手書きじゃないと、心がこもっていないのか?
おはこんばんにちは、つばめです。
福祉施設で、機能訓練指導員をやっています。
サービス業をやっていたら、エンドユーザーとのやり取りって、
何らかしらありますよね。
今回は”手書きじゃないと、心がこもっていないのか?”
についてのお話しです。
私の毎月の業務
私は福祉施設で、機能指導員をやっていますが、60名の入所者の方々に対し、3ヶ月毎にモニタリングと言う形で、家族の方に身体などの状態報告をさせてもらっています。
毎月の業務としては、約20名程度の報告を、行うことになります。
特別なことが無い限り、身体状況が劇的に変わることは、そんなに無いので、同じ様な内容になりがちですが、季節の行事を楽しんだ事だったり、こんな言動がありましたとか、日常生活の様子も織り込んで報告しています。
今のところ、このモニタリング報告が、利用者の方の状況を知る、
唯一の報告書類になっているので、親族が遠方の方など、ご家族によっては大変喜ばれて下さり、お礼のお手紙をいただける場合があります。
自分としては、それ程大したことをやってる意識は無いですが、
この様な手紙をいただけると、さすがにありがたいと思います。
SNS上でもコメントいただけると、私はホント嬉しいです。
安易な提案
数か月前、ほとんど職場に来ない施設長より、利用者状況を手書きの手紙で報告しようという提案がありました。
手書きの方が、心がこもっているからとのこと。
ちなみに、以前施設長に年賀状を出したことがありますが、手書きうんぬんより、年賀状自体、帰って来ませんでした。
毎月20名のモニタリング報告を作成する私でさえ、業務の合間でやっていてかなり時間が掛かっているのに、現場の職員が手書きで手紙を書く時間を、取れるわけがありません。
それに手書きにこだわる意味が私には、全く理解出来なかった。
手書きの行為自体を、否定しているのでは無く、
ただ現状の現場の状況を見て、単純に効率が悪いののと、手書きで無ければ心がこもっていないと考える理由が、私には理解出来なかった。
大切なのは、手法より内容です。
”手書き”という面倒なことをすること、時間を掛ける行為が、価値があると勘違いしているのではないでしょうか。
パソコンで打った文字でも、人の心を動かすことは出来ると思うし、音声でもその人の言葉を聞いたことで、感動させることが出来ます。
市販されている漫画でも書籍でも、全て文字は手書きではありません。
でも、それに対し私は感動もするし、涙を流します。音楽を聴いても同じことは、多々あります。
心の込め方は、いくらでも方法はあります。
固定概念に縛られると、本質を見失うことってないでしょうか。
※この記事は、音声配信でも聴く事ができます。