星空とナムル
餃子を無性に食べたくなるときってないですか。私はあります。
夕方のニュースをぼんやり眺めながら、餡を包む時間が好き。
食べるのはもっと好き。
餃子に醤油とラー油をつけて頬張る。じゅわっと肉汁が溢れて、もうひとつ、とどんどん食べ進めてしまう。
中にチーズを入れたり、大葉を入れたり、アレンジが無限にあるのも好き。
型にはまらないレシピは、ズボラな私にとって救世主だ。
たまには変わり種の餃子が食べたくなった私は、スーパーで買い物をしながら、何かいい食材はないか探していた。
野菜コーナーを過ぎたあたりに、もやしが陳列されている。
普段はスルーもやしを手に取る。
かさ増しでもやしを入れてみよう、とひらめいたと同時に、あの夜の出来事を思い出した。
「今何してる?」
「ナムル作ってた」
「ナムル?」
あの、焼肉屋さんのサイドメニューにある、ナムル?
もやしを使って、ナムルを作っていると話す彼の声は、電波に乗り、私の耳に届く。
電話がある時代に生まれてよかった。
電話は、文面だけでは伝わらない、温もりを届けてくれる。
夕飯とお風呂を済ませ、寝るにはまだ早い時間帯。日常の何気ない出来事を報告し合う。
この、彼との電話の時間が、私は好きだった。
電話がかかってくるタイミングは気まぐれだし、次いつ会えるかわからない私たちだけど、
夜に電話ができる関係性って、特別なんじゃないかって思う。
彼は、どんな姿で、ナムルを作っているのかな。
ボウルの中に、茹でたもやしにごま油とと豆板醤かコチジャンを入れて混ぜて、白ごまをかけるかもしれない。
普段自炊をしないらしいから、白ゴマなどという飾りもんはストックしていないかもしれない。
キッチンに立ちながらナムルを作っているのだろうか。
それか、リビングに座りながら作っているのだろうか。
いずれかになるだろうが、そのとき私は、なぜかこんな姿を思い浮かべた。
ベランダに出て、夜空を見上げながら、ナムルをかき混ぜている彼の姿。
ステンレスのボウルを抱え、星が散りばめられた夜空を眺めている。
年が明けたばかりの頃、夜だから尚のこと、吐いた息が白く、風が冷たい。
しかし、澄んだ空気が、暖房で温まった体に心地よい。
岩手と神奈川。遠く離れたふたつのまち。
しかし、空はひとつで、同じ星空の下にいるんだ、と思うと、寂しさが紛れた。
あれ以来、もやしを見かけるたびに、あの電話でのやり取りを思い出すのだ。
一人暮らしをしているくせに、もやしという庶民の味方をあまり調理する機会がない。
単純に、あまりもやしが好きではないのだ。
給食で出た、もやしの味噌汁は、ただでさえ薄味な味噌汁がもやしの水分のせいでさらに薄まり、給食の中でも
特に苦手なメニューだった。
それ以来もやしに苦手意識があり、成長して多少は食べられるようになったものの、自分でわざわざ購入することはなかった。
節約するならもやしを買うべきなんだろうけど、私、お金ないけど、でももやしを買う気にはあまりならない。
もやしというものは面倒なことに、生で食べることを推奨されていない。
節約食材界隈の王様かもしれないけど、わざわざ茹でるなり焼くなり手を加えるとなると手間がかかる、という理由でもやしとは疎遠な生活を送っていた。
個人的なあるあるで、苦手意識がある食材がとあるきっかけで、好物になる、というのがある。
もやしを細かく切って餡に混ぜた餃子は、もやしが変な邪魔をすることなく美味しかった。
もやし入り餃子が好きなら、野菜炒めとか、もしかしたら味噌汁に入れても案外美味しく食べられるのかもしれない。
大人になった私は、好きなように料理ができて、もやしの美味しい食べ方も知っている。
キッチンで餃子の餡をこねながら、星空の下でナムルを混ぜる彼を思い浮かべる。
彼は、何も思って混ぜていたのかな。
私は、あの頃のやり取りを懐かしく思いながら、美味しくなれ、と念を唱えています。
またひとつ、苦手を克服したのだった。