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「アカデミアを離れてみたら」を読んで思うこと

私はストーカー気質のある人間なので、昔の知り合いの名前を定期的にネット上で検索するという習性があります。以前仕事で関わり合いのあった大学の方を最近学会等で見かけないことに気づいて検索してみた結果、この方はアカデミア職(大学や研究機関などの非営利的な研究職)を離れて「アカデミアを離れてみたら」という本に寄稿なさっていたことを知りました。
(具体的に誰なのかということは、とりあえず伏せておきます)

私は修士号をとってそのまま通常の就職活動を経て民間企業に就職したのでアカデミア職は未経験なのですが、そんな私が読んでも面白い本でした。ちょっといろいろ思ったことを書いてみようと思います。

*なお、この記事はあくまでも「私が読んで思ったこと」を書いています。寄稿なさった当事者の方々にとっては、承服できない意見や読み違えがあるかもしれないことをお断りしておきます。

この本に寄稿した方の「アカデミアからの離れ方」について

この本の想定読者が誰かというのははっきりとは示されていないのですが、博士課程の学生またはポスドクの方で、就職するかアカデミアに残るかを悩んでいる方がロールモデルを求めて読む場合が多いと予想します

この本にはさまざまな理由でアカデミアを離れた方が寄稿なさっています。多くの方は、アカデミアを離れたのちも退職や転職、独立などの紆余曲折を経て現職にたどり着いた経験を述べているのですが、上記の現役博士学生またはポスドクにとって気になるのは、まず最初にアカデミアを離れたときの離れ方だと思います。

これについては、おおむね下記のようにパターン分けできるように思います。

  1. 民間企業や公的機関等に就職

    1. 博士号取得後、経験をもとに民間企業に就職することが珍しくない研究分野(バイオ系、情報系など)

    2. 博士号取得後、民間に就職したとしてもその経験が直接的には活かしづらい研究分野(数学、非バイオ系の生物学、理論物理学など)

  2. 終身雇用の准教授になった後に、大学を退職

  3. その他(独立、フリーランス等)

1-1の方々は普通に就職すればよく、2の方々は自ら安定した収入を手放しているため、切迫感は低いように感じます。また、3の方々は読み物としては面白いのですが、特殊すぎて参考にはしづらいでしょう。
だとすると、やはり一番興味を持たれるのは、就職難度が高い1-2の「民間で活かしづらい博士」についてだと思います

「民間で活かしづらい博士」どうやって就職したのか

1-2の「民間で活かしづらい博士」が、初めてアカデミアを離れたパターンを分類してみます。

ケース1:専門分野そのものではなく、研究のために身に着けたスキルが活きたパターン

この本に寄稿した方のうちの一人が、noteに記事を載せています。

また、この方の寄稿については、試し読みで読むことができます。
こういう言い方が適切なのかどうかわかりませんが、名文だと思います。民間で安定した収入を得る喜びと、かつての研究分野への未練、そしてかつての自分がこの本を読んで感じたであろう複雑な思いがよくわかる記事です。

この方は、典型的な「民間で活かしづらい博士」(上記記事の表現では「アカデミアの外に出ることが難しい分野の博士」)でした。結局のところ、その研究分野での業績は直接的には民間企業の採用理由とはならず、研究のツールとして身に着けていた「R」という統計ソフトのスキルが評価されて採用に至ったとのことです。

またほかには、在学中に南極観測隊員として南極で越冬なさった方が、アウトドアメーカーのモンベルに就職した例が掲載されていました。これも、南極での重力観測理論などを買われたわけではなく、南極にいたという経験により採用されたものと推察します。

ただ、これらの方のような例はレアケースであるように見えます。

ケース2:取得した資格や試験合格により職を得るパターン

在学中に取得した教員免許を活かして教師になった方、弁理士試験に合格して弁理士になった方、または国家公務員総合職試験に合格して文科省に入省なさった方が紹介されています。
これらの方々については、(試験に合格さえできれば)就職難度はそれほど高くなく、博士号取得者のキャリアパスとしてもそれほど珍しいものではないように感じました(私のかつての知り合いにも、そういったキャリアを選択した方がいます)。本書の記載も、どうやって就職したかという就職苦労話よりも、就職後に博士号をどう活かすかという観点に重きが置かれているように思います。
資格や試験合格は一朝一夕に成し遂げられるものではないのですが、コツコツと計画性をもって努力できる人なら、この方向性はよい選択肢なのだと思いました。

ケース3:専門分野ではなく、研究者であったという経験そのものを活かすパターン

大学で研究を支援する事務職(URA)になった方や、理化学研究所、コンサルなどに就職なさった方が相当します。分野外であっても英語の論文や資料を読み解いて技術調査を行ったり、または研究者とコミュニケーションをとって彼らのサポートを行うというものです。
こちらはケース2に比べて求人の絶対数がそれほど多くなく、狭き門であるのは確かだと思います(もしかしたらコンサルはそうでもないのかもしれませんが)。ただし、多くの場合、英語力は必須であるとも思われます。

ケース4:その他

実験系の物理学を専門としていた方が、NHKに就職なさったのは上記3つの例いずれにも当てはまらないと思います。完全なるキャリアチェンジだと思うのですが、これはこの方が28歳と若く、第二新卒と言っても差し支えない年齢だったから実現したものだと思います。

小括

ということで、分類してみると「資格や試験合格で職を得る」のが最も一般的で、「研究者であったという経験を活かす」がその次という、それはそうだろうなという結果です。
その意味においては本書に書かれていることは目新しいことではないのですが、それでもあまり世に出てこない経験者の生の声を見える形にしたというのは大きな意義があるのだと思います。

私の勤める会社で博士を採用する意味はなんだろうか?

私の周囲にも博士号を取得後、そのまままたはポスドクや助教職を経由して当社に就職なさった方が散見されますが、あまり博士号に見合った仕事を任されていないケースが多いように思います。

ここで、「アカデミアを離れてみたら」から、博士号を取得してからIBMで26年勤めたあと、キヤノンを経由してベンチャー企業に転じた方の言葉を紹介します。

PFN(会社名)のような企業は特に、タレントが命。優秀な人を惹きつけるためには、優秀な人がトップカンファレンスで発表していることが、やっぱりすごく大事です。

〈特別編〉 産と学、行ったり来たり―――丸山宏さんに聞く

最先端技術を手掛けている(知名度のない)ベンチャー企業では、論文や学会での報告はリクルートの役割も果たしているのです。

一方で、私が勤めている会社は、伝統的な日本企業、もっと言えば長い歴史の過程でコングロマリット化した大企業です(シャフトエンタープライズに似た会社、といえば通じる人には通じるのでしょうか)。そのため、様々な分野の技術があるために一概には言えないのですが、とくに古くからある材料系の分野においては、学会や論文を発表する技術段階を終え、泥臭い改善の積み重ねが競争力の源泉であることが多いのです。
こういった分野では、学会や論文での華々しい発表が、企業としての競争力を表しているわけではありません。博士の持つ重要な能力として「国際会議での発表や英語論文の投稿に慣れている」というものがあるのですが、私の勤める会社ではあまりこれが活きていないように思います。

あえて触れなかった話…文系の博士号取得者はどうなのか?

ここまで博士は理系しかいないかのような書き方をしてきましたが、文系の博士の方は理系よりもさらに就職が厳しいと聞きます。

hontoでのこの本のレビューを見ると、文系の博士号取得者の叫びのようなものが聞こえてくるようです。

二人しかレビューしていないのに、二人とも1点をつけています。

これからのキャリアに悩んで、藁にもすがる思いで読んでみた本には、文系の方はほとんど出てきませんでした…となると、それはがっかりするのも当然でしょう。

冒頭で「私はストーカー気質のある人間」と書きましたが、実は私が学生時代からずっと追っているブログがあります。

個人の方が細々とやっているブログなので、万一この記事が見つかって気持ち悪がられたら申し訳ないのですが…(特に悪気がなく、たしか私が読んだ本と同じ本の感想が書かれてあったのを読んで、面白かったからそれからずっと追っかけているだけなのです)。

この方は文系(たぶん国文学系)の博士号を取得した、私より少し年上の女性の方だと思われます。2005~2006年ごろに就職活動で相当苦労なさっている様子を拝見していたのですが、中国で日本語の教師となられたことがブログに記載されていました。

打つ手がないなあと悶々と悩んでいた頃、知り合いの方から、中国の大学で日本語を教えてみないかと紹介された。藁にもすがる思いで、その紹介に飛びつく。そして、いろいろと手続きを経て、なんとか中国で職を得ることができた。なんとも幸運だったとしか言いようがない。だから、「大学院に行っても大丈夫だ、仕事はある」なんてとても主張することはできない。本音を言えば日本で働きたいが、そうはいっても高齢で職歴無しの私では日本で職を得るのは難しいのだろう。私のような中途半端な実力しかない研究者では、アカデミック・ポストなんて夢のまた夢だ。

『明暗』の「小林」と私

「アカデミアを離れてみたら」で文系の方に関する寄稿が少ない(一件だけ行動経済学というデータ分析系の分野で、准教授から独立してフリーランスになられた方が紹介されています)のですが、これは文系の方で希望を持てるような記事が集まらなかったからではないかと邪推します。
こういう本の性質上、「アカデミアから離れてみたら…どうにもなりませんでした!毎日バイトで食いつないでいます!」というわけにもいかないのですが、理系博士ほど希望の持てる状況ではない、予後が悪い例しか見つからなかったのかもしれません。

「文系博士のためのインターンシップ支援」を行う博士活躍推進会というサイトがあります。

ここに、文系博士の方の就職状況に関するデータが掲載されているのですが、恐ろしい状況です。

文系博士の就職難 データと背景」より
「文系博士の就職難 データと背景」より

文系に限って言えば、博士課程修了・または満期退学後正規職についている方は30%あまり、3年後の収入は4人に一人が200万円以下と惨憺たる状況。

このあたりについても、当事者たちの声の掘り起こしが望まれるのだと思いますし、だからこそ、「人文社会系大学院生のキャリアに関する研究」といったものも成り立つのだと思いますが。

まとめ

私が博士課程に進学しなかった理由の一つが、まさに就職の困難さにありました。私は工学系ではなく理学系の研究室にいたために、博士号を取得したのちに民間企業に就職するハードルは高かったと予想されます。

それでも、理系であればまだある程度なんとかなるのですが、文系の方々は本当に苦しいと思います。文系版「アカデミアを離れてみたら」が出版されたら、ぜひ読んでみたいものです。

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