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【小説】りんごの手紙①


ストーブの効いた部屋で、桶太鼓を叩く振動が響く。泉は、まるやさんかくなどの記号で示された略譜を睨みながら、不格好なリズムで奏でる。

泉の通う小学校の学芸会では、クラスごとの発表の他に、地区ごとの舞踊や民謡の発表の場が設けられている。泉の地区では、毎年「さんさ踊り」を披露しており、1〜4年生は踊り、5、6年生は太鼓と役割が振られている。盛岡市外の地域であるにも関わらず、盛岡の伝統芸能を披露する理由は、泉にはわからない。ただ、冬が本格化する前に、放課後、公民館に集まって、さんさ踊りの練習をする時間が、泉は好きだった。教室にはない特別感が、そこにはあったから。

5年生の泉は、今年から太鼓を担当することになり、大変苦戦していた。踊りも、1年生の頃は覚えるのに必死で、うまく踊れず泣いたこともあった。しかし、4年間も続ければ一連の動きが細胞ひとつひとつに染みつき、楽しく、余裕が滲み出るようになったのだ。来年も、踊りでいいのに、と思っていたが、ついに、踊りを卒業し、太鼓を習う時が来てしまった。ピアノを習ったことがなく、リズム感や音楽センスがない泉にとって、太鼓は苦手意識が強いものだった。太鼓を叩くのか、縁を叩くのか。バチ同士を叩くのか。演奏に加え、足の動きもつけるとなると、頭が沸騰してしまいそうだ。

まだ練習の序盤のため、まずは正座をして、太鼓の演奏をマスターするところから始まった。しかし、早速躓いている。近所に住んでいる、指導者の麗子さんが優しく教えてくれるが、上達しない自分につきっきりなの、悪いなあ、とさらに気持ちが落ち込む。

一旦休みましょー、時計の長い針が6になったら、練習再開ね、という麗子さんの掛け声で、緊迫した空気が一気に解け、水筒のお茶を飲んだり、座布団にダイブしたり、それぞれ休憩モードに入った。

休憩に入っても、泉は練習をやめない。ダンコンダラスコ、とぶつぶつリズムを唱えながら、休憩中ということを考慮して、太気持ち弱めに太鼓を叩く。

「下手くそ」

斜め上から声がした。

同じ地区で、唯一の同級生である、冬吾だ。

腕を組みながら、泉の隣に胡座をかく。トレーナーにプリントされたキャラクターと、目が合う。

「ちっとも上手くなんないじゃん」

ニヤニヤしながら問いかける冬吾は、すでに太鼓の演奏をマスターしている。同学年であるにも関わらず、飲み込みの速さは断然違う。冬吾は勉強こそ得意ではないが、運動神経は抜群で、調理実習では、クラスの誰よりも綺麗にりんごウサギの形に切ってみせた。何をやらせても、器用にこなすのである。そのため、泉と同じ様に、太鼓の演奏初心者でも、素早く吸収した。

「まだ5回めの練習だし」

「もう5回めだよ」

10月頭から練習は始まり、11月末に本番を迎える。週に3回の練習のため、残り回数はまだあるが、本番まで1か月ほどとなると、あまり期間は長くないように思える。

冬吾は、先が思い知らされるねえ、と言い残し、その場を去っていった。太鼓がちょっと叩けるからって、偉そうに。泉は、心の中で文句を言った。

頭がよく、宿題も期限内にしっかり提出する真面目な泉だが、運動はまるでダメで、クラスで1番足が遅い。鈍臭く、マイペースなところがある。冬吾が、お手本のようなウサギりんごを切り終えている一方で、ボロボロのかけらを生み出してしまう。冬吾に見られたくない、と焦りを感じたが、彼は、不細工なりんごに気づいただろうか。

公民館の長針が6を指すと同時に、麗子さんが始めますよー、と号令した。泉はため息をつき、メガネを外す。1年生の頃からメガネをかけるほど目が悪く、レンズは雪の積もった山のように分厚い。ずっと略譜と睨めっこして、目が疲れたため、目を瞑り、軽くマッサージをしていると、冬吾が太鼓を担いで、隣に腰掛けてきた。

「ゆっくりでいいから、叩いてみて」

メガネを掛け直し、冬吾の言う通り、実際のスピードよりスローペースで、叩いてみる。

さんさ踊りは、1番から4番まで存在する。あとは、移動時に演奏される「通り太鼓」。舞台に上がる時、退場する時は、通り太鼓を演奏しながら動いていく。泉たちの地区の発表では、1、2番、通り太鼓のみ演奏する。1番の「統合さんさ」は他の基盤となるため、それさえ身体に叩き込めばいいのだ。

ダンコンダラスコ、ダッカトカ、と呟きながら、確実に、打っていく。太鼓とふちを間違えないように、リズムを乱さないように。

「できたじゃん」

できた、らしい。

太鼓を前にして状況が読み込めない、という表情をする泉を指差して、冬吾はケラケラ笑った。

「間違えないでできてる。これを繰り返しいけば、スピードも乗っかってくるよ」

5回分の練習は決して無駄ではなく、気が付かぬうちに叩き込まれていたようだ。冬吾の言う通りにしたら、できた。

あれ、うちら教えなくても、大丈夫そうだね、と6年生と麗子さんが笑っていた。冬吾のマンツーマン指導は進み、外は次第に暗くなり、夜が濃くなっていった。


公民館から、泉の家までは徒歩10分ほどで、さんさ踊りの練習後は、冬吾と、いつも一緒に帰っていた。

「冬吾君、いっちゃんのこと家まで送ってくれるの。やっさしー。ほんと面倒見いいよね」

麗子さんは帰り際、そんなことを言っていたが、同級生に面倒を見られている、と思われているのは、泉としては、ちょっと気に食わない。方向が同じだけだし。そう心の中で反論し、ニットのカーディガンを着込む。

室内はストーブのおかげで、頬が赤くなるくらい暖まっていたが、10月の夜は、ピンと冷たい空気が張られている。ただ、熱った身体を、寒気にさらしながら、静かな田園風景を歩く時間は好きだった。

太鼓とバチは、家に持ち帰るルールのため、布製のケースに入れて、担いで帰る必要がある。首が座った赤ちゃんくらいの重さを小学生が持ちながら歩くのは、なかなか体力を要する。その上、人より力のない泉は、途中で力尽き、どうしても引きずってしまう。ケースで覆われてはいるものの、和太鼓はデリケートであるため、丁重に扱わなければならない。もちろん借り物なので、来年以降も、使い続ける。万が一のことあっても、泉には弁償できない。しかし、重い。

「今日、頑張ってたから持ってやるよ」

冬吾は公民館を出るや否や、泉の分の太鼓も担いでくれた。こんな姿を麗子さんや他の人に見られたら、また「面倒見がいい」とか「言っちゃん、下級生みたい」と揶揄われてしまう。しかし、やっぱり重い。太鼓を破壊するよりはマシだ、と泉は自分を説得した。

鈴虫の鳴き声が聞こえる以外、何も音がしない、閑静な田舎町である。小学校の近くに駄菓子屋さんがあるくらいで、スーパーマーケット、薬局、病院・・・どこに行くにも車が必須だ。盛岡市までは1時間ほどかかり、同じ県とは思えないほど、全体的に、建物が低い。米農家を営む人が多く、稲刈りの時期を控えでおり、日中は辺り一面が黄金に広がる。

退屈な町である。退屈だが、退屈であることにも気づかないくらい、泉は今の生活に満足していた。

「お前さあ、なんでそんなにめかし込んでんの」

太鼓2台持ちであるにも関わらず、涼しい顔ながら歩いている冬吾が聞いてきた。

めかし込む。

気合い入ってる、ってことかな。

普段はデニムなどの長いパンツを履くことが多い泉だが、今日は、グレーのウールのジャンパースカートを身につけていた。昨日の日曜日、母が盛岡のデパートで買ってくれたもので、心底気に入ったため、早急におろしたくなったのだ。中には深い赤のタートルネックを合わせ、普段は下ろしているだけの、鎖骨くらいの長さの髪は、母に頼んで、ハーフアップにしてもらった。友人の優子には、教室に入った瞬間、可愛いねえと褒められたこの格好が、冬吾にとっては、いつもと違って見えたようだ。

「別に、めかし込んでないよ。これね、ママに、昨日買ってもらったの」

「へえー、ピアノの発表会でもあるのかと思ったよ。それより、太鼓の練習した方いいんじゃないかって思ってた」

「余計なお世話だよ」

泉と冬吾は、教室ではほとんど口をきかない。決して仲が悪いわけではない。現に、こうして、一緒に帰っているわけだし。2人が通う小学校は、各学年20名ほどと小さく、そのためクラス替えは存在しない。6年間、同じクラス。低学年の頃は、男女分け隔てなく、みんなと満遍なく話すことが当たり前だったが、学年が上がるにつれて、仲良い子、そうでもない子がはっきりしてきた。
泉は、インドア派で控えめな性格の優子と気が合い、休み時間は絵を描いたり図書室に行ったりするが、冬吾は男子大勢と外でサッカーや野球をしたり、廊下を走り回ったりしている。そして、度々、担任の瀬戸先生に怒鳴られる。たまに、クラスで目立つ存在の紗弥子と話している姿を見かけるが、泉が会話に入ることはない。昨日のテレビの話で盛り上がっていたり、紗弥子がこっそり持参したファッション誌を見せながら、どの服装が好きか尋ねたり。泉も人並みにテレビは観るし、ファッション誌も毎月買っているが、その輪には入らず、ぼんやり眺めるだけである。

教室では、特別仲良くしない。

いつしか、2人の暗黙の了解になっていた。

しかし、さんさ踊りの練習の帰りは、冬吾と2人だ。

教室で一緒に過ごせない分を埋め合わせするかのように、10分間、2人は話し続ける。この時間が、泉は好きだった。

「お前、今日の家庭科のりんご、酷かったな。再テストなんて、お前女子ひとりだけだろ」

冬吾は、何でもお見通しだった。冬吾のそういうところが、泉は好きではなかった。

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