人がiphoneのインターネット共有をしてくれたの!無事繋がって、これでオンラインチェックインできるからこの行列並ばなくて済んで乗り換え間に合うって思った!そしたら、オンラインチェックインができないチケットだった…
先に行かせてくれないかって事情を空港スタッフ話したんだけど、「並ぶしかないよ」って言われた。あと1時間しかなくてすっごい焦ってたのに…そしたら、デンマーク人(?)の女の人が私たちが焦ってるのを察してくれて「どうしたの?」って聞いてくれたの。事情を説明したら、「彼ら(私が話をした数人のスタッフ)じゃなくて警察(警備員?Policeってその人は言ってた)に言おう」って言って、歩いてたPoliceを引き留めて事情を説明してくれた!そしたら、トルコ人用の列(こっちはスカスカ)に並ばさせてくれました!本当にその女の人に感謝!!
実は、この方との繋がりはまだ続きます。「デンマーク人(?)の女の人」、最後まで覚えておいてね。
イズミルでは、ショッピングモールの中のお店がほどんど閉まってて、開いてたのは奥の方の2~3件だけ。入口には金属探知機と荷物検査があった。
物価も安かった。2019年初は1リラ(トルコの通貨)は20円超えてたのに、2022年11月17日では7.54円。異常なリラ安に初めて気づいて怖くなってた。
あと、中心部から電車で2駅、5分のエリアはこんな感じ。
調べたら、ギャングの危険なエリアみたいだった。夜になるとこんな感じ↓
きっと真っ暗なスラムもあるんだろうな。夜景、綺麗だけど複雑な気分。
一概に夜景=綺麗と言えないなと思うようになったきっかけの一枚。
そしてこちらは差がわかる一枚↓
そしてイズミルに二泊して、イスタンブールに到着。空港にミーティングポイントって書いてあるポールが何本も経ってるのに人が全くいないの。すっごい怖かった。
イスタンブール1日目:ファザとの出会い
ファザとあったきっかけはまさかのワールドカップ笑
私もYさんもワールドカップ見たかったから、ワールドカップついてるスポーツバーみたいなのを探してたのよ、そしたらたまたまワールドカップのテレビついてるレストランをすぐ見つけたの!
そこのスタッフのひとりがファザだった。ファザはここのレストランで働いてたの。レストランはこんな感じ↓ちゃんとワールドカップついてるでしょ?笑
ここのレストランは、英語みんな流暢に話すし、自然なフレンドリーさだった。というのも、イスタンブールはザ・観光地で、観光客は「財源」として扱われてると感じてたから。接客に対する気持ちが皆無に思えてずっと怖かったの。
あと、美味しいし、料理に見合った値段だったのでびっくり。詳細は後述するけど、イスタンブールはほっとんど本当に合理性に欠けた値段&値段設定の仕組みだったの。
フレンドリーな店員さんと美味しい食事。イスタンブール散策中、ある意味カルチャーショックなことが続いて(トルコ②で書きます)緊張していたから、少し落ち着けた。でも、心のどこかで店員さんの「自然なフレンドリーさ」が少し怖く感じてたのも事実。そのお店出れば「不自然な客引き」ばかりなのになんでここだけ?って思って。
ここのレストランでご飯食べてる時に、Yさんがファザと仲良くなって、ファザの仕事後にバーに誘われて、ついていったの。初めはファザに対して疑いが強くて、危なそうなとこだったらすぐ帰ろうとした。でも、レストランのすぐ近くの道路挟んだ向かいのバーだった。夜21-22時だったと思う、お客さん、私たちしかいなかったし、ドアも開いてて雰囲気よかったので、そのままバーに入った。
私はアイスカフェラテを頼んで、ファザとYさんはお酒頼んだ。
ファザに、アルコールじゃないの?楽しくないよって言われた。
私はファザを怖いって思う気持ちがまだあったから苦笑いした(元々初対面とかあんま話してない人には愛想笑いしちゃう性格もあるけど)。アルコールないと楽しいって思えないの?根っからチャラい人なのかな、と思ったの。
初めは何気ない話。ファザは、家族のことや生活のことについてみたいな話もしなかった。ただ飲み物飲んでるだけの時間が多かったし。私何してるんだろうって思ったくらい何もしてなかった。
トルコに行く前の私は、何もしない時間って無駄だっていう考えが頭に染み付いてて、何かしたり考えるべきor何かしたり考えないと落ち着かなかった。
わたしたちをただテーブルに一緒に座るだけに誘ったファザの行動を今振り返ると、ファザは孤独を癒したかったのかなって思う。今なら、ファザの生活の孤独さが痛いほど理解できる。
なんでアルコール飲まないと楽しくないって言われないといけないの?なんで何も話さないの、なんのために誘われたの?
こんなふうに思ってたのは、今まで一回も世界中にある「違い・差」を真正面から受け入れられてなかったから。「違い・差」と認識することは良くない、みんな同じように見なきゃって思ってた。それまでの自分は、認識すべき「違い・差」をただ眺めていただけだった。
10〜20分経って、だんだんファザは自分の話をし始めた。
9:00〜22:00まで働くんだ。前の職場は19時間だから楽だよ。3人妹いるけど、妹の名前忘れた。男性は働かないと行けない、家族のために。これが男のライフだよ、でしょ?家族のためにお金を送るから、手元に何も残らない、って。 アフガニスタン人っていうだけで、働いてもお金をくれない(前の職場で戦ったって言ってたし、そこの近くを通りたくないって言ってた)、アフガニスタン人だから医者が薬をくれなかったとか。
ファザは21or22歳でほぼ同い年で(当時私は20歳)、レストランで会って、普通に普通のバーで話してる。なのに、生活が全く違う。そのギャップにショックだった。ファザのことをなんの疑問も持たず「友達」として初めから見てた。前述したように、初めは警戒したり、なんで?って思ったことあるけど、知らない人について行くことに抵抗あったり相手の言葉に嫌気がさしたりとか、日本でも起こりうるじゃない?私の育った世界で通用する感覚で、何も考えず「友達」って見てた。だからこそ、余計そのギャップをショックに感じたんだと思う。
この世界に「差」がこれだけあるってこと、友達でも「差」を認識しないといけないことを、私は理解できてなかった。涙が止まらなかったの、友達とファザがタバコに行ってる間、いろんなことが頭にめぐってずっと泣いてた。考えても考えきれないし、何を考えてたのかいう必要ないほど空っぽな考えばかりだけど、考えることも涙も止められなかった。
ファザが帰ってきたとき、ファザが「どうしたの?悲しいことでもあった?」って聞いてきた。ファザはピュアに何があった?!って感じで心配してくれたの。ファザは、私がファザとの「違い」「差」を理解してないってわかってなかったんだと思う。私はファザに、色々ショックで…とだけ伝えた。この私の反応を見て、ファザは私が「差」を受け止められてない人ってわかったんだと思う。
私は、違いや差を認識して、でもだからこそ、発言するたびにファザを傷つけないかって悩むようになった。これ言ったら傷つくかな?怒らせちゃうかな?ってね。
気を遣いすぎてあまり自分の思ったことや聞きたいことを言えなかったり、遠回しな言い方ばかりしてたり。でも、ファザは、なんでも言ってって何回も何回も言ってくれたの。ファザは自分と私たちの違いを受け入れてて、その上で未熟な私を気遣ってくれてたみたい。
ちなみにYさんも、私と違って「差」を受け止められる強い人なの。
ファザは、Yさんはこういう人だってこともわかってたのかも。Yさんには妹の話とか自分の生活の深入りした話をしてたみたい。私には妹の名前忘れたとか言ってたから、私を気を遣ってくれてたことがすごくわかった。
その後、ファザは、泣いてる私を気にしながら(多分)自分の意見や軸を語り始めたの。ついでにバーの店員さんやオーナーも時々加わってね笑
バーの店員はロシア人だった。
ファザ:いつまでトルコにいるの?ここにずっと住んでるの?
店員:いやあと数ヶ月でロシアに戻る。働かないと。働きたくないよ。
ファザ:なんで???(多分、どうやって生活するんだ?お金持ちなの?って思ったんだと思う)
店員:実は兵士なんだ。
この店員さん、ロシアの兵士で、国に帰ったら戦争に行かないとだから国に帰りたくないって言ってた。
パブのオーナーはファザの知り合いだった。
そのオーナーに、ファザが仕事の後何するの?って聞いたんだけど、そしたら、いつも通り散歩するよ。寝れないしね。って言ってた。ちなみにこの会話、22時すぎくらい。もうなんで?とは思わなかったけど、私には理解が追いつかなかった。
そしたらファザも共感してた。ますますわからない。
ファザは自分の誕生日わからないって言ってた。今は22歳、でも本当かわからない。書類偽造してトルコきてるみたい(誕生日偽造する人が沢山いる国は複数あるみたい)。アフガニスタンで生まれて、家族でイランへ。その後一人でスイスにちょっといて今トルコ。
あと、こんなことも言われた。
「Don't care about it and me, care about your life . Live your life, enjoy your life」
僕とMiharuの世界は違うことをわかってる、自分の社会で生きなよって。自分の人生で幸せになれって。ファザは「差」「違い」を認識してる。そして、「差」を受け入れながら、Enjoy your lifeって言ってるんだと思うと、辛すぎた。
「You are rich」
お金あるから旅行してるんだよ君たちはって言われた。私たちもバイトをして、お金を貯めて旅行してるんだよ、って言ったら、すごく驚いてた。親からお金もらえるじゃん、なんで働くの?働く必要ないよって言われた。彼は、お金を貯めることや投資って概念を知らないのかなと思った。まともに学校行けてないんだなって想像できた。教科書によく書いてある「就学率何%」を初めて理解した気がする。まあこれは置いといて、ここで特に言いたいのはこれ↓ 私たちがお金あるって知ってる。なのにお会計の時、ファザが、オーナーは自分の知り合いだからっていって安くしてもらえるように頼んでくれたの。私たちが、そんなことする必要ないし、ファザの分私たちが払うよって言っても、頑なにノーって言ってた。ファザに、そんなことする必要も値下げを断る必要もないよって言われた。
彼、本当に「違い」を受け入れてて、「差」を超えて接してくれた。彼が本当はどう思ってたのかはわからないけど、少なくとも私はこの態度が頭から離れなかった。
しかもね、こういうことをね、笑顔で言うの。ずっとにこにこしてるの。
笑顔で辛い仕事のことや今までの生活のことを語るの。
余計私にはショックで、耐えられなかった。
ファザは自分の部屋の写真を見せてくれた。その時もにこにこしてた。にこにこしながら、「これが僕の住んでるところなんだ」って。その部屋は薄暗くて、ほぼ何も置いていなくて、少しの荷物だけ。ここに一人で住んでるんだって言ってた。私はどう言えばいいかわからなかった。当たり障りのないように、恐る恐る「広い部屋だね」って言った。広く見えたのは事実。でも、すぐに後悔した。(いや、もしかしたら後悔する必要ないのかもしれないね。事実だから感じたことを正直に伝えたという点では。)
ファザは、いやいやいやすっごい狭いよ。くらいしすごく静かだよ。って言ってきた。これも笑顔で。
ファザの笑顔は、ほとんどの笑顔は、自然な「笑顔」じゃなくて、笑わないとやっていけない、そんな「笑顔」なのだなと思った。
「Live at this moment」
将来は考えないんだって言ってた。ファザは今しか見てない、今しか見れないんだなって思った。将来を考えることより、今を生きることを選択している。それは、将来を考えることが素敵じゃないから。ファザは、なんで将来のことを考える必要があるんだって言ってた。
「This is boys' life、辛いことはアルコール&タバコで忘れるんだ(正確になんて言ってたか忘れたので和訳)」
ファザは、男は働くもの、女は家族にいるものって言ってた。私とYさんは女性だからっていうのもあって、ファザは私たちがバイトしてることに驚いていた。女なんだから働く必要ないよって言われた。
家族のために長時間働くことを、男の人生はこんなもんだって言ってた。でも、とてもきついこと。 タバコは1日3箱、冷蔵庫はアルコールでいっぱいなんだって。ずっと働いて寝てなくて、気分転換する暇もない、だから忘れるためにタバコとアルコールなんだって言ってた。寝てないというより、寝れないんだって言ってた。正確な時間は忘れちゃったけど、4時に寝て7時に起きる(起きちゃう)って言ってた気がする。寝れないし起きちゃうから、タバコとアルコールの後、街中を歩くんだって言ってた。バーのオーナーと同じ。ようやくファザとオーナーの共感に理解が追いついた。
バーに行ったあと、散歩しようって言われて、ファザと観光客のいない夜のイスタンブールを歩いた。夜23時くらいから1時くらいまでかな。途中でアル(仮名)っていうファザの友達も来た。
本当に普通の友達みたいに話してた。私が夜のハギアソフィアの写真撮ってたら、暗くて何も見えないじゃん!てかハギアソフィアの何が特別なの?笑、とかそんな会話ばかり。
ちなみにこれが夜のハギアソフィア笑
そしてこちら、夜のハギアソフィアの裏側笑
夜のイスタンブールなんて貴重だから、たくさん写真や動画撮ってたら、写真めっちゃ撮るじゃんって言ってきたりとかね。
私が夜の散歩こわがってたら、ホテルの庭に咲いてる花をとって私にくれた。ホテルの敷地のものだから窃盗にあたいするけど、友達がそれはダメだよって言った時に本心で「どうして?」って言ってるのをみて、彼の道徳においては、私たちからする窃盗行為(ホテルから花を盗る)と親切心による行為(顔が暗い私に花を渡す)が同じことなのだという矛盾?お互いの認識のずれ?を感じた。
あと、ファザのレストランで、ファざが物乞いの子供たちからバラを買ってて、散歩してる時に、それをYさんにあげてたの。(「花を売る子供たちやお金ちょうだいって言ってくる子たち、見ても何も言わない。花を買う人やお金をあげる人って、スラムを知っている人たち」、友達から聞いた言葉。)それで、そのバラがフェイクか本物かって言い合ったりしてた笑 見た目プラスチックなの、だから私のYさんも絶対フェイクって言い張ってた。ファザは本物って信じてたんだけど、私たちの剣幕(?笑)みて、がっかりしてた笑でも少し諦めてなかったみたいで、近くに歩いてた5人くらいの人たちに、「これ本物だと思う?」って声かけてた笑
そしたらたまたま、そのうちの一人が人口のお花作る仕事している人で、専門家に本物認定してもらった笑 私とYさんはびっくりした、本当に偽物みたいだったのよ笑
あと、まだ奇跡があって、その5人組はある人とテレビ電話してたんだけど、そのテレビ電話、日本と繋がっていました笑 そのテレビ電話の相手は日本語ペラペラで、深夜のイスタンブールの公園でその人と日本語で話しました笑
人の繋がりが本当にすごい。私はスウェーデンに来る前も後も、この1年半、人の繋がりの素敵さに感動し続けてきた。素敵だなと思ってきた。でも、ここにも「違い」があることを認識した。
アルはスマホの待ち受けにするくらい、アフガニスタン同じでファざが唯一信用してるって言ってた人。友達っていうより、ファザが信用していた唯一の人、って表現の方が適切。
ファザは「Don’t trust anybody」って何度も言ってきたし、何枚か写真見せてきて、この人たちは嫌いなんだって言ってた。ファザの住む世界では「信用」って概念があまり存在できないように思えた。でもだからこそ、そんな世界で生活するのに「信用」できる人が必要なんだなと感じた。ホーム画面が、あんなに大切に語ってた家族ではなく、同じアフガニスタン出身のここイスタンブールで会った人なのよ?
でも、アルは、ファザの住むスラムの「典型的な人」だったみたい。その世界の人は大半がアルみたいな人じゃないかな。ファザは本当に奇跡な人だと思う。
次の日の夜、アルは、ファザが唯一信用している人なのに、ファザをどん底に落としたんだから。ある意味こちらのせいでもある、少なくともこちらがきっかけではある。
アルは、ファザがYさんを私のいるホテルに送り届けている間に、ファザのケータイとお金を奪って消えちゃった。
次の日については、②に続きます。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!!②の公開は数日先になります。次も読んでいただけると嬉しいです。
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