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笑っていたのかもしれない

「俺がぶっ飛ばしてやるよ」という言葉をかけてくれた彼とは、中学校卒業以来、一度も会っていない。
そんなもんだと思う。会おうと努めないと、誰にも会えないものである。
私の周りにいる友達は、会おう、と約束をして、実際会い、また会おう、と別れ、また気が向いた時に連絡する、というサイクルをしてきた人々だ。これを繰り返すと、信頼関係ができるのだ。みんなして、すごいことしちゃってる。私含め。

卒業アルバムの、赤いベロア素材の表紙をめくる。クラスごとの個人写真を眺めていると、いる、彼が。カメラの前で、つまんなそうにしている。歯を見せて笑ったり、微笑む生徒が多い中、口の両端を下げ、不機嫌そうな佇まいをしている姿は逆に目立つ。
しかし、ずっと眺めていると、不思議なことに、笑っているように見えてくるのだ。

今年のゴールデンウィークに友人と行った、十和田市現代美術館の展示室に構えていた、とある作品を思い出す。ロン・ミュエクの「スタンディング・ウーマン」。黒のワンピースを纏ったおばあさんの、4メートルもある彫刻作品だ。おばあさんは、眉間に皺を寄せ、口角は下がっており、決して愛想は良くない。第一印象は「怖い」。巨大なサイズ感も相まって、そう感じたのだけど。
怖くてでっかいおばあさんだが、あらゆる角度から眺めると、悲しそうにしていたり、穏やかそうだったり、様々な表情を見せてくれる。
ただの怖いおばあさん彫刻ではなく、泣いたり、笑ったり、幸せを噛み締めたりする、ひとりの女性が、そこにいるのである。




表情ひとつで読み取れることは、ひとつではなかったりする。泣いている写真が、悲しみに満ちているとは限らないように。
私の個人写真も、口角は上がっているものの、ぎこちないと言えばぎこちないようにも感じる。「ニコッ」より「ギギギ」。メンテナンスの行き届いていない、ロボットのようだ、とも捉えられる。
当時は、出席番号が前の方であり、先に撮影を済ませたのだが、後から女子たちがピースで撮るようになった。誰かが、ピースをし始めて、「じゃあ私も」と乗っかったのだろう。正直なところ、私も、ピースをしたかった。しかし、最初にポーズをとるという、ムーブメントを起こせるタイプではなかったため、結局「ギギギ」と微笑む姿がそこにある。女子生徒全員がピースをしたわけではなかったが、ノリが悪い様に写ってるのではないか、と気がかりだった。今となっては、「どっちでも良くねえか」の一言で片付けられるけど。
卒業アルバムって、こういう格好悪いエピソードをひけらかすために見るものだよね。そんなの私だけかな。

彼があの時怒っていたか、笑っていたかはわからない。わからなくていいんだと思う。今、どこかで、笑っていたら嬉しい。


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