人生が100秒だったら: 7秒目
地平線
見たことのある景色には、記憶の道を辿っていくとまた着けるのだろうか。
1962年の8月、その道は地平線まで続いていた。私は後部座席から、車が通って来た道を見ていた。
なんだこれは。
走っても走っても、後から後から車の下から湧き出て来る道に終わりがあるようには見えなかった。私は、途切れることなく伸びていくその一本道から目を離すことができなかった。
こんなの見たことない。
前の座席の両親の向こうに見えるこれから行く景色も、どこかに近づいて行っているようには見えないし。近づいてもくれない、遠ざかってもくれない。あの線は何?
地平線という言葉は、その時教わった。
後部座席の窓枠に切り取られたシンプルな構図と色。時間を巻き戻せたら、確かめることができるだろうか。道は続いているのだろうか。ブラジルの空港からサントスの街まで、赤土を舞い上げながら走っていたフォルクスワーゲン後部座席の三つ編みの6歳と今の私は
まだどこかでつながっているのだろうか。
またどこかでつながるのだろうか。
これからここで生きていく。
あの日の若い両親の意気込みを察して、6歳の肺いっぱいに吸い込んだ、あれは乾いた地面の構図だった。誰にも守られることのない、どこにも身を隠しようのない、地平線の先まで続く一本の線。
どこまで行っても着くことはないと思ったサントスの街に、あの日、私達は着いた。海外転勤が珍しかった昭和30年代、家族4人で過ごした4年足らずの時間は、いくら振り返っても影も形も見えないほど、地平線の向こうに飛び去ってしまったけれど。
たまに、本当にたまに、あの空気が動くことがある。私の肺の中に残っているほんの数cm3の空気がゆれる時、赤土のニオイがする。
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