「自分のための文章」を毎日書く
「毎日記事を投稿する」を意識して続けているのは、3回目です。
1回目は、フリーランスになって、自分のWEBサイトを開設した時です。2015年でした。
「WEBサイトを作った!」と喜んで話したら、メンター的存在の人から「毎日投稿するといいよ」と言われ、じゃあがんばるか、と、毎日投稿したのです。
と言っても、実は達成できない日も多々あって、3日分まとめて後からUPして、日づけをいじって、毎日投稿したように見せる、なんてことも、しばしばでした。それでも、100日続けました。アドバイスをくれた人に、100日続いたよ、と話したら、その人も何か責任を感じていたのか「ここまで頑張ったんだから、頻度を落としてもいいと思うよ」と言ってくれ、毎日チャレンジは終わりになりました。
後になってみれば、1記事ごとの分量も書けていなかったし、内容が物足りないものや、私のつぶやきに過ぎないものもありました。何年か経って、サイトの整理をした時に、メッセージや情報価値が薄いと判断したものは、ばっさり削除しました。それでも、この時に100本書いたということは、自信になりました。作り立てのWEBサイトを、「作って満足」で寝かせることなく、ずっと動かし続け、育てられたのは、最初に一気に記事を増やしたおかげでもあるので、駄作も多かったあの100本は、意味のあるものでした。
2回目の「毎日投稿」は2021年の4月でした。
この時私は、フリーランスの仕事を全部手放して、何もすることがありませんでした。「このままの状態は、私のココロ的に良くない」と考え、何でもいいから何かやろうと思って始めたのが、noteでの「毎日投稿」でした。
noteの遊び方が広がったのは、この時です。時間もあったし、色々試すことができました。毎日の投稿を続けるために、これまでに蓄積した「遊びのアイディア」や「絵本の選び方」、いつか紹介したいと思っていた「世界のMuseum」など、シリーズで投稿しました。記事というよりも、コンテンツを投稿していた、と言った方がふさわしいかもしれません。
この時は2カ月半くらい続けて、他にも取り組むべきことができてきたので、ある意味目的を終え、自然にフェードアウトしました。
この時に作った記事は自信作ではあるものの、結果として、その後の記事を書くハードルが上がってしまった、というのは、下記の記事に書いた通りです。
そして、今回です。今回は、誰かの役に立つためではなく、私自身のための文章を書いてみよう、と決めました。
私自身のための文章を書こう、と思ったきっかけは、昨年の夏に参加した「フリーライティング」のワークショップでした。
このワークショップでは、自分から湧き出てくる言葉を、湧き出てくるまま書き留めることに、挑みました。挑んだのですが、それができたかどうかは、正直自信がないのです。余計なことを考えず、書き直すこともせず、自分の言葉が湧いてくる泉と指先が直接つながるような感覚で、そのまま言葉を綴ろう、と書き始めます。それなのに、言葉の交通整理をしようとするもう1人の自分がどこからともなくやってきて、素早く表現を整えたり、ベタな結論の方向に導こうとするのです。
だから、フリーライティングなるものに挑んだものの、それがどこまで実践できたのかは分かりません。分からないとはいえ、気の利いた文章を書こうといつまでも頭の中だけで考えているよりも、自分の言葉を整わないままに書き記すという手法があることは、体験しました。そして、できないはできないなりに、何だか心地よさもあったのです。外に出たがっていた「言葉」が、外に出るための小さな穴が貫通したような気がしました。
それから半年ほど経って、ふと「フリーライティング」のことを思い出しました。あの時ほど未整理なものを誰かの目に留まるところに置くのは抵抗はあるけれど、「ちょっと小さな穴が貫通した気持ち」くらいのものを書いておくことは、自分の心のために、いいかもしれない、と思ったのです。
今のところは、「言いたいことを書いていい場所がある喜び」と「毎日続いている記録を続けたくなっているプレッシャー」とが、半々くらいです。
さて、フリーライティングや、フリーライティングを起点として文章を書くための手法が紹介されている本が、出版されました。
私もまだ読んでいる途中で、今のところ、フリーライティングだけでも、半年前のワークショップは、ほんの入り口に過ぎなかったみたい、ということが分かってきました。そして、この本は、読んで終わりの本ではなくて、読んだ後に実践してみて、本当に有難みが分かるんだろうなぁ、という気がするので、本の感想を書けるのはもう少し先になりそうです。
とはいえ、「自己検閲」をはずす、という紹介の言葉は、すごくグッときました。私の場合、「自己検閲」の奥にあるのは、かっこいい文章、ほめられる文章、認められる文章、大勢の人に読まれる文章を書きたい、という想いだと気づきます。誰なのか定かではない「誰か」の目を気にしすぎて、自分の想いが、想いのままの言葉にならないこと、あるなぁ。
だからこそ、こうやって、「自分のための文章」を毎日書くことは、意味があるのかもしれない、とも思うのです。自分の想いを、かっこつけずに言葉にしていい、かっこつけない言葉を人目につくところに置いてもいい、それを積み重ねることで、「自分の言葉」を書くことへの抵抗感が、少しずつ薄れていったらいいのかなぁ、なんて思うのでした。
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