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【小説】熱①

 冬吾に彼女ができた。

 ブレザーがようやく身体に馴染んだ矢先、衣替えの時期になり、随分身軽になった頃だった。

 時は、入学時に遡る。

泉たちが通う中学校は、町内にある5、6校の小学校を卒業した児童が集い、1学年120名ほどで、4クラスの規模である。桜の木に囲まれたグラウンドは見栄えが良かったが、長い坂を登った先に校舎があり、体力のない泉は、毎朝息を切らしていた。

 肝心のクラスは、優子と一緒だったため、それだけで難関を突破した気持ちになった。「ゆうちゃんと同じクラスでよかった」と仕切りに吐露する泉だったが、他の小学校から進学した人々が、見慣れないせいか、大人びているようで、安心ばかりできず、どこか落ち着かない。

 冬吾は、隣のクラスになった。入学早々坊主にした、同じクラスの江藤の頭を叩き、ふざけている姿をよく見かけた。良い音するなあ、やめろって、野球部に入るから仕方ないだろ、という応酬は、小学校の頃と変わらない。

 運動音痴で、且つ音楽のセンスもない泉は、優子と一緒に美術部に入部した。運動部と違って、夜遅くまで活動することがないし、元々絵を描くことが好きだったため、何も不満はなかった。

 冬吾は、バスケ部に入部した。直接確認したわけではない。廊下で、紗弥子と冬吾が話しているのを、たまたま耳にしただけだ。
紗弥子の隣に、ぴったりくっついている女の子がいた。前髪を綺麗に揃え、肩より上のボブヘアーの艶が反射している。

立花杏奈。泉のクラスメイトである。苗字も名前も漫画のヒロインのようで、すぐ覚えた。チワワのように潤んだ目、リップを塗ったようにほのかに赤い唇。スカートが短いわけでも、髪を染めているわけでもない彼女は、一段と垢抜けて見えた。耳より下の位置にふたつに縛り、小学生の頃と同様、メガネ姿の自分が、とても地味で幼く思える。

「杏奈って、男に媚び売ってるんだよ」

泉と同じく2組で、髪を丁寧に三つ編みしている桃が、昼休みで騒々しい教室内で、耳打ちする。

「同じ小学校だったんだけど、彼氏取っ替え引っ替えしてるの。卒業間際まで、他校の男子と付き合ってたし」

「へえ。まあ、可愛いから、モテるんだろうね」

 優子は話半分に相槌を打つ。興味がないという本音が、滲み出ている。

 杏奈は、クラスの中でも、一際目立つ存在だった。男女問わず友人が多いタイプで、泉はあまり接点がない。男子に対して、「いい匂いじゃない?」とハンドクリームを塗った自分の手のひらを嗅がせるなど、時折、大胆な行動をとる。

「可愛いってか、私可愛いでしょ、アピールがすごいんだよね。ちなみにあの髪、縮毛矯正だよ。校則違反なのに、堂々とルール破っちゃってさ」

 縮毛矯正。だからか。天使の輪っかが浮かび上がっていて、シャンプーのCMのように艶を放っていたのは、縮毛のおかげなのか。

「他校の男子と、どうやって出会うんだろ」

泉の質問に、桃は「スポ少とか、かな」と軽く返答し、「そんなことより、杏奈、テニス部じゃん。てか、そうなんだけど。1個上の先輩に、かっこいい人いて、絶対それ目当てだよ」と鼻息を荒くしていた。

泉は、小学校のうちから他校の男の子と付き合うなんて、芸能人と知り合いになるくらい無謀なことだな、とぼんやり考えていると、「泉!」と教室の外から、呼ばれる声がした。冬吾だ。

ブカブカのブレザーが、板についてないって感じ。自分も、そんなこと言えないんだけど。声変わりが始まった冬吾の声は、ずん、と、骨まで響く。

「これ、遅くなってごめん」

 教室の入り口で冬吾が手渡したのは、緑色のCDケース。去年の夏、泉に聴かせてくれた、「FEVER」が収録されているアルバムだった。

「貸してくれるの?」

「うん。返すの、いつでも良いから」

そう言い残し、自分のクラスの元へ走っていった。

 手紙に、「またあの曲を聴きたい」と綴ったことを、覚えていてくてたんだ。手紙の返事は、卒業以来、まだだけど。マイペースな冬吾のことなので、泉はあまり気に留めていなかった。

「泉ちゃん、あの人と仲良いの?」

桃の問いに、泉は狼狽えることはなかった。しかし、「あの人」という呼び方に引っ掛かりを覚える。なぜ桃は、クラスも部活も違う冬吾のことを、知り合いであるかのような話し振りをするのだろうか。

「まあ、家、近所だし」

「あのね。杏奈が、あの人のこと、かっこいいって、言ってるらしい」

あくまでも噂ね、と桃は強調した。

「4組のテニス部に、紗弥子ちゃんっているじゃん」

「うん、同じ小学校だった」

「その紗弥子ちゃんに、仲良くなりたいって言って、協力してもらってるんだって」

 テニス部の先輩といい、気が多いよねえ、と桃は呆れていたが、顔も名前もわからない先輩が本命ではなく、純粋に冬吾のことが好きなのではないか、と泉は察した。

「杏奈ちゃん、冬吾のこと本気で好きなんじゃない」

優子は、泉と全く同じ考えだった。

「えー、そうなのかなあ。でも、あの子のことだから、わからないよねえ」

 わからないなら放っておけば良いものを、桃は考察を練り続ける。泉には、違う星の住人が織りなすファンタジーのように、遠い話に思えた。

 泉と優子の予感は的中した。杏奈は、冬吾に告白した。体育祭の終わりに、校舎裏に呼び出したらしい、と桃は新鮮なスクープに目を輝かせていた。最初は拒んだ冬吾だが、杏奈は懲りずにアプローチをし、3回目の告白で、2人はめでたく、付き合うことになった。


学年でいちばん早くゴールインしたカップルは、派手に祝福された。

 と、いうわけにもいかない。中学生の恋愛は、堂々としたい気持ちと放っておいて欲しいという気持ちの狭間で成り立っている。

杏奈は、冬吾がいる1年1組に、頻繁に顔を出していた(と、桃が教えてくれた)。一方、冬吾は、生まれて初めて彼女ができたにも関わらず、坊主頭が様になってきた江藤や、同じクラスのやっさんこと山下康之と共に行動している。一緒に帰ったり、廊下で2人きりになって話し込んだりする姿は、中々見かけない。

みんなの前で、有名カップルとして振る舞いたい杏奈と、必要以上に冷やかされたくない冬吾は、アンバランスのように感じる。なぜ、冬吾が杏奈の想いに応えたのか、泉にはわからない。

冬吾は、杏奈のことが、本当に好きなのだろうか。冬吾は、好きな女の子の前で、どのような顔をするのだろうか。手を、繋ぐのだろうか。   

優子から借りた少女漫画に、キスシーンが大々的に描かれており、思わず目を伏せてしまう。好きなら、キスするのかな。キスなんて縁がない泉にとって、恋愛感情を抱いたところでキスをしたい、という考えに至らない。冬吾が、キスをしたかもちろん知る由もない(さすがの桃も、その件に関しては突き止められないようだ)。しかし、キスという行為の側にいる冬吾は、小学生の頃、無邪気に校庭を走り回っていた頃とまるで別人である。

杏奈は、冬吾のことを、かっこいいと思っているらしい。

小学校6年間も共に過ごした冬吾のことを、かっこいいとか、男前だとか、そのように感じることはなかった。ただ、相手を見透かす力強い眼力や、スッと通った鼻筋は、目を引くのかもしれない。

母とスーパーへ買い出しに行き、帰りに本屋に寄る。中学校に入学してから、ファッション誌を読んでいなかったため、久しぶりに買おうと雑誌コーナーを物色していると、芸能雑誌の表紙を飾る俳優と目が合った。思わず手にとり、立ち読みしていると、「珍しいの読んでる」と母が覗き込んできた。

「ブッキーみたいな人、いないかなあ」

「泉らしくないね、そんなこと言うの」

誰よりもかっこよくて、誰よりも優しい人が空から降ってきたら、心の内が、少しは晴れるのかもしれない。

「オレンジデイズに憧れるなら、頑張って勉強して、いい大学入んないとね」

母は釘を刺し、欲しいならママにちょうだい、買ってあげるから、と促した。

結局、勉強に結びついてしまうのか。

雑誌は、買わなかった。

小学5年生から続いていた手紙交換も、中止にならざるを得ない。彼女がいる冬吾に、あえて手紙を贈ろうという心境にはなれないのである。CDも、返しそびれている。杏奈の目を気にして、1組に足を運び、返すことを躊躇っている。

返しそびれたCDを、部屋でひとり、ラジカセで流す。泉の、ルーティーンになっていた。おかげで、歌詞の意味を、少しずつ、飲み込めるようになった。明るい曲調とは裏腹に、決して結ばれることのない2人を綴ったこの曲を、冬吾はなぜ惹かれたのだろう。

話すとか、話さないとか、嫌になっちゃうね。

いつの日か、冬吾にかけた言葉を、思い出す。

周りを気にするな、俺は気にしない、と、前に冬吾は言ってくれた。しかし、今はそうもいかない。たった1年前の出来事が、はるか昔のことのように感じられる。

泉が、ここまで杏奈の存在を気にするのには、ある理由があった。

冬吾と杏奈が付き合い出して数日後の昼休み。優子は委員会の集まり、桃は所属している吹奏楽部の昼の練習のため、教室を空けており、泉はひとりで読書をしていた時だった。

「泉ちゃんと冬吾って、家近所なんでしょ?」

いつもは大人数で廊下に溜まっている杏奈が、突然話しかけてきた。

「さやちんから、聞いちゃった」

杏奈は、さやちん、と新しいニックネームで紗弥子の名を呼ぶ。同じ部活ということもあり、2人はすっかり意気投合している様子だ。

目の前に立ちはだかる杏奈は、同性の泉から見ても、やはり可愛い。甘く、おっとりした声は、桃曰く「ぶりっ子」だが、お人形のような容姿に当てはまっていると、純粋に思える。

泉も杏奈くらい美人だったら、男の子を「取っ替え引っ替え」するのだろうか。しかし、「取っ替え引っ替え」をする姿が想像し難いため、泉は、杏奈にはなれないことをしみじみ痛感する。

「冬吾って、自分の話しないじゃん?てか、しないんだけど。泉ちゃんなら、冬吾のこと、色々知ってるかなーって思って」

しないじゃん。

うん、しないね。

泉は、心の中で、呟いた。

「さやちゃんの方が、詳しいと思う」

「さやちんからも聞いたよ。でも、泉ちゃんにしか知らない話も、いっぱいあるんじゃないかなって」

杏奈は意気揚々とした語り口調で、初めて面と向かって話すとは思えない人懐っこさが、泉には眩しく思えた。

私にしか知らない、冬吾の話を、この子に言うわけがない。

泉は、強く思った。

さんさ踊りの練習に付き合ってくれた。母と喧嘩して家を飛び出した時に、声をかけてくれた。周りを気にするな、と言ってくれた。

冬吾は、優しい。

「特にない、かな」

泉が遠慮がちに答えた瞬間、杏奈は更に目をキラキラさせ、そっかあ、それならしょうがないね、とはしゃいでいた。

泉の返答は、杏奈の思惑通りだった。

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