【小説】りんごの手紙②
冬吾の熱心な指導のおかげで、みるみる太鼓の腕が上達した泉は、さらに練習の時間が楽しみになっていった。練習がない日は、早く次の日になりますように、と祈りながら夜9時前にはベッドに入るが、興奮のあまり中々寝付けない。
太鼓の演奏は問題なくできるようになったため、脚の動きもつける特訓が始まった。最初こそ、バチも脚も動かすなんて、混乱する、無理!と叫びそうだった。しかし、冬吾の言う通り、ゆっくり、確実に、を心の中で唱えることで、自信がつき、次第に堂々とした動きができるようになっていった。太鼓を演奏し、太鼓を左右に揺らし、さらに、脚を曲げたり、踏み出したりする動きは、やはり忙しい。踊りと同様、身体で覚えてしまうしかない。覚えてしまえば、あとは、楽しむだけだ。
登下校中、ランドセルを前に背負い、脚の動きをつける。太鼓を叩くふりをしながら、黄金色の田園に見守られ、ひとり、さんさパレードを繰り広げる。
学芸会を1週間前に控えたある日のこと。昼休み、いつものように、優子と図書室で本を読んでいたら、いたいたー、と言いながら、紗弥子が顔を出してきた。普段は、同じくクラスの中心グループにいる、志保と恵美と教室で話すことが多い紗弥子が、図書室に、ひとりで入ってくることは、珍しかった。
「いっちゃん、冬吾と仲良いの?」
紗弥子からの突然の質問が、正面からぶつけられた。
「昨日の学芸会の地区発表の練習の時、冬吾と楽しそうにしてたから」
紗弥子の歯に衣着せぬ物言いに、泉は喉がつっかえて、返事ができない。彼女の、昼過ぎの光を浴びた、栗色のショートヘアの艶を、眺めるので精一杯だ。
昨日の練習は、本番のフォーメーション確認を兼ねて、学校の体育館で行われた。泉たちの地区と入れ違いで、紗弥子たちの地区の子どもたちと保護者が集まった時、確かに、泉と冬吾は、並んで話していた。いつもと変わらない、学校の出来事とか、練習についてとか、たわいもない話。紗弥子と志保が、やっほー、と手を振ってきたので、振り返した。それだけの出来事だった。
「普段、いっちゃんって男子と話さないじゃん。だから、珍しいなあって思って」
紗弥子が意地悪で問い詰めているわけではないことは、泉にはわかっていた。純粋に疑問なのだと、捉えられた。同じ地区だから、話くらいするよ、とでも返したらいいのに、うまく発声できす、金魚のように口をパクパクさせている。
「仲良いの?冬吾と」
「別に、そんなんじゃないよ」
咄嗟に、そう答えた。
別に、仲良くないよ。
仲良くないよね、別に。
心の中で呟いた。
「あ、うち、しほちんたちとバスケする約束してたから。じゃあねー」
とりあえず、返事をもらえたことに満足したのか、紗弥子はそう言い残し、廊下に駆け出していった。
仲良くないよね、別に。
言い聞かせたものの、しっくりこない。うまく、飲み込めない。
「さやちゃん、ヤキモチ妬いてるんだよ」
一部始終を黙って傍観していた優子が、口を開いた。
「え、さやちゃんって、冬吾のこと好きなの」
「違うよ。そうじゃなくて」
「どういうこと?」
「自分より、男子と仲良くしている女子を見るのが、嫌なんだよ」
優子は、クラスでは目立たない方だが、教室内の傍観力は凄まじいものだった。
「何で嫌なの?しかも、私、他の男子とそんな話さないし」
「さあねー。いいじゃんね、仲良くしたって」
5年間、同じ教室で過ごしてきたのに、誰がどんなこと考えているか、わからなくなる。この頃、泉には、そんなことが増えてきた。
「でも、確かにいっちゃんと冬吾って、話してるところ、あんまり見ない」
「だって、話さないもん」
泉は読んでいる本を閉じ、机に突っ伏せた。物語の内容が、入ってこなくなったのだ。
「さやちゃんのことは気にしないで、話したっていいと思うよ」
優子は、泉の丸まった背中を指で突っついた。
泉は、周りの目を気にして、冬吾と教室で話さないのか、純粋に、元々仲良くないだけなのか。どうなのか、わからなくなった。
太鼓の練習をしている時。夕飯を食べている時。湯船に浸かっている時。ベッドに潜る時。紗弥子からの質問を、ずっと考えてしまう。
今だって、瀬戸先生から出された大量の宿題を終わらせるため、机に齧り付いているのに、余計な考え事のせいで、全く手につかない。
仲良いの?冬吾と。
仲良いと思っていた。しかし、教室で話さないなら、仲良くないのかもしれない。
さんさ踊りの練習がない期間は、全く口をきかないか、と言われると、そんなこともない。家が近所のため、お互いの家を行き来することはある。他にも、地区の子ども会で、スポーツレクをしたり、夏休みに公民館で簡易的な夏祭りやスイカ割りをしたり。家で会うことは、気がついたら、減っていた。
前、冬吾が家に来たのは、いつだったか。夏休みの終わり頃に、一度だけ、「宿題見せて」と押しかけてきたことがあった。呆れながらも、すでに自己採点を終えたドリルを、ダイニングテーブルに広げて見せてあげた。両親が仕事で不在のため、冬吾と泉、2人きりだった。家にあるチョコや煎餅などのストックをかき集め、ガラスのコップに飲み物を注いで、出すと、「お前んとこの麦茶美味しい」と言いながら一気に飲み干した。全て写していくかと思いきや、7割方終わらせたところで、「あとは自分でやる」と真面目腐った顔つきになり、颯爽と自転車で帰っていった。太陽がてっぺんから照りつける、暑い午後のことだった。
週に1回から、月に1回。そこから、家で会う頻度は徐々に減り、教室でも、自然と話さなくなった。このことを、寂しいと感じることはない。振り返って、このような事実を再確認しただけである。
学芸会が終わってしまったら、話す機会はうんと減るだろう。そこからすぐ冬休みに入り、年が明け、またすぐ年度末が訪れ、6年生になる。1年はあっという間に過ぎることは、小学生の泉でもすでに感じていた。すぐ卒業して、中学生になっても、冬吾は、話しかけてくれるだろうか。
時間が限られていることを、急に思い知らされた。限りあるものだとわかると、丁寧に、過ごさないといけない、と強く思った。焦りが、じわじわと、身体中に侵入してきた。
とは言っても、冬吾と教室で話す勇気が出ない。紗弥子にまた何か言われるかと思うと、気が気でなかった。それに、昼休み、冬吾と男子グループに混ざってサッカーボールを追いかける自分の姿は、どう頑張っても想像できない。冬吾が、泉と優子と3人、横並びになって、図書室で読書する姿は、もっと想像できない。冬吾のことだから、すぐ集中力が途絶えるし、こっそり少年漫画を持ち込みそうだ。
教室で、面と向かって話す以外に、どんなコミュニケーションの取り方があるだろうか。紗弥子が、志保たちと交換ノートを回したり、小さく折り畳んだ手紙を渡したりしているところを、よく見かける。ほぼ毎日顔を合わせているのに、交換ノートや手紙で、何を話しているのだろう。泉は考えながら、あることに閃いた。
手紙。
手紙がある。
手紙を書こう。手紙なら、冬吾と、たくさん話ができる。
泉は、机の引き出しを漁り、レターセットをいくつか取り出した。文房具を集めることが趣味で、必要以上に揃えているのだ。ハート柄は、男の子にあげるのには可愛らし過ぎるし、季節感のあるコスモスの絵柄は、おばさん臭いと思われそうだ。迷いに迷って、赤いリンゴのイラストが描かれた便箋と封筒に決めた。
宿題そっちのけで、手紙の執筆に取り掛かる。冬吾に手紙を書いたことなんて、一度もなく、実際どんなことを綴ったらいいか、わからなくなる。とりあえず、学芸会が近づいているため、そのことについて書いてみる。決して、会えなくなるわけではないから、長文にならないように、気負わず、普段、公民館や帰り道で話すときのように。
とうごへ
もうすぐ学芸会だね。
とうごのおかげで、たいこが上手にたたけるようになりました。
ありがとう。本番も、がんばろうね。
ついしん
家庭科の再テスト、合格しました。
いずみより
便箋の空いたスペースに、赤のペンで、うさぎの形のリンゴの絵を描き足したところで急に恥ずかしくなり、読み返すこともせず、早々に封をしてしまう。
明日、さんさ踊りの練習がある。明日で、最後の練習だ。その帰りにでも、渡そう。
そう決意したのに、次の日、冬吾は学校に来なかった。