左衛門(ざえもん)
占い師を紹介する、と友人から言われた。
その占い師は、よく当たるという評判で、
友人はある女性が恋愛運を診てもらった話を例にあげた。
「あなたには、200年前の先祖の霊がついている。女癖の悪い先祖がいて、その人に泣かされた女性が彼を恨んでいる。そのせいであなたの恋愛運が悪くなっている。」
「その男性の名前は、〇〇左衞門という。」
ずいぶん具体的で、三文小説のような話ではあるが、その分、興味をそそられたのも事実だった。
当時、煮詰まっていた私の話に付き合わされていた友人は、その占い師のいる奥多摩まで一緒に行ってくれるという。
料金は心付けとして¥5,000くらい。
人助けでやっているし、決まった料金は無いので、好きな金額で良いとのこと。
ふうん
片道3時間はきついけど、
友人と一緒ならピクニックも兼ねて楽しいかも。天気予報を見て、土曜日に行くことにした。
ちょっとした冒険気分だった。
ヨドバシカメラに行って「スパイペンありますか?」と聞いたら「そんなモノ、うちでは扱ってません」と厳しい目をされたので、ネットで検索したら、ぞろぞろ出てきた。
録画録音機能付きペン型¥7500を調達してその日に備えた。
電車を乗り継いで、たどり着いた家は、
鶏でも飼っていそうな田舎の一軒家。
なんの変哲もない古い農家。
よくいらっしゃいましたと、出てきたおじいさんは、もと郵便局員。定年後、クチコミ限定で自宅に来てくれる方を診ていらっしゃるとか。
おじいさんも普通。
家も普通。
普通でなかったのは、等身大の観音様が御座敷の隣、別間に鎮座ましましていたことだった。
クリスタルボールもBGMもなく、お香も炊かず、奇抜な衣装もまとっていない、カリスマ性ゼロのおじいさんは私の話を聞き始めた。
いや、この「なんでもない感じ」が曲者なのかもと思いながら、私はスパイペンを取り出して、メモを取るふり。(本当にメモを取っては映像がぶれてしまうので。)
誰でも知っている占い師のヒヤリングテクニックの基本。相手に話したいだけ話させ、その中から相手が「占い師に言って欲しいこと」のエッセンスを抽出する。
わかっていても、つい情報を与え過ぎてしまうのは、私とて同じ。
自らの男運の悪さをひと通り語り、当時の職場が築地だと語ると、築地は外国人旅行者が多いから、通訳のお仕事をおやりになるとよろしかろうと。
いえいえ、おじいさん、私は男運のご相談に来たのです、とキッパリ。
そうですか、では、、、
あなたの親戚に「結婚していない人はいないですか」 「子供のいない夫婦はいないですか」
います、います、ゴロゴロいます。
冷めてしまったお茶とお饅頭を横目で見ながら、スパイペンを構えながら話す私の話をひとしきり聞いたおじいさん、「ちょいとお待ちを」と別間の観音様の前に移動し、拝みながらひとしきりブツブツ唱え始めた。
(鶴に変身しているのではとこっそり覗いたが、
おじいさんの姿のままだった。)
観音様から答をいただきましたと言いながら、
しずしずと戻ってきたおじいさん、
「あなたには、200年ほど前のご先祖の霊が悪さをしています。女癖の悪いご先祖が2人いらっしゃって、その方達に泣かされた女性達が恨んで、あなたに悪さをしているのです。」
あれ
どこかで聞いたような。
「その方のお名前は、飯島 助左衛門。
泣かされた女性の名前はアヤとシホ。
もう1人は、鈴木 安左衛門。
女性の名前はミツとチハル。」
はぁ
で、どうすれば良いのですか?
「今日から1年間、お水、お花をお供えしてこの方達の霊をお慰めしてください。さすれば、あなたは良縁に恵まれます。必ずや1年以内に。」
左衞門(ざえもん)かぁ
名前まで一緒かぁ
チカラ抜けること甚だしく、
謝礼の金¥5,000をお渡しした帰路:
・200年前の戸籍なんて残っていないだろうから、何言われても確かめようがないよな。
・シナリオが同じ、名前も左衞門1つきりというのも、なんだかなあ。
・クチコミだけで、客が自宅まで来てくれて、
・人助けという名目だから、開業登録してない、
つまり、たぶん確定申告していないとしたら、
占い師っていい商売?
などと感じたことを覚えている。
占う本人=自分は人助けをしていると
何の邪気も無く信じていて、
診てもらった人=人助けをしてもらったと信じている限り、それで文句を言う人は出ないのです。お金儲けではないから。心付けなのですから。
おじいさんも良い人、診てもらう人も良い人。
八方まるく収まる。民間ブードゥーの、民間カウンセリングの王道ではないか。
ああぁ
明日からまた頑張るかあと思いつつ、
友人と2人で呑んで帰った別れ際、
今日は一緒に来てくれてありがとうね、
面白かったねと手を振ったら、
「明日から左衛門達に、お供え忘れないでね」と友人。
ええっ!?
(文字の級数マックスで)
ああ、信じる者は救われるとは、このことか。
私は一生救われること無いと思い知った、
よく晴れた日の小旅行であった。