人生が100秒だったら: 20秒目
お雛様
母の手は、いつも何かを作っていた。
子供の頃、私たち姉妹のお出かけ服は全て母の手作りだったし、夢中になって遊んだリカちゃん人形の服、新聞紙入れや小物入れなど木切れで作る工作、毎年デザインを決めて200枚ほど作る手作りクリスマスカード、季節の梅仕事(梅干し、梅酒、梅シロップなど)やラッキョウ漬け、、
家族のために作る毎日の料理やヌカ漬けはもちろん、母の手はずっと休まず何かを作っていた。
中でも折り紙は母が特に根を詰めていたもののひとつだった。少女時代からの「千代紙コレクション」は相当なもので、14歳だった東京大空襲の時、焼け出された家から持ち出せたわずかな荷物は、「みんなのお米と、お父様のライカと、佳子の千代紙」だったと聞いている。
折り紙で母は、色々なものを作っていた。
日本髪を結った小さな日本人形は、箸入れにつけたら、立派な贈り物になって何人の人に喜ばれたことか。
そして、雛人形。
母の誕生日が3月3日だったこともあって、思い入れが特に強かったのだと思う。折り紙で作った自立する雛人形はフルセットだと、男雛、女雛、三人官女、五人囃子に、緋毛氈と金屏風。
ある時期、母は男雛と女雛カップルのシンプルなセットに凝ったことがあった。来る日も来る日も作り続けて、その数、数百組。工程ごとに部品を作りためて、順繰りに組み立てていったので、部屋の中はさながら雛人形製造工場のようになった。
いつ頃だったか。母が雛人形作りに没頭していたのは。あれは私が本命との結婚を諦めた頃。その時は気がつかなかったけど、その頃だったと思う。
あの時からずいぶん経って、雛人形の行列は記憶の彼方に通り過ぎていたはずだったある日、
不意を突かれた。
何百、何千という雛人形が夢の中に出てきた。手のひらに乗るほどの小さな子達に私は追いかけられ、襖を開けて次の間へ。次から次へ何枚も襖を開けて、逃げても逃げても波が引いてもまた湧いてくるように、ワラワラワラ、雛人形達が私に押し寄せてくる。
夢から覚めて気がついた。
ああ
小さい子達は、私の中に住んでいたのだと。
そう
母の手はいつも何かを作っていた。
私の中に。
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